語るモノ、語られる僕-夜の博物館で、ぼくは“声なきモノ”と出会った-

ソコニ

第1話 博物館の夜が、ひらく



『助けて——』


 土器が泣いていた。


 春崎かけるは飛び上がって、手にしていたゲーム機を落とした。閉館後の博物館『星屑ギャラリー』。いつものように母の仕事が終わるのを待っていただけなのに。


「だ、誰!?」


 第一展示室には誰もいない。薄暗い照明の下、ガラスケースが並んでいるだけ。でも確かに聞こえた。女の子の、泣き声が。


『お願い……聞いて……』


 また聞こえた。今度ははっきりと。声の出所は——縄文土器?


 かけるの足がガタガタ震えた。逃げたい。でも、その声があまりにも悲しくて、必死で、放っておけなかった。


「き、君……土器なの?」


『やっと……やっと聞いてくれる子が来た!』


 土器が激しく震えた。いや、震えているように見えた。五千年前の素朴な器から、本当に声が聞こえている。


『私、マロ! ずっと待ってた! 五千年も!』


「ご、五千年!?」


 かけるは腰を抜かしそうになった。五千年前って、教科書で習った縄文時代じゃないか。


『お願い、私の話を聞いて! このままじゃ、ユミが——』


 マロの声が途切れた。土器の表面に、水滴が浮かんでいる。涙? 土器が泣いている?


「ユミって誰?」


『私を作った女の子! 十歳の、あなたと同じくらいの!』


 マロが堰を切ったように語り始めた。


『ユミのお母さんが病気でね。もう長くないって。それでユミは毎日毎日、泥をこねて私を作ったの』


 かけるは土器に近づいた。よく見ると、小さな手の跡がたくさん残っている。


『「お母さんが元気になりますように」って、百回も千回も願いを込めて! 手が真っ赤に腫れても、やめなかった!』


「それで、お母さんは?」


『間に合わなかった!』


 マロが叫んだ。展示室中に、その悲痛な声が響き渡った。


『私が焼き上がる前日に、死んじゃった! ユミは私を抱いて、朝まで泣いてた! 「ごめんね、マロ。間に合わなくてごめんね」って!』


 かけるの胸が、ぎゅうっと締め付けられた。目の前がぼやけてくる。


「そんな……」


『でもね、最後にユミが言ったの。「マロには、お母さんの分まで長生きしてほしい」って。それで私、五千年も生きてる。でも——』


 マロの声が震えた。


『ユミの声が薄れていく! もう顔も思い出せない! このままじゃ、ユミの想いが消えちゃう!』


 かけるは、はっとした。


 三年前、父さんが交通事故で死んだ。その日から、母さんは声が出なくなった。医者は「心因性失語症」だと言った。でも、かけるにはわかる。母さんは、父さんの名前を呼ぶのが怖いんだ。呼んでも、もう返事が返ってこないから。


 だから母さんは、声を失った。


 でも、このままじゃ父さんの声も、笑顔も、全部忘れてしまいそうで——


「わかる!」


 かけるは叫んでいた。


「ぼくも同じだ! 父さんの声が、だんだん思い出せなくなってる!」


 涙がボロボロこぼれた。もう止まらない。


「母さんは毎日笑ってるけど、本当は泣きたいんだ! でも声が出ないから、泣くこともできない!」


『かける……』


「忘れたくない! 父さんのことも、父さんと母さんが笑ってた頃も! でも、どんどん薄れていく!」


 かけるは床に膝をついて、声を上げて泣いた。博物館中に、その泣き声が響いた。


 すると——


 展示室全体が、ふわりと光り始めた。


『みんな、起きて! やっと来たよ! 私たちの声を聞いてくれる子が!』


 マロの呼びかけに、展示品たちが次々と目覚めていく。


 壁の絵画がざわめき、刀がかすかに鳴り、人形が首をかしげる。棚の奥の石器が震え、ガラスケースの中の装飾品が輝く。


『本当だ!』『聞こえてる!』『やっと話せる!』


 何百という声が、一斉に響いた。みんな、ずっと誰かに聞いてほしかったんだ。


「こんなにたくさん……」


『私たちはモノだけど、想いを持ってる! 作った人、使った人、大切にした人の想いが宿ってる!』


 マロが誇らしげに言った。


『でも、普通の人には聞こえない。心を閉ざしてる人には、私たちの声は届かない』


「じゃあ、なんでぼくには?」


『あなたが泣いたから』


 マロの答えは、シンプルだった。


『本当の涙を流した瞬間、あなたの心の扉が開いた。だから聞こえるようになった』


 そのとき、廊下から足音が聞こえてきた。


「かける? こんなところにいたの」


 母さんだった。慌てて涙を拭いたけど、間に合わない。母さんは心配そうに駆け寄ってきて、手話で聞いた。


『泣いてたの? 大丈夫?』


 かけるは首を横に振って、精一杯の笑顔を作った。そして、手話で返した。


『大丈夫。ちょっと、懐かしくなっただけ』


 母さんは優しくかけるを抱きしめた。温かい。でも、その肩が小さく震えているのがわかった。母さんも、本当は泣きたいんだ。


 帰り道、かけるは何度も振り返った。星屑ギャラリーの窓が、さっきよりも明るく見える。展示品たちが、手を振っているような気がした。


「明日も来る」


 小さく呟いた。


「みんなの話、全部聞く。そして——」


 かけるは母さんの手を強く握った。


「いつか母さんにも、みんなの声を伝えたい」


 空には星が瞬いていた。今夜から、かけるの本当の冒険が始まる。


 でも、博物館の入り口の陰で、一つの影がじっとかけるを見つめていることには、まだ気づいていなかった。


『また一人、聞こえるようになったのか……』


 影は苦い顔をして、闇に消えた。

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