第17話 失せ物探しの神具
ぎぎ、と錆びた音を立てて扉が開いた。扉を開けた張本人であるアメシスは、きょろきょろと『カフェひとやすみ』の店内を見回すが、そこに目的の人物の姿はない。
「あら、アメシス様。お久しぶりですねぇ」
穏やかな声の主はヤヤだ。エプロンの端には玉ねぎの切れ端がぶら下がり、袖口にはてんてんとした水跡。『カフェひとやすみ』は正午時の混雑を乗り越えたばかりなのだ。
「ああ、ヤヤ殿。久しいな。失礼だがダイナ殿はいらっしゃるか?」
「ダイナちゃんなら工房にこもっていますよ。もう一週間になるかしら」
アメシスは耳を疑って聞き返した。
「一週間? 一週間、工房にこもりっぱなしという意味か?」
「そうなんですよ。詳しい事情は知らないけれど、作りたい神具があるんですって。お仕事をお休みしてごめんなさいと謝罪を受けたきり、私もまともに顔を合わせていないんですよ。差し入れのおにぎりは食べてくれているみたいだけど、下宿所には帰っていないんじゃないかしら」
「……会うことは、難しいだろうか」
アメシスの質問に、ヤヤは困ったような表情を浮かべた。
「声をかければ工房に入ることはできますけれど……。でも急ぎの用でなければ待ってあげてください。本当に夜も寝ないで一心不乱で神具を作っているんです。今までこんなことはなかったから、よほど大切な神具なんだと思うんですよ」
「そうか……」
アメシスは上着のポケットに右手を入れ、そこにある物体を指先で撫でた。アメシスはその物体をダイナに渡すために『カフェひとやすみ』を訪れた。しかし昼夜も忘れて神具作りに没頭しているというのなら、邪魔をするのは気が引ける。
「アメシス様、いかがします? 一言で済む用事なら、隙を見て私の方から伝えておきますよ」
「……いや。神具作りが一区切りしたときに私の口から伝えよう。幸い仕事は立て込んでいない。数日に一度、立ち寄らせてもらうことにする」
「ええ、分かりました。お待ちしています」
アメシスは上着のポケットに右手を入れたまま、『カフェひとやすみ』を後にした。
◇◇◇
「できた!」
散らかり放題の工房に、ダイナの声が響き渡った。机の上にはたくさんの木くずが散らばり、床は汚れたタオルやガラス片が積み上げられている。元から綺麗とは言い難かった工房の内部は、今やすっかり廃屋の有様だ。
工房にいるダイナの姿も一歩間違えれば廃人同然。木くず塗れのワンピースに、塗料に汚れた手指と顔。長い髪は簡単にまとめただけで、もう何日も
その薄汚れたダイナの右手には、蜜柑大のガラス玉がのっていた。玉の内部はとろりとした液体で満たされていて、液体の中心には木造りの小舟が浮かんでいる。小舟の先端には木造りのキツツキはちょんと乗っていて、一見すれば綺麗な置き物とも見える。
「お願い、正しく作動してよね……2週間もかかったんだから……」
祈るようにつぶやいて、ダイナはガラス玉をくるりと回した。ガラス玉の底部分には木製の台座が取り付けられていて、物を入れることができるようになっているのだ。ただし入れられる物は、せいぜい親指大の小さな物に限られるのだが。
ダイナはポケットから耳飾りを取り出して、台座の中へと入れた。2週間前にアメシスからプレゼントされた耳飾りだ。その失くしてしまった片方を探したいがために、ダイナはこの神具を作り上げた。
「お願い……!」
両手を合わせて祈れば、ガラス玉の内側でキツツキを乗せた小舟が回る。東、南、西、北。また東、南。まるで失くした船のようにくるくると回転した小舟は、やがて一方を指してぴたりと止まった。船の舳先が指す方角は真南だ。
ダイナはガラス玉を握りしめ、工房を飛び出した。ちょうど扉の外側にいたヤヤがダイナの姿を見て声をあげた。
「あら、ダイナちゃん。神具作りは終わったの? それなら――」
「ヤヤさん、ごめんなさい! 急ぎの用があるの!」
ヤヤの制止を振り払いダイナは走る。人気の少ない住宅街を駆け抜け、大通りの角を曲がり、人混みを避けて走る走る。目指すはキツツキを乗せた小舟の舳先が指す先だ。そこにダイナの探し物がある。
大通りを越え上り坂に差しかかったとき、正面から見知った顔が歩いてきた。アメシスだ。アメシスも坂を上ってくるダイナの姿に気が付いたようで、軽い調子で声をあげる。
「ダイナ殿、久しいな。ちょうど今カフェに――」
「アメシス様、お久しぶりです。また今度、ごきげんよう!」
一息でそう叫ぶとダイナはアメシスの傍らを走り抜けた。2週間工房にこもりっきりだったのだから、アメシスと会うのも2週間ぶりのこと。しかし今のダイナにアメシスとの再会を喜ぶ余裕はない。失くしてしまった耳飾りの片方、それを見つけることが最優先なのだから。
息を切らしながら坂道を駆けあがっていたダイナであるが、ふいに足を止めた。
「……あれ?」
右手に握ったガラス玉をまじまじと見つめてみれば、真南を向いていたはずの船の
なぜ探し物の在処が変わってしまったのだろうと、不思議に思いながら来た道を戻れば、先程すれ違ったばかりのアメシスがいる。
「ダイナ殿。急ぎのところを悪いが、私はあなたに用が――」
「アメシス様、申し訳ありません。とても大切な用事があるんです。お話は用事が済んだ後でゆっくりうかがいますから」
気持ちばかりに頭を下げ、ダイナはまたアメシスの横をすり抜けた。上ったばかりの坂道を、今度は息を切らして下っていく。その途中で再びガラス玉に視線を落としてみれば――
「……あれぇ?」
船の舳先はまた真南を向いていた。
ダイナは眉根にしわを寄せガラス玉をつついた。なぜこうも頻繁に探し物の在処がかわってしまうのだろう。正しく動作したように感じたがやはりまだ未完成だっのか。それとも込める神力の量が足りなかったのか?
戸惑うダイナの元にアメシスが近づいてくる。そのときダイナは気付く。船の舳先がまっすぐアメシスの胸元のポケットを指しているということに。
ダイナは探るように尋ねた。
「……アメシス様、失礼ですが用事とは何でしょう?」
「ああ。これをあなたに返さねばならないと思って」
アメシスは胸ポケットに右手を入れ、握りしめままのこぶしをダイナの目の前に差し出した。間もなくゆっくりと開かれる手のひらには、2週間前に失くしたはずの耳飾りの片方がのっていた。
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