第33話 お庭番って忍者じゃないの⁉︎
江戸城・中奥の一室。
窓越しに江戸の町を見やりながら、吉宗は静かに言葉を漏らした。
「……城に籠もっていては、世の中の動きがわからぬな」
近くに控えていた久通が小さく頷く。
「御城内の報告だけでは、町の空気までは伝わりませぬ。ましてや、大名たちの腹の内となれば……」
吉宗は唸るように息をついた。
「わしの目と耳となる者が必要だ。世間を見渡し、異変を探り、忠実に報告してくれる者が」
ふと、懐かしげな眼差しを浮かべる。
「……そうだ、紀州にはおったな。密かに隠密御用を任せていた者たちが」
その言葉を口にした瞬間、脳裏に浮かんだのは、若かりし日の自分の姿だった。
*
あれはまだ、紀州藩主として日が浅かった頃のこと。
「隠密御用」という言葉に胸をときめかせた吉宗は、好奇心からその者たちに会ってみたくなり、城に呼び寄せた。
「殿、こちらが町方の見回りを密かに続けていた者たちにございます」
現れたのは、見るからに地味な身なりの中年武士たち。
よく見れば、町人と見分けがつかぬほどの姿をしている。
(え……これが“隠密”?)
(もっとこう、黒装束で顔に布巻いて、手裏剣投げたり、煙玉投げて消えたり――)
期待していた“忍者像”とはあまりにかけ離れていたため、思わず口が半開きになった。
(全然、忍者じゃないじゃない……!)
(テレビに騙されたー!)
拍子抜けしたものの、後日あがってきた報告には商家の裏取引、寺社の不正会計、さらには藩士の素行まで――事細かに記されていた。
「……見た目は地味だけど、やることはすごいのね……」
当時そう呟いた自分を思い出し、今の吉宗は思わず口元を緩めた。
*
「まさか……あの者たちを、江戸へ?」
久通が目を見開いた。
「うむ。紀州で鍛えられた腕利きの者どもだ。名は明かさずとも、忠義と才覚は折り紙付き。江戸でも必ず役に立つ」
「では、御目付け役に――」
「いや、表立った役にはせぬ。裏から支える役だ。“お庭番”という名を与えよう」
吉宗は机に向かい、筆を取る。
「……お庭番? 上様、“お庭番”とは、どういう意味でございますか」
「その名の通りだ。将軍家の庭先に控え、目立たぬように動き、万が一に備える。――その実、将軍の命を受け、密かに動く隠密よ」
「なるほど……表では風を読み、裏では人の動きを読む。まさに陰の支えというわけですね」
「そうだ。庭先に仕えながら、幕府全体の風向きを察する者――それが“お庭番”だ」
「ふふ……頼もしい限りにございます。では、早速、呼び寄せの手配を」
「うむ、任せた」
筆を走らせながら、吉宗は小さく笑った。
(今までになかった役職だもの、ちょっとくらい忍者っぽくしても問題ないわよね)
(でも……目立っちゃうか。ほんとうに恐ろしいのは、静かに見抜く“目”と“耳”なのよね)
「ふふ……まさか隠密の再登板を考える日が来ようとはな。だが、これも改革の一歩よ」
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