馬券の購入は二十歳になってから

「こちらです」


 秋樫さんに連れられてやって来たのは、建物の中。

 近くの入り口から入ってすぐのところにある券売機が並んだ場所だった。


「これって……」


「自動発売機です。ここで馬券を購入したり、的中した馬券を払い戻したりできます」


「おお……なんというか、思ったよりも……普通だ」


 ぱっと見だと駅に置いてある券売機と大して変わらないように見える。

 ……ん、というか——、


「あの、秋樫さん。ここに連れてきたってことは、もしかして——」


「はい! ぜひ菊月さんも買ってみましょう——馬券……!」


 うん、やっぱりか。

 だろうなとは思ってたけど、想像以上に早速だったな。


「……あっ、勿論、菊月さんがよろしかったらの話ですが……! すみません、私一人で先走ってしまって。嫌なら、断ってもらっても全然構いませんから……っ!」


 あわあわと両手を前に振る秋樫さん。

 絹のように白い頬がほんのりと赤くなっている。


「まあ、それは全然構いませんけど……どうして馬券を?」


「えっと、それは……菊月さん、先ほど仰ってましたよね。自分も夢中になれるものが欲しい、と。ですから、私の好きなことをぜひ菊月さんにも体験してみて欲しいな……なんて。そして、あわよくば菊月さんにも競馬の魅力を知って欲しいな、と思いまして」


「ああ、なるほど」


 だから馬券購入というわけか。

 とりあえず、それは分かったけど——、


「秋樫さんはそれでも良いんですか?」


「と、言いますと……?」


「なんて言うか、その……僕が一緒にいて。ほら、さっきまで一人になりたがっているように見えたので」


 言えば、秋樫さんは「ああ」と短く声を発すると、柔らかな微笑を浮かべて、こくりと頷いてみせた。


「……はい。だって、菊月さんは私の好きなことを馬鹿にしたり、白い目で見たりしませんでしたから。ですので、菊月さんなら……良いです」


 ——これは、ひとまず信頼して貰えたってことでいいのかな。

 

 まあ何にせよ、だ。

 折角、秋樫さんが勇気を出して誘ってくれたんだ。

 だったら、尚更断るわけにはいかないよね。

 それに有田くんの用事が終わるまでまだまだ時間はあるし。


「それじゃあ……うん、なら一度買ってみましょうか」


 途端、秋樫さんの表情がぱあっと明るくなった。


「ありがとうございます! では、早速購入を……と言いたいところですが、その前にパドックを見に行ってみましょうか。この時間ならまだやっているはずですので」


 こちらに来てください、と弾んだ声で案内される。

 後ろを着いてけば、少し前に巨大スクリーンで見た下見場があった。

 広場に視線をやればさっきと同様、十何頭かの馬がぐるぐると周回していた。


「こちらがパドックです。ここでは、これからレースに臨む競走馬のコンディションを確認したりします。競走馬の気持ちを落ち着けることもパドックの役割とされていますね。ここでの良し悪しがそのまま勝敗に繋がるというわけではないので、オッズや直近の戦績だけで判断したり、もしくは己の直感に委ねて購入するのも悪くありませんが、可能であれば確認しておくことをお勧めしますよ」


「なるほど」


 やっぱり下見の為の場所だったか。

 相槌を打ち、パドックとやらの中を歩く馬たちをじっと観察してみる。

 ………………うん、全く分からないや。


 少なくとも僕にはただ歩いているようにしか見えない。

 分かることといえば、体毛の色が違うとか体が大きい小さいとか、元気いっぱいそうとか大人しそうとか、精々その程度だ。

 それでも暫く観察を続けてみたが、結局それら以上のことは分からずじまいだった。


 そういえば秋樫さんは、馬の一体どこを見ているのだろうか。

 ふと気になって、ちらりと隣に視線を遣れば、


「——十二番クリスタルメモリー、歩様問題なし。前進気勢もあって、胸前の肉付きもいい。目立つ程の発汗もしてないし、調子は悪くなさそうですね。前走は先行した馬が突き抜けて負けてしまいましたが、今回は六枠で人気どころは内側に固まっている……このメンバーであれば、前目につけることが出来れば勝ち切れる見込みはありそうです。懸念点は、中一週であることと冨樫騎手への乗り替わり。果たしてこれらが吉と出るか凶と出るか……」


 秋樫さんはぶつくさ呟きながら、ペン型デバイスを使っていつの間にか取り出したタブレットに何かを書き込んでいた。


 おお……完全に自分の世界に没頭しちゃってる。

 あとスタンドにいた時も思ったけど、秋樫さんって結構考えていることが声に出るタイプなんだな。

 相変わらず何を言っているのはさっぱり分からないけど。


 などと思いつつ、集中している秋樫さんを眺めていれば、程なくして秋樫さんははっと我に返ったように慌ててこちらに振り向く。


「す、すみません! つい、いつもの感覚でパドックを観察してしまってました……っ!」


「あはは、気にしなくて大丈夫ですよ。予想に夢中になっている秋樫さんは、見ていて面白いですから」


 ちょっと怖いと感じる時はあるけど……。


 後半の言葉は胸の中で押し留めるも、秋樫さんは胡乱な眼差しを向けてくる。


「菊月さん……もしかして私のことからかってたりしてませんか?」


「まさか! 全くそんなつもりはないですよ。素直に楽しいと感じてるだけで……!」


「……まあ、それならいいのですが」


 言って、秋樫さんはつんと澄ました表情からころりと笑顔に切り替えると、再びパドックを観察し始める。

 子供のように目を輝かせる彼女を見て、僕はなんだか微笑ましくなった。

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