第7話 静かに、仲間になっていく
《託される符》
午後の光が、カーテン越しに部屋を照らしていた。
ソファに座るフィアは、何かを考えるように無言で指先を動かしている。符の試作か、それとも記憶の中の図形か。
その静けさを破るように、
「昨日は、すまなかった」
フィアの手がぴたりと止まる。
「感覚的に使えるだろ、って思ってたけど……覚悟が甘かった。
人生かけて作ったものを、軽々しく扱われたら誰だって怒るよな」
フィアは何も言わない。ただ、じっと
「改めて、符の扱い方を教えてくれないか? まずは講義からさ」
しばらくの沈黙のあと、フィアは視線を逸らし、短く答えた。
「……講義ね。なら、準備する」
それだけを言って、彼女は鞄の中から数枚の符とホルダーを取り出した。
まるで、最初から答えは決まっていたかのように。
場所は、廃ビルの一室だった。
壁はひび割れ、床は砂埃が薄く積もっている。だが視界は広く、訓練にはちょうどいい。
「この符、設置型。床に触れたら三秒後に反応する」
フィアが手渡してきた符は、以前見たものよりも幾何模様が多く、情報量が桁違いだった。
「三秒ね、了解。……って、うおっ!?」
避けきれず、土煙を浴びた彼は咳き込みながら振り返る。
「おい、三秒どころか二秒ちょいじゃなかったか!?」
口元がぷるりと震えた。
すんでのところで吹き出すのを堪えたフィアは、むりやり真顔に戻してから次の符を差し出す。
「反応時間は魔力の流量で変わる。……設置が荒いと、早まる」
素っ気ない口調の裏で、フィアは符を一枚取り出しながら続ける。
「魔力が流れる経路はこの図形部分。角度と力加減で起爆時間が微妙に変わる」
「……あー、なるほど。爆破ってより“点火式の罠”に近いのか」
「そう。点火剤をどこに置くかで、燃えるタイミングは変わる。……イメージでやるな。理屈でやれ」
言い方はきついが、説明は的確だった。
数回の試行の末、
五度目の起爆。
狙い通り、ちょうど三秒後に符が作動し、狭い空間に土煙が立ちのぼる。
フィアは煙の中、腕を組んで言った。
「……やっぱり、アンタの反応速度はずば抜けてる」
「……は?」
「符の反応より、敵の行動を見て動く。それ、うちの連中でもできるのは一握りだった」
「連中、って……エルフの?」
「昔の話」
短く切ったその言葉の奥に、どこか懐かしさが混じっていた。
《呼吸を合わせる》
廃ビルの一角。崩れた壁の合間を縫って、フィアの指示が飛ぶ。
「次、二秒後に爆ぜるから」
角を曲がる瞬間、床に滑らせた符が静かに光を帯び――
二秒ぴったりで小規模な閃光が走る。
しかし、次の動きがほんの一拍、遅れた。
「もっと早く動いて」
背後からの声に、
「言葉がなくても、見てればわかるようにしたいな」
フィアはしばらく黙っていたが、小さく呟いた。
「……勝手に見てなさい」
それは命令でも拒絶でもない、ただの“許可”に近い響きだった。
配置を再確認するため、フィアが周囲を見渡す。
自然と、まず
彼はすでに、背後の死角に立っていた。
フィアの射線が通るように、少し斜め後ろで空間を空けている。
「……邪魔ではない」
ぽつりと漏れた言葉に、
「それ、褒められてるって思っていいのか?」
フィアは答えなかった。
「そろそろ、連携も形になってきたか?」
「ま、仲間ってほどじゃないけど――悪くないかもな」
だが視線は、もう次の配置に向けられていた。
その手元に、次の符が用意されているのがすべてを物語っていた。
《その言葉、もう一度》
夕暮れの風が、崩れたビルの屋上を静かに吹き抜けていく。
訓練を終えた二人は、腰を下ろしてペットボトルの水を開けた。パキッ、という音が空に溶ける。
しばらく無言のまま、喉を潤す音だけが続いた。
「……さっきの、あれ」
ふいに、フィアがぽつりと口を開いた。
「“仲間”って、言った?」
視線は合わせないまま、水の缶を両手で持っている。
「うん。違うか?」
フィアは答えず、小さく缶を揺らした。中の水が、かしゃんと鳴る。
「……別に、否定はしない」
それだけ言って、フィアはふと話題を切り替えるように言った。
「アンタって、苦手なことないの?」
「ん、急にどうした?」
「さっきの“仲間”ってやつの続きは、なんかこう……こそばゆい」
「正直だな」
「そういえばさ」
フィアが続けた。
