第32話 「邂逅」

綺華あやか……」


「おねえちゃん」


 今まで何をしていたの。


 そんな疑問が頭をよぎったけれど、それよりもしたいことがあった。


 そこにいる妹をぎゅっと抱きしめたかった。


 妹がこの世にいるという事実を嚙みしめたかった。


 なのに、綺華はわたしから逃げていく。


「話があるの」


「あとじゃダメなの……?」


「今じゃなきゃ。あの人がいないとお姉ちゃんと話をすることはできないから」


 綺華が悲しそうに眉を下げる。その姿に、わたしの心はきゅっと締め付けられる。


 でも、引っかかるものがあった。


 あの人。


 今この場にいなくて、さっきまでいた人なんて1人しかいない。


高砂たかさごさんのことを知ってるの?」


「知ってるよ。知りすぎてるくらいにね。そのことを話したいんだけど……」


 そう言って、綺華は歩きはじめる。闇の中を歩いているにもかかわらず、その周りは完全なる闇に覆われていた。光がそこに集まったのではなくて、わたしの視界にしか存在していないみたいだった。


 でも、妹は手を伸ばせば触れられそうなほど現実的で。


「ちょっと長い話になるけど最初から話すのがいいか。わたしはね、七不思議を調査してたんだよ。おねえちゃんもよく知ってるよね」


「うん。あれだけ熱心に話してたから」


「だって、はじめて聞いた話だったんだもん。うちの学校にはそんなものないと思ってた。理事長は頭ガチガチだし」


「そうなの……」


 深夜に話した感じだと、そんな風には見えなかったけれど。


「おねえちゃんは他人に興味を持った方がいいよ。噂によると、理事長は昔は科学者だったんだって」


「そんなのどうでもいいし」


 理事長のことなんかどうでもよかったし、高砂さんのことだって、七不思議のことだって。


 綺華のことしか興味なかった。


 妹は寂しげに笑っていた。だからダメなんだよ、と困ったように言いながら。


「でも、よく七不思議のこと覚えてたね」


「綺華が言ってたことだから」


「その七不思議の迷宮を調べようと思ったの。夜の校舎にはおあつらえ向きにトイレの窓が使えたし」


「それで迷宮の中に入った?」


「うん。開かずの間からね。でも、その前に、あの人について話しとかないと」


「――開かずの間の前で出くわした?」


 わたしが言えば、綺華が目を丸くさせる。


 ずっと前からそうだろうと思っていたことじゃないか。本人は否定していたけれど。


 あの世へ連れていく女子生徒の正体は、高砂千夜ちよ


 迷宮という別世界へと連れていくバケモノ。


「そう。あの人に案内されて、わたしは迷宮を旅した」


「ユリの花みたいな化け物を引っこ抜いたり?」


「サーカスを見たり、鏡の迷路では偽物のおねえちゃんに殺されかけたりしたんだよ」


「そんなことがあったの……」


「でもね。すぐにわかったんだ。偽物ってばベタベタくっついてくるんだもん。おねえちゃんだったら絶対、そんなことしないし」


 そんなことをしたら、心臓がバクバクになって死んでしまうかもしれない。


 妹のことはでたいよ。でも、いざ実行に移そうとしたら恥ずかしくなって顔から湯気が出そうになるんだ。


「今は抱きしめたい。ここにいるって確かめたいよ」


「……ごめん。それだけはおねえちゃんにはしてほしくない。おねえちゃんが嫌いになったわけじゃないよ」


「どうして――」


「――それは妹さんが化け物になってしまったからですよ」


 いやにはっきりとした声が背後から飛んでくる。


 明るい世界を後光のようにして、そこには高砂さんが立っていた。


「妹を悪く言うつもり」


「気に障ったらごめんなさい。ですが、本当のことですよ。それをお見せいたしましょうか」


 綺華が悲鳴を上げる。待って、高砂さんへと叫ぶ。


 だけども、その顔に浮かんでいる表情はなんて美しくも残忍なんだろう。


 死刑執行人かはたまた裁きを受け持つ女神か。


 ここにはいない誰かへ合図を出すように、その指が鳴った。


 パッと天井の明かりが光りだす。


 世界が白塗りに染め上げられる。うっと痛む視界の先に、ぼんやりと見える巨体があった。


 それが何かを確認するよりも早く、綺華の絶叫がこだまする。それと同時に、その巨体も悲しげな咆哮をとどろかせた。

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