彼岸コンビニへようこそ
コテット
第1話 夜勤バイトの面接
「じゃあ、これで面接は終わりです。」
拍子抜けするほどあっさりと、奥から声が聞こえた。
面接官と思しき男性は、やけにそっけない態度で書類をペラリとめくると、目を細めて俺を見た。
「深夜シフトは辛いですよ。寝不足には気をつけてね。」
笑ったのかと思ったが、その目元はどこか笑っていなかった。
正直に言えば、このコンビニに応募したのはほとんど成り行きだ。
大学の夏休み。友人と遊ぶにも金がいるし、昼間のバイトはシフトが埋まっていた。
張り紙を見つけたのはつい一昨日。『夜勤急募 未経験歓迎』と手書きで目立つように書かれていた。
これまでコンビニなんて、せいぜい客としてしか利用したことはない。
でも週に4日深夜だけで、手取りもいい。
なにより、俺の家から歩いて五分。これ以上の好条件はない。
「じゃあ、今週末からさっそく入れますか?」
「あ、はい。全然大丈夫です。」
軽い気持ちだった。
――そう、今となっては、それがいけなかったのかもしれない。
初めての夜勤は、拍子抜けするくらい平凡に始まった。
同僚は二人いた。
一人は深夜帯のバイトリーダーらしい三十前後の男で、名札には『柳田』とある。もう一人は年が近そうな女の子だったが、彼女は俺に一瞥をくれるだけで、ほとんど口を開かなかった。
「新人くんはレジでいいよ。品出しとかは俺と彼女がやるから。わからないことがあったら声かけて。」
柳田は言葉こそ柔らかいが、声が異様に低い。
その声を聞くたび、店内の蛍光灯が一瞬だけ暗くなるような気がした。
店内BGMはおなじみの軽いポップソングが流れている。
それなのに、なんだか妙に耳障りだ。
スピーカーから遠くで小さく、別の声が重なって聴こえる。子どもの声…のような。
(気のせい、だよな)
軽く頭を振り、レジ周りを確認する。
ボタン配置やバーコードリーダーの扱いも説明された。電子マネーの操作だけ少し手間取りそうだが、それ以外は問題なさそうだ。
零時を過ぎると、客足は一気に途絶えた。
深夜シフトってのは本当に暇なんだな――そんなことを考えながら、レジカウンターで所在なく手を組む。
柳田は棚を確認しながら、時折視線だけこちらを向けていた。
女の子のほうはドリンクケースを整理している。
彼女はいつ見ても伏し目がちで、目が合った瞬間、すぐに目を逸らす。
(つんけんしてるのか、それとも何か話しかけづらい理由があるのか…)
バイト初日から詮索するのも変だ。
それに、この無口さがかえって気楽でもある。
自分から無理に話を広げる必要もない。
深夜一時を回ったころ、最初の「妙な出来事」があった。
冷蔵ケースの前で、女の子が何かに怯えたように立ち止まった。
商品を掴みかけた手が震えている。
どうしたのかと声をかけようとしたとき――
彼女は急に後ろを振り返り、空っぽの通路を睨むように目を見開いた。
その目が、はっきりと恐怖で見開かれていた。
俺もつられて目を向けたが、そこには何もない。ただ蛍光灯の白い光が床を照らしているだけ。
「どうかした?」
声をかけると、彼女は弾かれたようにこちらを見て、震える声で
「……ごめん、なんでもないです。」
それきり黙り、今度は足早にバックヤードへ引っ込んでしまった。
(なんだったんだ、今の……)
少し気味が悪い。
でも、バイト初日の俺が首を突っ込む話じゃない。
気を取り直してレジに戻ろうとした時だった。
視界の隅、アイスケースの横に設置された小さな防犯ミラー。
そこに一瞬だけ、俺の知らない誰かが映り込んだ。
真っ黒い影。
形は人に似ていたが、顔がない。
俺が二度見した時には、そこにはもう自分の間抜け面だけが映っていた。
レジに戻ると、いつの間にか柳田がカウンターに立っていた。
黙って俺を見ていたその目は、まるで何かを計るようだった。
「――新人くん。
君、まだ帰るつもりでいる?」
「え?」
意味がわからず固まる。
柳田はほんの少しだけ口元を緩めた。その笑みは優しさじゃなかった。
むしろ、穴の開いた袋から冷たい風が吹き抜けるような笑みだった。
「冗談だよ。初日から疲れただろ。そろそろ上がっていいから、タイムカード押して。」
心臓が嫌な汗をかく。
俺は慌てて「お疲れ様です」と返し、従業員用ドアを開けた。
ロッカーで制服を脱ぎ、タイムカードを探す。
しかし、ラックに並んだカードの中から俺の名前が見つからない。
(……あれ? 確かここに……)
指で次々にカードを弾く。
だがどれも知らない名前だ。
柳田がいつの間にか背後に立っていた。
暗い目でこちらを見下ろし、口だけが微かに笑う。
「探し物?」
「……俺のカードがなくて……」
「そっか。まあ、初日だし。
今日は打刻、俺の方で処理しとくから。」
そう言って彼は俺の肩を軽く叩く。
その手がやけに冷たかった。
外に出ると、夏の夜風がひどく冷たく感じた。
通りには誰もいない。
さっきまであのコンビニの中にいた気配が、まだ服に染み付いている気がする。
(……明日もまた、夜勤だっけ)
ふと振り返ると、さっき出てきたコンビニの看板が――
少し、傾いているように見えた。
店内の蛍光灯が、不自然に赤っぽく瞬いた。
その奥にある自動ドアの向こう側。
ガラス越しに、確かに俺を見ている誰かがいた。
それはまるで、自分とそっくりな――
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