第24話 食費を削れ!吉宗の挑戦
ある日、私は久通を連れて、久々に町へと足を運んでいた。
「おお、ずいぶんと賑わっておるのう、久通」
「はっ、これも殿が世をお治めくださっている賜物にございます」
「ほう、それはわしのおかげとな?」
「左様にございます」
「ふん、そのようなヨイショは一文の価値もないわ」
冗談めかしたやりとりを交わしながら、私は町の通りをゆっくりと歩いた。
露店が並び、威勢のいい声がそこかしこで飛び交っている。
「いらっしゃい! 今朝獲れたイワシだよ、1匹一文!」
「安いよ安いよ!」
ふと目の前で、魚屋の店主が大声を張り上げる。
「お嬢ちゃん、今夜の晩めしにどうだい? 一文でいいよ!」
籠を下げた町娘が恥ずかしげに笑って通り過ぎていく。その様子に、私は思わず声をかけた。
「ほう、店主。ここのイワシはそんなに安いのかか?」
「へい、いらっしゃいませ! もちろんでさ、安さも質も紀州一のイワシでございますよ!」
「ほう……たしかに身が締まっておる。なかなか良い魚じゃ」
「さすがお武家様、お目が高ぇ!」
「ふふん、褒めても何も出ぬぞ」
「へへっ……」
私は手に取った一尾を眺めながら、ふと眉をひそめた。
「む……しかしこの一尾、少々小ぶりではないか? これが他のと同じ値とは、少し腑に落ちぬのう」
「いやいや、旦那、一文ってぇのはもう底値でさ。これ以上はさすがに……」
「そうか? だが、同じ値で大小取り混ぜとは、そなたが他所の店で買うときにも腑に落ちぬであろう?」
「……ま、そりゃあ……」
「ならば、こうしよう。二匹で一文、これでどうだ?」
「さすがに、それはちょいと無理でさ……」
「ふむ。では、そなたの店を贔屓にするというのは?」
「……へい?」
「贔屓にする代わりに、二匹で一文。それでどうじゃ?」
「……それでしたら、五匹買ってくだされば、一匹おまけってことで、どうでしょう?」
「むぅ……三匹で一匹おまけにせよ」
「……うぅーん……わかりやした。四匹で一匹おまけ、これで勘弁してくだせぇ!」
「うむ、それで良い。では、四文じゃ」
「へい、毎度ありがとうございやす!」
店主が包みを差し出しながら、にこやかに頭を下げた。
「お武家様、本当にまた来てくださりやすよね?」
「おう、わかっておる。――明日、お城に参れ」
「……へ?」
「店主、黙っていてすまぬ。こちらのお方は紀州藩主、徳川吉宗公であらせられる」
「な、ななな……!」
魚屋は目を丸くして、包みを手に固まった。
「明日、城へ来い。今後の仕入れについて話をしよう」
ぽかんと口を開けたまま固まる魚屋を背に、私と久通は城への帰路についた。
「殿、お気に召されたようで何よりですな」
「うむ。良い買い物ができたの」
私は風呂敷を軽く掲げ、にんまりと笑った。
「イワシ五匹と、信頼を一つ。――上々じゃの」
久通はふっと笑いを漏らし、軽く頭を下げた。
「……まこと、商いの才におかれても、お見事にございまする」
「ふふ、主婦の値切りを甘く見るでないぞ」
夕暮れの町を背に、私は満足げに歩を進めた。
*
翌日。
緊張した面持ちで、昨日の魚屋の店主が城の門をくぐっていた。
普段着ではなく、きちんとした羽織に袴。髪も整えてはいるが、顔には「なんでこんなことに……」という戸惑いがにじみ出ている。
通されるままに御座の間へと進み、畳に両手をついて頭を下げた。
「紀州徳川のお殿様にお目通りなど、恐れ多いことでございます……!」
「頭を上げよ、店主。あれほど見事なイワシを扱っておる者に、礼を欠くわけにはいかぬ」
「……は、はぁ……(いやいや、昨日までただの値切り好きなお武家様だったのに)」
緊張のあまり、膝が小刻みに揺れている。
吉宗は笑みを浮かべ、昨日のやりとりを思い出すように頷いた。
「さて、昨日の話じゃが――。おぬしの店から、城への魚の仕入れを考えておる」
「へ⁉︎ し、仕入れを……?」
「うむ。これまでの仕入れは、少々高すぎる気がしてな。おぬしほどの目利きなら、質の良い魚を手頃に揃えられよう?」
「い、いやいや、光栄の至りにございますが……拙者ごときが、城のご用達など……」
「値切り交渉に応じられる誠意と商いの度胸。これがあれば十分じゃ」
吉宗はふと、帳簿をめくりながらつぶやく。
「このイワシ、他の店では五文と書かれておる。昨日は四文で一匹おまけ……ふむ、やはり、おぬしの方が良い」
「……うわっ、まさか値段まで記録なされておられたとは……」
「当然じゃ。私は、藩の財布を預かる身ゆえな」
店主はもう、ただひたすら平伏するばかりだった。
「ありがたき幸せ……誠心誠意、務めさせていただきまする!」
吉宗は笑って頷いた。
「では、明日より納入を頼むぞ。あ、もちろん値段は……昨日の値段でな?」
「えっ……!?」
店主の目が丸くなる。
「いやいや、あれはその……まさか、本気で?」
「本気じゃ」
「いやいや、お殿様、あれは特別価格でござんすよ。ああ見えて、あっしも生活がありやして……毎回となると、さすがに……」
吉宗はふむと頷き、少し首を傾げた。
「そうか……では、こうしよう。其方の店には“紀州藩御用達”の看板を出してよいとする。それでもなお、高いと申すか?」
「……!」
店主の顔がぴくりと動いた。
「御用達ともなれば、城下での信用も売上も跳ね上がるぞ? むしろ、昨日の値より引いてもよいくらいじゃ。ニ文で三匹くらい、な?」
吉宗がニヤリと笑うと、店主は手を合わせて頭を下げた。
「わかりやした! 昨日の値段で、ぜひお願いしやんす!」
「うむ、良きにはからえ。楽しみにしておるぞ」
こうして、主婦吉宗は食費の節約に成功したのだった。
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