「ケイボウ? ってやつ以外にも、いろいろ持ってるのに使わないよね。あの腰のホルダーとか」
「くだらない理由だけど……聞くか?」
「気になる。話そらしたのはこっちだし」
「昔、教官にこっぴどく怒られたことがある」
「銃も警棒も使い方は合ってる、でもって」
「“銃なんかより、お前は危機管理と状況判断の速さが段違いなんだ。拳を使え”ってな」
フィアは一瞬だけ眉を動かした。
「拳……ね」
「今思えば、その方が合ってたのかもしれない。誰かの顔が見える距離で守る方が、俺にはしっくりくるんだ」
言い終えてから、
「ほら、やっぱりくだらないだろ?」
「……くだらなくはない」
フィアは、缶を口に運んでから、ぽつりと付け加えた。
「少なくとも、あたしにはわかる気がする」
《誰かの意思を継ぐように》
夜の街は、静けさに包まれていた。
昼の喧騒とは違う、誰かの暮らしの灯りだけがぽつりぽつりと灯っている。
「やっぱり、専門家に教えを乞うのが一番早いな」
「少し自信が持てそうだ。これで……今は、託されたって思える」
その言葉に、フィアの歩みがふと止まる。
わずかに俯いていた顔が、街灯の光に照らされる。
「少しは……見れる様にはなったかな」
それは評価とも慰めともつかない、けれどたしかな言葉だった。
続けて、フィアはほんの小さく息を吐く。
誰にも聞こえないくらいの声で、けれど
「……ハルになら、私の符、勝手に使われても……まあ、いっか」
その瞬間――
フィアは自分で、自分が言った言葉にほんの一瞬だけ戸惑った。
口に出すつもりなんてなかった。なのに、出てしまった。
そして、取り消す気にもなれなかった。
だが一拍置いて、口元がわずかに緩む。
「……それ、今のうちに録音しとけばよかったな」
フィアの肩がぴくりと動いた。
でも彼女は何も言わず、ただ前を見据えて歩き続けた。
ふたりの足音が、夜の舗装をゆっくりと進んでいく。
歩幅は違っても、今はもう、向かう先だけは同じだった。
《兆しの痕跡》
廃墟となった区画に、二人の足音が響く。
住宅地の外れ。かつて商店が立ち並んでいた一角は、融合の影響で地盤が歪み、今は立ち入り禁止区域になっていた。
現場に向かう途中、
「……素直に帰らせてくれよ。休憩終わったばっかなんだけどな」
フィアはすぐ隣を歩きながら、そっけなく返す。
「借りは返さないと、でしょ? 情報もらったんだし」
「はいはい、正論。わかってるって」
情報をくれたのは、登録済みの異世界人だった。
かつて過激派のもとに身を寄せていたが、今は民間協力者として警察に情報提供している。
彼が教えてくれた“かつての集会所”に、過激派が再び出入りしている可能性があるという。
二人は歩を進めながら、変質した空気を肌で感じていた。
風が吹かない。空気が澱んでいる。
ビルの影が長く伸びて、まるで時の流れさえ止まっているようだった。
「……ここ、空気が妙だな」
「魔力が残ってる。長くはないけど……強いのが、何度も通った跡」
フィアが符を取り出し、床に押し当てる。
淡く光ったその符が、反応を返すまでにかかった時間はわずか数秒。
通常の空間では起きない現象だった。
「……ここ、使われてる。誰かが“出入り”してる」
そう口にした直後――風が止んだ。
正確には、風があったことさえ忘れるような“断絶”が訪れた。
空気が、ぴたりと張りつめる。
「……視線。あるな」
彼の言葉に、フィアもわずかに身を固くする。
ふたりの間に、短い沈黙が落ちた。
そのとき――
物陰に、濁った水たまりがひとつ。
中央に、黒く濡れた足跡が残っていた。
「……入った、だけじゃない。出た形跡もある」
ドアノブには薄い汚れ。その中心だけ、くっきりと黒く擦れていた。
「罠、かもな。空気も、わざと残してる可能性がある」
「……そう言うとき、笑うのやめたら?」
「してたか?」
フィアは何も言わず、懐から封印符を取り出す。
その動作は、いつもよりわずかに慎重だった。
「ここは一度、偵察に入った方がいい。動きがあるかもしれない」
もう一度、風が止んだ。
周囲の気配が、さっきよりも深く沈んでいる。
沈黙が、重たい水のように降り積もる。
その静けさの中――
「……来るな。今度のは、隠れてない」
それが、“次”の始まりだった。
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