第22話 「冷たさと熱さと」

 七夕しちせきちゃんは四肢をばらばらに投げ出し、捲れたスカートを直そうともしない。乱れた髪が青白い恐怖に固まった顔にかかっている。


 あらぬ方向を向いている目。そこにあのロボットのような知性の輝きはない。


 死んでる。


 うっと胃の中のものがこみあげてくる。吐き出そうとするけど、何も出てこない。出てこないのになおも吐くのをやめようとしなかった。


 心の中に浮かんだ衝撃と悲しみを吐き出そうとするように。


 目線を外すことができない。見たくないのに見続けてしまう。


 瞬きもせずに凝視ぎょうししていると、七夕ちゃんの体が血液の中へと沈んでいく。


 ずぶずぶと、そこに穴でもあるかのように。


 いや違う。あの銀色の手が彼女に群がって、引きずり込もうとしている。


 1歩、2歩、吐き気をこらえながら近づいていく。でも、七夕ちゃんの体はみるみる吸い込まれていって。


 最後に、七夕ちゃんの生気のない目がぎょろりと向く。


 ――なんでこんな目に遭わなければいけないの。


 そう言っているような気がした。


 トプンと七夕ちゃんは、血だまりの中へと消えてしまった。それでもわたしは近づく。


 シミのような赤い液体を見下ろせば、ツンと鉄くさい臭いがした。


 見間違いでも幻覚でもない。


 血だ。本物の血液。


 その赤い液体の中に、きらりと光るものが浮かんでいる。


 手を突っ込み、とろりとした液体をさらう。つんと冷たい感触に、銀の腕に引きずり込まれるかと思ったけれどもそうじゃない。


 引き上げてみると、それはメガネだった。


 七夕ちゃんがかけていたメガネは、太いリムはぞうきん絞りでもされたみたいに歪み、レンズには無数に傷が入っていた。


 持ち主をなくし悲しみを血を流しているみたいに。


 それだけが、七夕ちゃんがいたことを示すたった1つの証拠のような気がして。


 失わないようにぎゅっと抱きしめる。


「カコちゃん……?」


 背中でそんな声がして、悲しみに暮れていたわたしの心は現実へと連れ戻された。


 そうだ。浮野うきのちゃんは今のを見ていたんだろうか。


 そっと様子をうかがえば、もぞもぞ動いている。今まさに目を覚ましたとばかりに寝ぼけ眼をこすっている。


 なんていえばいいんだろう。


 七夕ちゃんは死んじゃった――なんて言えるわけがない。


「死んだのですよ」


 りんと響いた声に顔を上げると、そこには高砂たかさごさんがいた。天使のような笑顔を浮かべ、正しい言葉を並べ立てていく。


 流水のようにさらさら流れていく言葉を、ほとんど聞いちゃいなかった。


 背負った浮野ちゃんがぷるぷると震えだす。口かられてくる声なき声が、嗚咽おえつへと変わって、背中を生暖かいものが濡らしていく。


 カッと頭に熱がこみあげる。


 それはあのサーカステントで感じたものとほとんど変わらないもの。いや、それよりもずっと強くて激しい怒り。


 その激烈な感情に翻弄されて。


 乾いた音が迷宮に鳴った。


 我に返れば目の前に、赤くなった頬を押さえる高砂さんがいた。


 やってしまった。高砂さんを殴ってしまった。


 そんな後悔が手の痛みとともに浮かんでくる。今まで誰かを叩いたこと、なかったのに。


 高砂さんが悪いんだと開き直ることもできたのかもしれない。


 真実を伝えるのだって大切だと思うし、いつかは知らないといけないのだから。


 友人がいなくなったことを。


 死んでしまったことを。


「……ごめん」


 でも、わたしの言葉は笑い声にかき消された。


 高砂さんは笑っていた。


 赤くなった頬を宝物でも撫でるようにして。


 それが、迷宮を出る前に見た最後の光景だった。

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