第3話 邪眼の王女(2)

「大変よろしいですよ。その調子でがんばりましょう。王女として立派な振る舞いを身につければ、宮殿に戻ることができるでしょう」


 閉じた本を前に、両手を膝の上で軽く組み、よどみなくエリーズの質問にすべて答えたアドリアーナ。

 エリーズはアドリアーナを心からほめ、励ました。


 エリーズの質問は、貴婦人としての身だしなみやマナーからスターリング王国の成り立ち、歴史。各国の地理、歴史。交流関係。さらには大陸共通語での会話と多岐に渡った。


 そのすべての質問に対して、アドリアーナは簡潔で的確な回答をしたのだ。

 すべては口頭でのやりとり。本や資料を開くことは許されない。

 そんな中でアドリアーナが見せた知識に、エリーズは満足げに微笑んだ。


 アドリアーナは十七歳になった。

 エリーズが七歳のアドリアーナと出会って、十年。


 アドリアーナは年相応に大人びてきた顔をほころばせた。

 

 メガネをかけた目もと、小さな鼻、小さいけれどふっくらとした口もとは相変わらずだ。


 美しかった王妃に似て、もともときれいな顔だちの子どもだった。

 長い幽閉の間にも、暗く、ひねくれた顔つきにならなかったのは、奇跡としか言いようがない、とエリーズは思った。


 十七歳になったアドリアーナは、まだ体は細いものの、すっかりと背が伸びて、年頃の少女らしく変貌した。


 今着ているのは、紺色のドレスだ。

 落ち着いた色合いだが、ウエストから下には、何段にもフリルが重なり、肘までの長さの袖の先には、ひらひらと揺れるレースがたっぷりと縫い付けられている。


 宝石類などはいっさい身につけていないが、エリーズがさまざまな色合いのレースやリボンを持ってきて、アドリアーナに装飾品として身につける方法を教えた。


 優しいミルクティ色の髪は腰まで伸びている。

 短い前髪を眉の上に垂らし、後ろの髪はふんわりと編んで、ドレスと同色のリボンでまとめたアドリアーナの姿は、とても愛らしかった。


 アドリアーナのドレスやリボン、身の回りの品物などは、実はエリーズが個人的に用意したものであることを、アドリアーナは知らない。


 チャールズ国王も、側妃ベアトリスも、忌みの塔に幽閉している王女の身だしなみなどは考えることもしなかった。


 しかし、王女としての身だしなみや振る舞いを身につけるのに、ある程度のきちんとした服装は欠かせない。

 それに、不憫な身の上の王女に、身の回りのものを多少用意してやって、悪いことがあるだろうか?


 エリーズは持参したスタイルブックを広げた。


「アドリアーナ王女殿下、ご覧くださいませ。こちらが最新のドレスのデザインですわ。貴婦人達は今、こうしたドレスを好んで着ています。本当に、格の高い宮廷服は、どんどんスカートが大きくふくらんでいくようですのよ? ふふ、こうして改めて見ると、少し大げさに思えてきますわね」


 アドリアーナが不思議そうに図版を見ている。


「エリーズ先生、こんなにスカートが大きいと、歩くのも大変でしょうね。豪華なドレスって、重いのでしょう? それに、開けたドアを通るのも大変そうだわ」


 エリーズも笑った。


「ふふ。そのために、殿方がいらっしゃるのですよ。貴婦人には、エスコートが必要です。さ、こちらはいかがですか、王女殿下。隣国グランデルマール王国のドレスのデザインです。たくさん取られたプリーツが印象的ですわね? それに、女性の髪型をご覧くださいな。髪を編んで、こうして結い上げているんです」


「まあ」

「女性の服飾ひとつ取っても、国ごとに文化の違いが感じられますね」


 興味深くスタイルブックを眺めていたアドリアーナだったが、ふと真顔に戻って、エリーズに問いかけた。


「エリーズ先生、あの……。先生は、王女の役割は、政略結婚をして、国のために嫁ぐこと、とおっしゃいましたわね? それに、貴族令嬢のほとんどが親同士の決めた政略結婚をすると」


 エリーズはうなづいた。


「はい。さようでございます。とはいえ、政略結婚というと、愛のない結婚のように思われるかもしれませんが、お互いに尊重し合い、立派に結婚生活を送っている方々も多いのですよ」


「いえ、そうではないのです」


 アドリアーナは顔を赤くしてうつむいた。


「わたくし、政略結婚が嫌だと思っているわけではないのです。むしろ、こんなわたくしでも国のためにお役に立つのなら、喜んで嫁ぐつもりでおりますの」


(いつか、わたくしの結婚が決まったら、お父様とお義母様はきっとわたくしを宮殿に呼び戻してくださる。そしてわたくしは王女として、その方に嫁ぐの)


