第二十五話:王都からの脱出

王宮の地下に張り巡らされた、迷路のような隠し通路。

私たちは、リヒトの先導で、その冷たく湿った闇の中を、ひたすらに走り続けていた。背後からは、追手である衛兵たちの怒号と、金属がぶつかり合う音が、遠く響いてくる。セバスチャンと、侯爵配下の数名の騎士たちが、身を挺して、私たちのための時間を稼いでくれているのだ。


「……閣下、アリア様、こちらです!」


息を切らしながら、リヒトが、壁の一角に隠されたレバーを引いた。ゴゴゴ、と重い音を立てて、石の壁が回転し、新たな通路が現れる。それは、王宮の敷地の外、王都の下水道へと繋がる、秘密の出口だった。


「ここからなら、衛兵たちの目を欺き、市外へと脱出できます」

「……セバスチャンたちは、大丈夫だろうか」


侯爵が、苦渋に満ちた声で呟く。

彼らを、危険な王宮に残してきた。その事実が、重く彼の肩にのしかかっている。


「閣下。セバスチャン殿も、他の者たちも、覚悟の上です。我らがすべきは、彼らの忠義に、必ずや応えること」


リヒトの言葉に、侯爵は固く唇を結び、頷いた。

私たちは、躊躇うことなく、下水道の暗闇へと足を踏み入れた。鼻をつく、淀んだ水の匂い。足元はぬかるみ、時折、鼠が走り抜ける音がする。

夜会で身に纏った、『星降る夜』のドレスの裾は、汚水で見るも無残な有様だった。だが、そんなことを気にしている余裕は、誰にもなかった。


どれほどの時間、歩き続いただろうか。

やがて、前方に、地上へと続く、錆びた梯子が見えてきた。


「……ここから、地上へ出られます。王都の、城壁の外れです」


リヒトの言葉に、私たちは、ようやく安堵の息を漏らした。

地上へ出ると、そこは、見慣れた王都の華やかな街並みではなく、貧しい人々が暮らす、寂れたスラム街の一角だった。


夜の闇が、私たちの姿を隠してくれる。

だが、安心はできない。国王の勅命は、すでに、この王都の隅々にまで、伝わっているだろう。私たちは、国中から追われる「反逆者」なのだ。


「……これから、どうする」


侯爵が、低い声で問う。その声には、疲労の色が濃く滲んでいた。


「まずは、身を隠せる場所を確保しなければなりません。そして、味方となる協力者を集め、反撃の機を窺うのです」


リヒトが、冷静に答える。


「協力者……か。だが、国王陛下に逆らう者など、この国に、どれほどいるというのだ」

「いいえ、おります」


その時、私たちの背後から、静かな、だが芯の通った声がした。

振り返ると、そこに立っていたのは、いつもの仕立て屋の服装ではなく、旅人のような、簡素な外套を身にまとった、カレルだった。


「カレルさん……! なぜ、ここに……」

「セバスチャン殿から、伝言を預かっておりましたので。お二人が、ここへお見えになるだろう、と」


彼は、にこやかに微笑むと、私たちに一礼した。


「それに、私とて、この国の行く末を案じる、一人の民。偽りの王が掲げる、無謀な戦に、この国を巻き込ませるわけにはいきませぬ」

「……貴様、何者だ」


侯爵が、鋭い視線でカレルを睨む。

カレルは、その視線を、穏やかに受け止めると、答えた。


「私は、しがない『遺物守り』の一族の末裔にございます。歴史の陰で、危険な遺物が悪用されぬよう、監視し、時には、それを封じるのが、我らの一族の役目。……イザベラ公爵夫人と、彼女が操る『禁書』の写しのことも、我々は、以前から追っておりました」


彼の言葉は、衝撃的だった。

彼は、ただの鑑定士ではなかったのだ。


「我々『遺物守り』のネットワークは、王国全土に広がっております。彼らは、貴族の中にも、平民の中にも、そして、時には、王宮の中にさえもおります。彼らが、必ずや、閣下のお力となりましょう」

「……」

「まずは、ここから東へ半日ほど馬を走らせた場所にある、我々の隠れ家へ。そこで、今後の策を練りましょう」


カレルの申し出は、まさに、地獄に仏だった。

私たちは、彼の導きに従い、スラム街の裏路地を抜け、彼が用意していた、目立たない一台の幌馬車へと乗り込んだ。


馬車に揺られながら、私は、窓の外を流れていく、闇に沈む王都の景色を、黙って見つめていた。

数日前まで、私は、この街の片隅で、静かに暮らす、ただの鑑定士だった。それが今や、国の運命を左右する戦いに身を投じ、王都を追われる身となっている。

運命の、あまりの激変に、私の心は、まだ追いついていなかった。


「……アリア」


不意に、隣に座る侯爵が、私の名を呼んだ。


「……すまなかった。お前を、こんなことに……」

「謝らないでください」


私は、彼の言葉を遮った。


「私は、自らの意志で、ここにいます。あなたと共に、戦うと決めたのですから」


私は、彼の手を、そっと握った。

その手は、まだ、冷たかった。だが、以前のような、魂の底から凍えるような冷たさではない。確かな、生きている者の温もりが、そこにはあった。


「それに、私には、まだ、やるべきことが残っています」


私は、プラチド殿下とイザベラ公爵夫人のことを、考えていた。

彼らは、なぜ、あれほどまでに、遺物の力に固執するのか。彼らを突き動かす、本当の動機は何なのか。


『沈黙の宝冠』、『賢者の指輪』、そして、『禁書』。

全ての遺物の「声」を聞き、その記憶に隠された、真実を解き明かす。それが、私にしかできない、私の戦い方だ。


「……そうか」


侯爵は、私の手を、強く握り返した。

その瞳には、私への、絶対的な信頼の色が浮かんでいる。


馬車は、夜の闇を、東へと向かって走り続ける。

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