第2話 3章:予測不能の会話
「ごゆっくりどうぞぉ」
やる気のない声を残して、店員は空のトレイを小脇に抱え去っていった。
俺の前にはハイボールと唐揚げ。
志乃原の前には、いちごみるく。
「お金がないので何もいらない」と言う彼女に、
「奢るから」と無理やり選ばせたのがこれだった。
(俺だけ酒を頼むわけにもいかないしな)
こんな妙な女と真面目に話すなんて、酒でも入れなきゃやってられない。
肴をつまむみたいな気分で、俺は志乃原に話を振った。
「……お母さんのこと、聞かないほうがいい?」
「お気遣いありがとうございます。
母のことは、聞いていただいて問題ありません」
まるで天気の話でもするかのように平然だ。
心の中で折り合いをつけてるのか。
その様子に、むしろ興味をそそられた。
“この女の内面を、もっと探ってみたい”
作家だった頃の癖か、ただの意地の悪い好奇心かは分からない。
でも、ハイボールのせいで余計に口が軽くなる。
「お母さん、何で亡くなったんだ?」
「自殺です。
近所の方が物音に気づいて発見しました。
私は入院していましたので、緊急対応は不可能でした」
「……自殺の原因は、何か思い当たることがある?」
「母は、特定の『恋愛対象』への執着が過度に進んだ結果、
自己の生存活動を放棄するという選択をしました。
もともと母には『恋愛対象』との関係が破綻した際に
自身の存在意義を見出せなくなる傾向がありました。
私の観察では、それは極めて脆弱な精神構造に起因するものであり、
個体としての生存戦略としては破綻していました。
結局のところ、感情にすべてを委ねた者の末路は、
かくも単純で予測可能だった、ということでしょう」
「……え、えーっと、つまり……男に溺れて自殺したってことか」
「端的に言うと、その通りです」
まるで研究成果でも報告するように、淡々と語る志乃原。
眉ひとつ動かさずに母親の死因を分析するその姿に、
俺は思わず目を丸くした。
こんな奴、初めてだ。
“この女、自分の母親の死因を客観視するどころか、研究してやがる”
その冷たさが、やけに鮮烈だった。
怖いような、痛いような、でも目を逸らせない。
興味が湧く。
この異様な冷静さが、純粋な探求心のせいなのか。
それとも、その奥に隠された脆さなのか。
どちらにせよ、この女は普通じゃない。
でも――
“だが、この異常性は物語になる”
乾いた胸の奥に、久しぶりに何かが灯るのを感じた。
これが、恋愛漫画でよくある「面白れぇ女」に出会った男の感覚ってやつか。
「それで志乃原さんは、俺と付き合って何を研究したいわけ?」
「私は交際することで、『恋愛』と呼称される現象を解明したいと考えています。
具体的には、交際期間における感情の起伏、相互作用によるホルモン分泌の変化、社会的行動への影響などを、客観的なデータとして収集・分析することを目的としています。
真壁さんという特定の個体との関係性から、より詳細なパターンを抽出できると推測しました」
「へ、へぇ……」
言葉を詰まらせながら、俺はグラスを少し回した。
気になってたことを、酔いに任せて吐き出す。
背もたれに体を預けて、腕を組んだ。
こういうのを真面目に聞くのも、ちょっと気恥ずかしい。
「……何で、俺なんだ。
俺なんか、どこにでもいる無職だぞ。
あんたみたいな若い子の相手なら、もっと相応しい奴がいるだろ」
「『相応しい』という概念は、極めて曖昧な評価基準であり、私の研究とは無関係です。
私は『恋愛』という非合理的な現象を解明するため、最も異常で、予測不能な反応を示す個体を求めていました。
あなたは、観察に値する複雑性を含んでいます」
(……そうか。
“最も異常で、予測不能な反応を示す個体”。
なんとなく悪く言われるだろうとは思ってたけど、改めて口にされると……ちょっと傷つくな)
「それに……」
志乃原は言葉を切った。
あれだけ理路整然と喋っていたのに、急に声を詰まらせる。
何を言うんだと身構えていると、
彼女は俯いて手元のグラスを見つめた。
「夜空を見上げる真壁さんの目が……少し、母に似ていたので」
そう言って、ゆっくりと目を細めた。
まるで何かを懐かしむように。
無表情だと思っていたその顔が、
初めて少しだけ、柔らかくなったように見えた。
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