第5話 笑うカラクリ人形の涙



『ケタケタケタケタケタケタケタ!!!』


 狂ったような笑い声が、博物館中に響き渡っていた。


 かけるが第二展示室に飛び込むと、江戸時代のカラクリ人形が暴走していた。『茶運び弁丸』と書かれた人形が、激しく上下に揺れながら笑い続けている。


『アハハハハ! ケタケタケタ! ギャハハハハ!』


 でも、その笑い声は全然楽しそうじゃない。むしろ——


「苦しそう……」


『ケタケタ! 苦しい? 何言ってんだい! 俺は笑うのが仕事! ケタケタケタ!』


 弁丸の木製の顔は笑顔で固定されている。でも、よく見ると細かいヒビが入っていた。笑いすぎて、壊れかけている。


「弁丸さん、大丈夫?」


『大丈夫に決まってるだろ! 二百年間ずっと笑ってる! ケタケタ! 楽しくて楽しくて死にそうだ!』


 「死にそう」のところで、声が震えた。


 かけるは弁丸に近づいた。笑い声の合間に、小さな音が聞こえる。


 ギシッ、ギシッ。


 木の体が悲鳴を上げていた。


「もしかして……泣きたいの?」


 笑い声がピタリと止まった。


 長い沈黙。


 そして——


『……バレた?』


 弁丸の声が、急に小さくなった。


『俺、本当は一度でいいから、思いっきり泣きたいんだ』


 かけるは驚いた。笑い続ける人形が、泣きたいなんて。


『俺を作った職人の親方はさ、奥さんを亡くしたばかりだった』


 弁丸の声が震える。


『毎日毎日、工房で泣いてた。「なんで先に逝っちまったんだ」って。見てられなくてさ』


「それで?」


『親方は俺を作りながら言ったんだ。「せめてお前だけは、いつも笑っていてくれ」って。だから俺の顔は——』


 弁丸が首を振る。カラクリがギシギシ鳴った。


『笑顔で固定された。二度と、他の表情はできない』


 かけるの胸が痛くなった。


『親方が死ぬとき、俺は笑顔で見送った。本当は一緒に泣きたかったのに!』


『関東大震災のときも笑ってた! 東京大空襲のときも笑ってた!』


『みんなが泣いてるとき、俺だけ笑ってた! 地獄だよ!』


 弁丸の体が激しく震えた。


『知ってるか? 笑い続けるのって、泣くより百倍つらいんだ!』


 かけるは弁丸の手を取った。冷たい木の手。でも確かに震えている。


「今なら泣けるよ」


『無理だ! 顔が動かない! 涙も出ない!』


「顔じゃなくていい。心で泣けばいい」


『心で?』


「うん。ぼくも一緒に泣くから」


 かけるは弁丸をぎゅっと抱きしめた。


 すると——


 目の前に、江戸時代の工房が浮かび上がった。


 若い職人が、泣きながら人形を作っている。


「この子が笑っていれば、きっとまた笑える日が来る……」


 親方の声だ。


「頼むよ、弁丸。みんなを笑顔にしておくれ」


 愛情を込めて、丁寧に、弁丸は作られていく。


『親方……』


 弁丸の声が震えた。


『俺、頑張ったよ……二百年、ずっと笑ってた……でも、でも……』


 ダムが決壊したように、弁丸の心が泣き始めた。


『寂しかった! つらかった! 親方に会いたかった!』


『一緒に泣きたかった! 一緒に笑いたかった! 本当の笑顔で!』


 木の顔は笑ったままだ。でも、弁丸の魂が、二百年分の涙を流している。


 かけるも一緒に泣いた。弁丸の苦しみが、痛いほど伝わってくる。


「よく頑張ったね、弁丸さん」


『うわあああああん!』


 弁丸の慟哭が、展示室を震わせた。


 十分ほど泣いた後、弁丸の震えが収まった。


『……すっきりした』


 不思議なことに、同じ笑顔なのに、弁丸の表情が違って見えた。


 優しくて、温かい笑顔になっている。


『ありがとう、かける。やっと本当に笑える』


「よかった」


『でもさ、これからも笑い続けるよ』


 弁丸がカラクリの音を鳴らす。


『今度は、自分の意志で。だって、笑うって素敵なことだもん』


「うん、弁丸さんの笑顔、最高だよ」


『へへっ、照れるなあ!』


 今度の笑い声は、心から楽しそうだった。


 そのとき——


「また会ったね」


 振り返ると、入り口に黒いフードの少年が立っていた。キオだ。


「キオ!」


『あっ、お前! また来たのか!』


 弁丸が警戒の声を上げる。


 キオはフードを下ろした。かけると同じくらいの年齢。でも、その青い瞳は——


「なんで、そんなに悲しそうなの?」


 キオの目に、涙が浮かんでいた。


「君には聞こえないの? この人形の本当の声が」


「聞こえたよ。それで一緒に泣いた」


「嘘だ!」


 キオが叫んだ。


「展示品たちは苦しんでる! 悲しい記憶に縛られて、永遠に苦しんでる!」


「そんなこと——」


「聞こえるんだ! 戦争の記憶! 死の記憶! 別れの記憶! 全部!」


 キオの声が震えた。


「だから消してあげるんだ。声を消せば、もう苦しまなくて済む」


『ふざけるな!』


 弁丸が怒鳴った。


『確かに苦しかった! でも、それも含めて俺の記憶だ! 勝手に消すな!』


 キオが驚いて弁丸を見た。


「でも、君は二百年も——」


『泣いたらすっきりした! かけるのおかげで、本当の笑顔になれた!』


 弁丸の言葉に、キオの表情が揺れた。


『苦しい記憶も、楽しい記憶も、全部大切なんだ! それが俺たちの「生きた証」なんだから!』


 キオの膝ががくんと折れた。


「でも……でも、妹が……」


 キオが泣き崩れた。


「妹の人形が、毎晩泣いてる……「お兄ちゃん、助けて」って……でも、もういない……」


 かけるは、キオの隣に座った。


「だから、展示品の声を消そうとしたの?」


「これ以上、苦しい声を聞きたくない……」


 キオの肩が震えている。


 かけるは、そっと手を置いた。


「一緒に、妹さんの人形に会いに行こう」


 キオが顔を上げた。涙でぐしゃぐしゃだ。


「一緒に?」


「うん。きっと、違う声も聞こえるから」


 その夜、三人は約束をした。


 明日、キオの家に行く。妹の人形と向き合う。


 きっと、新しい何かが見つかるはずだ。

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