第2話ゲート

 辺りを見回す。

 そこは「異世界」というより、“現実の歪んだコピー”──そんな印象だった。


 木々が並び、足元は落ち葉と枝。

 ついさっきまでの渋谷の喧騒が、まるで嘘みたいに消えている。


「ここは……?」


 声が喉から漏れる。

 俺以外にも、一般人が何人もいた。みんな顔面蒼白で、出口を探して右往左往している。


「どうすればここから出られるの!?」

「お願い、助けて!」


 悲鳴が重なり、阿鼻叫喚の光景が広がる。

 振り返っても街はない。ゲートはすでに閉じたらしく、外へ通じる光はどこにも見えなかった。


 胸が締めつけられる。

「なんで、いつもこうなるんだ……」

 無意識に自分を責めていた。出口はない。裂け目は、もうどこか遠くで閉じてしまったのだろう。


「ここから出して……!」


 泣き叫ぶ声をかき消すように、低いうなりが森の奥から響いた。

 その音に、全身の毛が総立ちになる。


 黒光りする甲殻の群れが、地を這いながらこちらへと迫ってきていた。

 虫型の魔物──アラクニア。

 ムカデのような体に鋭い鎌脚。複眼がギラリと光り、地を削る音が響く。


「……嘘だろ」


 誰かが悲鳴を上げる間もなく、一人が捕まり、裂かれた。

 血と酸の腐臭が混じり合い、胃の奥がひっくり返りそうになる。

 人間は無力だった。抵抗する術もなく、一人、また一人と餌になっていく。


 絶望の中で、奇妙な閃きが走った。

 ──ラノベで何度も読んだ戦術だ。

 群れを狭所に誘い込み、まとめて叩く。無理に全てと渡り合うより、逃げて地形を利用する。


 考えるより先に体が動いた。

 倒れた女の隣に群がるアラクニアを確認し、木立の間へと走り出す。


「助けて!」という声を振り切る。

 足は異様に速く、恐怖がアドレナリンに変わっていく。

 人を見捨てる罪悪感が胸を刺す。けれど今は、生き延びることが先だ。後で悔やめばいい。


 走る、走る。

 肺が焼け、視界の端が滲んでも止まれない。


 やがて視界が開け、小さな空地に出た。

 丸太が積まれ、黒い灰が散っている。

 かつて焚き火でもあったのか、焦げた匂いが漂う。


 アラクニアの足音は、もう遠ざかっていた。

 腰を落とし、膝に手をつく。

 肺が痛い。でも、包囲は抜けた。


 安堵の息をつきながら、頭の隅で断片的な知識がつながる。

 ゲートの色──ニュースで見た講義の内容。

 青は初心者向け、緑は中堅、赤はA級危険度、黒紫は最凶。

 そして虹色は、Z級が動く“世界規模の異常”。


「……つまり、今ここにいるってことは」

 自嘲気味に笑う。

 Z級でも手を焼くレベルのゲートの“腹の中”、というわけだ。


 救助は来ない。

 だからこそ、生き延びる方法を考えるしかない。


「まずは……火だ」


 火があれば、獣を遠ざけられる。夜になれば体温も保てる。

 枯れ草と丸太を集め、必死に摩擦で火を起こす。

 だが、いくら擦っても火種はできなかった。指先が裂け、汗が冷たくなる。


 どれくらい経ったのか。

 草むらの向こうで、かすかな物音がした。


 音を立てずに身を起こす。

 そこに現れたのは、ウサギ型のモンスター──ラビット。

 可愛い外見に反して、爪は鋭く、駆け出しハンターを簡単に仕留めるという。


「……いいやつに見えないな」


 じりじりと距離を詰めてくる。

 逃げても速い。武器もない。

 崖っぷちまで追い詰められ、尻もちをつく。


「クソ……!」


 そのとき、さっきの火起こしが頭をよぎる。

 枯れ草、丸太、そして──火。


 馬鹿げたイメージが脳裏に閃く。

 ラノベで何度も見た“炎の魔法”の構え。


 半ば冗談、半ば本気で、俺は手を突き出して叫んだ。


「火、出ろ――!」


 次の瞬間、掌が熱を帯びた。

 空気が歪み、鼻腔に硫黄の匂い。

 掌の先に、小さな橙の火花が、一瞬だけ浮かんでいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る