第19話 溢れる
――恋の始まりとはどこだろう。
一目惚れなどという言葉も耳にするが、稲妻に打たれたように、突然目の前の人物と恋に落ちる者がはたしてどれほどいるだろうか。この世界にある大概の恋というものは、ある特定の人物の言動や行動に、好意を積み重ねた結果の産物なのではないのだろうか。
では特定の人物に対する好意とは、一体どの段階で恋へと変貌するのか。笑顔が好ましいと感じたときか、肌に触れたいと思ったときか、それとも些細な用事を見繕ってその人物の元へと足を運んだときか。
いずれにせよ確かなことは、先に述べた3つの要件を全て満たすのならば、それはもう紛れもない恋だということ。
アメシスは腕の中でふるふると震える少女を見下ろした。根元から毛先まで至るところで絡まり合った銀色の髪、塗料まみれの頬、かさかさに乾いた唇。
傍目に見れば廃人同様のその少女が、今のアメシスにとってはまるで宝石のように感じられた。
「あの、アメシス様……」
少女が小さな声でつぶやいた。身じろぎをするたびに、銀色の髪束がアメシスの二の腕を心地よく撫でる。突然の抱擁に戸惑っていることは伝わってくる。しかし少女がアメシスの腕を振り払うことはない。
肌の触れ合う場所からたくさんの感情が流れ込んでくる。幸福、戸惑い、安堵、不安、喜び、罪悪感。入り乱れる感情はいつしか一つの想いへと行きつく――愛情。
初めはただのビジネス関係だった。流行にとらわれず面白い寝具を作る神具師を見つけた、程度の気持ちだった。しかし関係が深まるにつれて、自分でも気がつかないところで想いが募っていった。
そして今、想いは言葉となって溢れ出す。
「ダイナ殿。あなたを愛している」
アメシスがささやいた愛の言葉に、ダイナの全身が毬のように跳ねた。乾いた唇けらは消え入りそうな声が返ってくる。
「あの、あの……突然そんなことを仰られても、私は一体どうしたら良いのか……」
「私の要望を聞き入れてくれるのであれば、あなたの気持ちを聞きたい」
「私の……気持ち」
「そうだ。ダイナ殿、あなたは生活を犠牲にしてまで私からの贈り物を探し出そうとしてくれたのだろう。その行動の根底にある想いを知りたい」
アメシスが腕に込めた力をゆるめれば、ダイナは足取りおぼつかなく後ずさった。離れて初めてその表情が明らかになる。銀色の眼は溢れるほどに潤んで、左右の頬は完熟林檎のよう。まだ夕焼けには早い時間だが、まるでダイナの顔にだけ夕陽が射したようだ。
潤んだ瞳をアメシスに向けて、ダイナは決意を固めた口調で言った。
「アメシス様……私もあなたが好きです。突然すぎて整理ができないけれど多分そういうことなんだと思います。だってそうじゃないと――」
ダイナは一度口をつぐみ、それから花が咲いたように笑った。
「今、こんなに幸せなはずがないもの」
その笑顔があまりにも愛しくて、アメシスはダイナに向かってまた腕を伸ばすのだ。
熱く火照ったダイナの身体がアメシスの腕の中へと飛び込んでくる。愛おしい。今までに感じたどのような感情よりも強烈に、腕の中の少女が愛おしい。
「……ダイナ殿。触れてもよろしいだろうか、唇に」
アメシスがそう問えば、ダイナはうなずき背伸びをした。アメシスの方が遥かに長身なのだから、ダイナが精いっぱい背伸びをしてようやく、2人の吐息は混じり合う。
「どうぞ……何度でも」
ささやく小さな唇に、引き寄せられるようにしてキスを落とす。
◇◇◇
人気のない小道を、ダイナとアメシスは並んで歩いていた。どこを目指すでもなくゆっくりと、一緒にいる喜びを噛み締めるためだけに歩く。身体の横に垂らされた右手と左手は、温もりを分け合うように絡み合っている。
「アメシス様、神都の人々はどのようにして愛を育むのでしょう。私はその……なにぶん田舎者ですから」
クロシュラという婚約者がいたのだから、ダイナだって男女の付き合い方は知っている。しかしその付き合いとは、人口が千人にも満たない田舎町での出来事だ。
鳥のさえずりを聴きながら農道を歩き、馴染みの飯屋で食事をとり、気が向けば馬に乗って山野を駆ける。それがダイナとクロシュラの全てだった。楽しい時間であったことは事実だが、ダイナの常識はこの神都においては通じそうにない。
ダイナの質問に、アメシスは優しく言葉を返した。
「神都の常識になど囚われる必要はない。人の数だけ愛の形があるのだから、私たちは私たちなりの付き合い方を模索していけばいい」
「私たちなりの付き合い方……ですか」
「そうだ。今までどおり私がカフェに通っても良いし、休みの日にはこうして街を出歩くのも良い。仕事上がりに待ち合わせをして、夕食を食べに行くというのも良いな。ダイナ殿、あなたは酒が飲めるか?」
「いえ、あまり得意ではありません」
「では酒がなくても楽しめるレストランを探しておこう。あとは、そうだな。行く行くの私の希望を述べさせてもらえば――」
そこまで言ってアメシスは歩みを止めた。同じように立ち止まったダイナは、不思議に思ってアメシスを見上げた。
「アメシス様、どうされましたか?」
「……ダイナ殿。もし宜しければ一度、私の職場へ足を運んでくれないか?」
「それはつまり、神官舎に来て欲しいという意味でしょうか」
「そうだ。あなたのことを仕事仲間に紹介したい」
ダイナはふむ、と考え込んだ。
神都に来てからもうじき3か月が経つが、ダイナが神官舎に足を運んだ経験はない。たくさんの神具を購入してもらっているのだから、一度は挨拶に赴かなければと思いながらも、何となく機を逃してしまっていたのだ。これを機会に、顧客である神官舎の人々と顔を合わせるのも悪くない。
「そうですね……神官舎の方々にはお世話になっておりますし。仕事のお邪魔にならないのでしたら、ぜひご挨拶に伺いたいです。いつ頃がよろしいでしょう?」
「明日の朝一番だ」
ダイナは驚き目を丸くした。
「明日⁉ それはさすがに急すぎでは……」
「こういうことは早い方がいい。午前8時に迎えの馬車を手配するから、カフェの前で乗車してくれ。御者には事情を話しておく、ダイナ殿はただ馬車に揺られていればいい」
「はぁ……」
「服装は……前回のデートで着ていた薄桃色のワンピース、あれを着て来ていただけるか?」
「それは……構いませんけれど」
アメシスの左手が、ダイナの右手からするりと離れた。
「申し訳ないが私はこれで失礼する。今日のうちに、職場の者にあなたの来訪を伝えておこう。ダイナ殿、繰り返すが明朝8時だ。神具作りでお疲れのところを申し訳ないが寝坊などなさらぬように」
早口でそう伝えると、アメシスはダイナの元を立ち去った。
いつもの生真面目な表情からは想像もできない、悪戯な笑みを残して。
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