第11話 ふたたび、忌みの塔へ(2)

 ゆっくりと鍵が回る音がする。


「!!」


 アドリアーナはあわてた。


「イルザ、だめよ、今、入らないで———」

「アドリアーナ王女殿下!? 頭が痛むのでございますか? 大丈夫ですか!?」


 両目を押さえて体を折っているアドリアーナを見て、心配したイルザが部屋に駆け込んできた。


「イルザ———!!」


 イルザが優しくアドリアーナの両手を掴んで、そっと顔から外す。

 イルザの表情が固まった。


「アドリアーナ王女殿下……!?」


***



 アドリアーナは呆然として、目の前に現れたイルザの顔を見つめた。


 肩で切り揃えた栗色の髪が乱れている。

 イルザの丸い大きな栗色の瞳が、驚きに見開かれて、アドリアーナの赤い瞳をまっすぐに見つめていた。


(どうしよう……!! メガネを外した状態で、イルザの目を見てしまったわ)


 アドリアーナは動揺した。


「イルザ……イルザ……どうしよう、ごめんなさい、イルザ———」


 忌みの塔で、アドリアーナによくしてくれた、年頃の近い少女。

 邪眼を持つ自分は、この少女に不幸をもたらしてしまうのだろうか。


 その時だった。


 イルザの表情が変わった。


 目がとろんとして、体がふらふらと揺れている。

 しかし、突然イルザは立ち上がると、アドリアーナの前で、深々と頭を下げて言った。


「アドリアーナ王女殿下、何かご用でしょうか?」


 アドリアーナは困惑して、イルザを見つめる。

 しかし、イルザはただただ、アドリアーナの命令を待っているようだった。


 どういうことだろう?

 わたくしの、命令を待っているの?

 何でも言うことを聞いてくれるのかしら?

 それなら、わたくしが一番望んでいることを言っても、いいのかしら……?


 アドリアーナは、ごくりと喉を鳴らす。


「わ、わたくしを外に出して」


 アドリアーナは思いきって、そう言った。

 何が起こっているのか、アドリアーナにはわからない。

 しかし、イルザの様子は尋常ではなかった。

 イルザはただ、アドリアーナの命令を待っている。


 アドリアーナがドキドキしながら待っていると、イルザはうなづいた。


「かしこまりました。アドリアーナ王女殿下、ご案内いたします」


 そう言うと、イルザはアドリアーナの手を取って、開け放されたままだった部屋のドアから、迷うことなく塔の階段室に行き、階段を降り始めた。


 長いらせん階段を降りきると、イルザは腰に下げていた鍵束から、大きな鍵をひとつ選び、塔の入り口のドアを解錠する。


 イルザは大きくドアを開け放つと、ふたたびアドリアーナにお辞儀をして言った。


「アドリアーナ王女殿下、どうぞお気の済むまでお散歩をお楽しみください」


 夜風が、アドリアーナの茶色いドレスの裾を揺らした。

 さらり、とミルクティ色の髪が背後に流れる。


(これは普通じゃない。いくらイルザが親切でも、これはありえないこと。いったい、何が起こっているの———?)


 アドリアーナは信じられないものを見る気持ちで、とろんとした目つきで自分を見るイルザを見つめた。


「へ、部屋に戻りなさい。ドアは閉めて、鍵はかけないで。わたくしはもうしばらくここにいます」


 アドリアーナが言うと、イルザは深くお辞儀をした。


「かしこまりました」


 イルザはゆっくりと塔に戻り、ドアを閉める。鍵をかける音は聞こえなかった。


 アドリアーナはへなへなと芝生の上に座り込んでしまった。


「な、何が起こったの? わたくしは何をしてしまったの? あれは、あれは、いったい———わたくしは邪眼の力を使ってしまった? 邪眼って、本当にあるの……?」


 アドリアーナは泣きそうな顔になって言った。


「わ、わたくし、イルザを不幸にしてしまったの……!?」


 アドリアーナは満月がこうこうと周囲を照らす中、そっと塔の壁に体をもたれて、何とか落ち着こうとした。


 その時だった。


 突然、バサバサという鳥の羽音が響き、たくさんのワタリガラスレイヴンが突然、塔から飛び立った。


「!?」


 気がつくと、全身黒一色の人影が、中庭の中央に立っていた。


(いつのまに)


 その人影が満月を嫌そうに見上げた時、アドリアーナは、その人物がまだ若い男であるのに気がついた。


 全身を黒一色の服でまとめ、黒い髪は無造作に背中で束ねている。

 顔も目の下まで黒い布で巻いているため、その顔だちはわからなかったが、男の目が深い藍色をしていること、布の間からわずかにのぞく肌の色が濃いことは見て取れた。


(黒髪に藍色の瞳。黒の服。まるでワタリガラスレイヴンのよう)


アドリアーナは何かの予感を感じる。


(真っ黒で、人に慣れないワタリガラスレイヴンは一見怖いけれど、実はこの国を守っている存在でもあるわ。あの人も、もしかしたら———)


 外の世界からやって来た人間。

 そう思ったとたん、アドリアーナの好奇心が勝った。


(わたくしも、外の世界に行きたい! どうにかして、話を聞けないかしら?)


 その時のアドリアーナには、真夜中に宮殿の敷地に忍び込む人間に、どんな意図があるのかなど、考えられないことだった。


 そろそろと、慎重に体を起こす。

 気づかれないように近寄ると、アドリアーナは言ったのだ。


「あなたは、どなたですか?」

「おまえこそ、誰だ? ここで何をしている?」


 男の言葉は、あまり友好的ではなかった。

 しかし、アドリアーナは茶色いドレスの裾をちょこんとつまむと、優雅に腰を落とした。


「わたくしはアドリアーナと申します。わたくしは———夜の散歩をしているところです」

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