 アドリアーナは希望に満ちた表情で、エリーズを見つめた。


 時に貴族令嬢達をゆううつにさせる政略結婚。

 しかし、塔に幽閉されているアドリアーナ王女にとっては、政略結婚は家族に認められる手段であり、自由な世界への扉が開くことであり、彼女の夢そのものだったのだ。


 しかし、アドリアーナはふと、鼻の上にずれたメガネを慌てて押し上げながら、あることに気がついた。


「でも、わたくしの『邪眼』は、どうなのでしょう……? わたくしの目は、本当に、見る者に不幸をもたらすのでしょうか? もしそうなら、わたくし、政略結婚なんて、無理ですわ。もう一生、この塔から出ることはできない———」


「アドリアーナ王女殿下」


 エリーズがアドリアーナの手をそっと握った。


「邪眼については、わたくし達、もう何度も何度も話し合いましたわね? 覚えていらっしゃいますか?」


「ええ。もちろん覚えていますわ。でも———」


「王女殿下が邪眼と言われるのは、王女殿下が珍しい赤い瞳をお持ちだからですわ。そして赤い眼が邪眼と言われるのは、古い伝承によるものです」


「ええ、建国史の中で学びました。『ワタリガラスと邪眼の王女』の伝承ですわね」


 アドリアーナはすらすらと言葉をつなぐ。


「王女が赤い眼を持って生まれた時、王国、とりわけ宮廷内に恐ろしい病が流行し、多くの貴族が死亡した。結果的に国王と王太子も死亡し、王朝は断絶。そのため赤い眼は、見るものに不幸をもたらし、王朝の滅亡を招いたとされました。またその時には、忌みの塔に棲みつくワタリガラスレイヴンが塔を去ったとも言われています。ワタリガラスレイヴンは国の守り神、ワタリガラスレイヴンが塔から去るのは、不吉な前兆です」


「つまり、あなたが邪眼と呼ばれる理由は、赤い瞳をお持ちだからです。赤い瞳は珍しいですが、まったく例がないわけではありませんわ。それに、我が国では邪眼とされますが、他国の文化では異なる場合もあるでしょう」


「ええ———」


 アドリアーナはうなづいた。


「そうですわね、エリーズ先生。きっと、どこかに———わたくしの『邪眼』を気にしない、そんな方がいらっしゃるといいのですが———」


 エリーズはパタン、とスタイルブックを閉じた。


『ワタリガラスと邪眼の王女』の伝承に登場する、赤い瞳をした王女は、忌みの塔に幽閉されたと言われている。

 しかし、ワタリガラスレイヴンが忌みの塔から去った後に、塔の内部が改められたが、幽閉されていたはずの王女は、こつぜんと姿を消していたという。


 邪眼とされた王女の行方は、わからないままなのだ。


ワタリガラスレイヴンが、邪眼の王女が忌みの塔から出るのを助けてくれたんじゃないかしら?」


 アドリアーナは期待を込めて言った。


「だって。ワタリガラスレイヴンは忌みの塔に棲んでいたし、邪眼の王女もそうよ。お互いによく知っていたのかも」


 エリーズはちょっと困ったようにアドリアーナを見た。

 ワタリガラスレイヴンはたしかに賢い生物だが、そこまで不思議な力を持っている存在とは、エリーズは考えていなかった。


「さ。アドリアーナ王女殿下、今日はグランデルマール語の会話を練習いたしましょう。我が国の言葉と並んで、大陸でもっとも広く使われている言語ですわ。教科書を開いてください」


「はい、エリーズ先生」


 いそいそと教科書を広げるアドリアーナを見ながら、エリーズは心の中でアドリアーナに詫びた。


 アドリアーナが幽閉されている理由。

 実は赤い瞳を持っているからだけではないのだが———。

 それをエリーズは言うことはできない。


(あなたを幽閉したいと思っている人物がいるのです)


 エリーズの頭に浮かぶのは、側妃ベアトリス。

 彼女は、チャールズ国王が彼女を正妃にすることを、長年願っているのだ。

 しかし、そんなことは、アドリアーナには言えない。


 ベアトリスにとって、赤い瞳は、邪魔な王女を幽閉するのに、実に都合のいい理由となった。


 王太子となることが決まっているモーリス王子と違い、生母である王妃と死別し、母の後ろ盾のないアドリアーナの立場は、非常に弱い。


 とりわけ、側妃ベアトリスには、イライザというアドリアーナよりも年上の王女がいる。

 アドリアーナの排除は、もう時間の問題でしかない。


(アドリアーナ王女殿下、わたくしがお守りすることができるといいのですけれど———)


 エリーズは、ひたすら、アドリアーナの幸せを願う。


 しかし、運命の日は、もうすぐ近くまで来ていたのだった———。

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