第46話 町火消し誕生

江戸・南町奉行所の一室。

ざっと六名の町名主たちが、畳に正座して控えていた。


いつもより少し堅い空気。

誰からともなく、ひそひそ声が漏れる。


「しかし、あの日の火事はひどかった……まさかあそこまで延焼するとはな」

「今日の呼び出しも、それと関係があるんじゃねぇかって噂だよ」

「火事の後に奉行所……火消しの話か、それとも町の立て直しか……」


襖がすっと開き、南町奉行・大岡忠相が姿を現す。

名主たちはすぐさま頭を下げた。


「御奉行様」


「うむ、今日はよく集まってくれた。此度は、わざわざ足を運ばせてすまぬな」


「いえ、御奉行様。これしき、なんてことはございません」


「して、本日はどういったご用件で?」


忠相はひとつうなずき、腰を下ろして静かに語り始めた。


「……上様が、先日の火事を大変重く受け止めておられる。町屋を守るため、新たに“町火消し”を設けようとのお考えじゃ」


名主たちは顔を見合わせ、ほっとしたような、期待を含んだような表情を浮かべた。


「町火消しでございますか……それはありがたいことにございますな」


と、その時。

控えていた役人がそっと戸を開け、小声で忠相に耳打ちする。


「御奉行様、お客様でございます。“吉川徳宗”と名乗る武士の方が、突然お見えになりまして……」


「……吉川殿?」


忠相の眉がわずかに動いた。


「通してくれ」


ほどなくして、障子が開く。

そこに現れたのは、端正な袴姿に身を包んだ武士だった。

姿勢は堂々とし、衣服は質素ながらも手入れが行き届いている。

髷もきちんと結われ、目元には静かな自信が宿っていた。


その佇まいに、場の空気が自然と引き締まる。

名主たちが戸惑いの表情を浮かべる中、忠相はゆっくりと立ち上がった。


「……上様」


その一言に、名主たちの顔色が変わった。


「し、将軍様……!?」

「これは……!」


次の瞬間、全員が慌てて正座を崩し、畳に手をついて頭を下げる。


吉宗は軽く手を振って、それを制した。


「顔を上げよ。今日は“吉川徳宗”として来ておる。堅苦しいのは抜きにしてくれ」


一同は戸惑いながらも、恐る恐る顔を上げた。


「で、ですが……上様が、じきじきに……」


「民の声を聞きたくてな。直接足を運んだ方が早いと思ったのじゃ」


そう微笑む吉宗に、名主たちは再び頭を垂れた。



「では、仕切り直そう。此度、幕府の方針として――町屋を守る“町火消し”を正式な組織として立ち上げることとなった」


名主たちは顔を見合わせ、軽く頷いた。


「ただし……この火消しは幕府の管轄には置かぬ。あくまで、町人たちによる、町人のための組織だ」


「と申しますと……?」


「つまり、組織の運営、人数の確保、そして費用の負担も――すべて、各町で担っていただくことになる」


一瞬、場に沈黙が走る。


やがて、町年寄の一人が口を開いた。


「……つまり、火消しのための金も人も、町で用意せよと?」


「左様。幕府からの常時の支援は無い。だが、火事があった際には、町奉行より“褒美”や“助成”が出る形で支えるつもりだ」


名主たちは静かにうなずいた。


「……なるほど。要するに、今までやってきたことを、正式な形に整えるということですな」


「そうだ」


「では、区分けと人数についてご相談を……」


「まずは人数と組数を考えねばなるまいな」


「鳶職を軸にすれば、人数はある程度揃いましょう。町ごとに親方もおり、弟子もおりますゆえ」


「その親方、江戸中ではどのくらいおるのだ?」


「四十か、五十……」


「ふむ……だが、それだけではいささか心もとないな。いざという時のこともある」


「大工や左官も加えればどうでしょう。建物に明るい者なら火消しも務まります」


「ただし、常勤は難しいかと。大工も商売がございますので、火事の際のみ呼び出すということであれば――」


「構わぬ。町火消しは“いざ”に備える者たち。常駐の武士とは役目が違う」


「それなら、鳶と大工で組を組み、五十ほどに割るのがよろしいかと。町ごとに頭を立て、組織を明確に」


「住まいも組の近くにせねばなりませんな。駆けつけられぬ火消しでは意味がありませぬ」


「では、町ごとに人員の見通しを立て、奉行所へ届け出るようにせよ」


「はっ、かしこまりました」



名主たちが引き揚げた後、吉宗と忠相は城内の一室に地図を広げ、江戸の町割を睨んだ。


「おおよそ二十町ごとに一区とし、隅田川より西を“いろは四十7組”」


「そして、隅田川の東――本所・深川を担当する組を十六。合わせて六十三組にございますな」


「うむ。それぞれの組に纏まといと幟のぼりを用意させよ。いざ火事となったとき、どこの組か一目で分かるようにな」


「ははっ」


吉宗はふっと笑い、そして真顔に戻った。


「火事は恐ろしい。だが、町人の力で町を守るという強き思いがあれば、きっと乗り越えられる」


「御意にございます」


こうして、新たな仕組み――町人による町人のための火消し組織、「町火消し」が誕生した。

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