第15話 紫水晶

 食事を終えたアメシスとダイナは、そのままの足で街歩きを楽しんだ。気の向くまま小道を歩き、通りすがった雑貨屋に入り、足が疲れればベンチに腰を下ろして一休み。道すがら見つけた屋台でミルクティーを買って飲んだりもした。


 そんな時間を楽しむうちに、辺りはすっかり夕暮れ時を迎えていた。白を基調とした神都の街並みを、真っ赤な夕陽が照らしている。楽しい街歩きももうじき終わりだ。


「ダイナ殿。あちらの店に立ち寄っても構わないか?」


 アメシスが指さす先は、大通りの一角にある白い煉瓦作りの建物だ。看板はかけられているが何の店かはわからない。


「構いません。私もご一緒した方がよろしいですか?」

「いや、外で待っていてくれ。すぐに戻る」

「わかりました」


 アメシスが建物へと向かって行ったので、一人きりになったダイナは夕陽を見あげた。夢のように楽しい一日だった。

 ダイナは神都にやって来てから今日まで気ままな街歩きを楽しんだ経験はない。食事は全て『カフェひとやすみ』で済ませていたし、カフェで使う食材の買い出しも最低限の店回りで済ませていた。


 お洒落なレストランで食事を楽しむのも、隠れ家のような雑貨店に入るのも、道端のベンチでおしゃべりをするのも、ダイナにとっては初めての経験だ。


 もちろん元恋人であるクロシュラとの外出経験はあるが、小さな村でできることなど知れている。馴染みの食堂で食事をし、農道を歩きながら会話に興じる。それがダイナとクロシュラの全てだった。


 ならば今日という日がどうしようもなく名残惜しいのは、初めての街歩きが楽しかったから? それとも――


 夕陽を眺めるダイナの元にアメシスが戻ってきた。右手には真っ白な小箱が握られている。


「ダイナ殿。待たせたな」

「いいえ。欲しい物は買えましたか?」

「ああ、買えた」


 アメシスは手の中の小箱を、ダイナに向かって真っすぐに差し出した。


「これをあなたに」

「……私に?」

「あなたにだ。今日一日付き合ってもらった礼だ。いや、礼と言うのもおかしいか? ……とにかく、私があなたに贈りたいと思った物だ。差し支えなければ受け取ってくれ」


 アメシスは早口で言い切ると、小箱をダイナの胸元に押し付けた。

 押し付けられた小箱をおそるおそる開封してみれば、中には耳飾りが入っていた。銀細工の金具に紫色の宝石をぶら下げた耳飾り。綺麗、とダイナはつぶやく。


「これを私に? 本当によろしいのですか」

「よろしいんだ。あなたのために買ったのだから、あなたが受け取らなければその耳飾りは行き場所がなくなってしまう。本当はもっと良い物を買いたかったのだが、あの店にある紫水晶の宝飾具はそれだけで――……」


 アメシスはそこで言葉を句切り、わざとらしく咳払いをした。


「失敬。こんな話はどうでもいい。その耳飾り、私が付けさせていただいてもよろしいか。あなたの耳に」


 アメシスの口調は相変わらず早口だ。表情は今日一番の仏頂面。だがその仏頂面は不機嫌からくるものではなく、緊張とか、照れ隠しとか、恐らくはそういう類のもの。

 ダイナは気恥ずかしさを覚えながらうなずいた。


「はい……お願いします」


 アメシスの指先が、耳飾りの片方をつまみ上げ、ダイナの耳朶に触れる。一つが終わればもう片方も。

 くすぐったい。


「つけた……が、痛みはないか? 耳飾りなどつけたことがないから、正しい位置がわからない」

「痛みはありません。あの、ありがとうございます。こんな高価な物をいただいて。食事代も出していただきましたし」

「私から誘ったのだから気にしなくていい。さて……日も暮れることだしそろそろ帰るか……」


 ふと空を見上げれば、橙色の空は紺碧に飲み込まれつつある。もうじき夜が訪れる。


「……そうですね、帰らないと」

 

 名残惜しげにつぶやき、2人は肩を並べて歩き出した。さっきよりも距離は近づいて、ときおり触れ合う肩先がどうしようもなく熱を持つ。

 自然と歩みはゆっくりになり、周囲の人々にどんどん追い抜かされて、ダイナとアメシスの周りだけ時の流れが遅くなってしまったみたいだ。


 いっそこのまま時が止まってしまえばいいのに。

 そう思わずにはいられなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る