第十二話:王宮からの招待状

禁書との契約から数日が過ぎた。

私の日常は、表面的には何も変わらない。朝は侯爵と共に食事をとり、昼間は書庫で遺物の声を聞き、そして夜は、契約によって得た新たな知識――古代の呪術や結界術の勉強に没頭する。


だが、私の内面は、確実に変化していた。

以前のように、遺物の声にただ怯え、心をすり減らすだけではない。禁書から得た知識は、遺物の記憶の奔流の中にいても、確固たる「アリア」としての自我を保つための羅針盤となった。そして、左手首の銀の腕輪は、常に温かい光で私を包み、精神的な消耗を和らげてくれる。


何より大きな変化は、レイドン侯爵との関係だった。

彼は、私を単なる「保護対象」としてではなく、文字通り「契約者」であり「戦友」として扱ってくれるようになった。毎晩のように書斎に私を呼び、過激派貴族の動向や、プラチド殿下に関する調査の進捗を共有してくれる。


「……捕らえた庭師とメイドだが、やはり口を割らん」


その夜も、侯爵は苦々しげに報告をしていた。


「プラチド殿下がかけた呪いは強力だ。無理に聞き出そうとすれば、二人の精神が崩壊するだろう」

「では、王子が黒幕であるという、物的な証拠は何一つ……」

「ない。実に、用意周到な男だ」


侯爵は、机の上に広げられた王都の地図を睨みつける。

その横顔を見つめながら、私は禁書から得た知識の一つを思い出していた。


「侯爵様。一つ、試してみたいことがあります」

「何だ」

「『記憶の残滓(エーテル・トレース)』を追う呪術です。二人が最後にプラチド殿下と接触した場所が分かれば、そこに残された殿下の魔力の痕跡を辿れるかもしれません」

「……そのような術が」


侯爵が、驚いたように私を見る。


「ですが、そのためには、殿下の魔力の一部……例えば、彼が直接触れた物などが必要になります。何か、お心当たりは?」


私の問いに、侯爵は顎に手をやり、しばし考え込んだ。


「……ある」


彼は立ち上がると、書斎の金庫から、あの桐の箱を取り出してきた。中には、プラチド殿下が鑑定依頼に持ってきた、『双生の腕輪』が収められている。


「奴は、この腕輪に直接触れていた。これなら、触媒として使えるはずだ」

「はい。ですが、この術は非常に精密な制御を要します。失敗すれば、私の精神にも大きな負担が……」

「無理はするなと言ったはずだ。準備が整うまで、待てばいい」


彼の気遣いが、温かく心に沁みる。

私は「ありがとうございます」と頷き、腕輪を受け取ろうと手を伸ばした。


その時だった。

執事のセバスチャンが、一枚の封蝋付きの書状を手に、慌てた様子で書斎に入ってきた。


「侯爵閣下! 王宮より、緊急の使者でございます!」

「王宮から?」


侯爵が怪訝な顔で書状を受け取り、封を切る。その中身に目を通すうちに、彼の表情はみるみるうちに険しくなっていった。


「……どうかなさいましたか?」

「……プラチド殿下からだ。三日後に王宮で開かれる『建国記念の夜会』への、招待状だ」


侯爵は、招待状を私に見せた。

そこには、レイドン侯爵の名と共に、**『及び、令嬢アリア殿』**と、はっきりと私の名が記されている。


「これは、罠だ」


侯爵が、低い声で呟いた。


「奴は、私と貴様を、公の場に引きずり出すつもりだ。そして、社交界の目の前で、我々を『王家に仇なす魔女とその協力者』として断罪するつもりだろう」


プラチド殿下の狙いは、明らかだった。

屋敷に籠もっている私たちを誘い出し、逃げ場のない王宮という舞台で、一気に叩き潰す。噂を既成事実に変えるための、大胆な策略だ。


「……行かなければ、なりませんね」


私は、静かに言った。

この招待を断れば、それは噂が事実であると認めることになってしまう。私たちに残された道は、敵の仕掛けた舞台に、あえて上がることだけだ。


「危険すぎる。奴が、どのような罠を仕掛けているか分からん」

「ですが、これは好機でもあります」


私は、侯爵の目をまっすぐに見つめ返した。


「夜会には、プラチド殿下も出席します。そして、彼が直接触れるであろう物が、数多く存在するはず。グラス、食器、あるいは誰かと交わす手紙……。そこで、彼の『魔力の痕跡』を採取するのです」

「……なるほど。夜会そのものを、我々の罠として利用する、と」


侯爵の目に、ようやく闘志の光が戻った。


「面白い。奴の土俵で、真っ向から勝負を挑んでやろう」

「はい。ですが、そのためには準備が必要です。夜会で私があなたの隣に立つにふさわしい、完璧な淑女にならなければ」


研究所と下町の店しか知らなかった私にとって、王宮の夜会など、想像もつかない世界だ。マナーも、ダンスも、何一つ知らない。


「そして、私にはドレスがありません」


その言葉に、侯爵は一瞬、虚を突かれたような顔をした。

そして、次の瞬間、彼はなぜか、とても楽しそうに口の端を上げた。


「……そうか。ならば、明日は忙しくなるな」


翌日、侯爵は王都一のドレス店と宝飾店を貸し切りにした。


「好きなものを選べ。今宵の夜会のための、貴様の『戦装束』だ」


ずらりと並んだ、目も眩むようなドレスと宝石。

その前で、私はただ、呆然と立ち尽くすことしかできなかった。


侯爵は、本気だった。

私を、彼の隣に立つにふさわしい、誰よりも美しい令嬢へと仕立て上げ、そして、敵の懐へ乗り込むつもりなのだ。


三日後に迫った、運命の夜会。

それは、私と侯爵にとって、そしてこの王国の未来にとって、後戻りのできない闘いの始まりを告げていた。

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