魔力ゼロの俺が、勇者と世界を壊すまで
白柳 灯
プロローグ
第1話 鳴り響く鐘の音
薄暗く、異質な装飾が施された長い廊下の最奥部。
威圧感を放つ大きな扉の前で、二人の若い男女は決断を迫られていた。
──それは大勢の命を天秤に掛けた罪深き選択。
うら若き二人に課すには余りにも重すぎる命題。
「命を天秤に掛けるなんて不謹慎だ」なんて
月並みな意見を声高に叫べたらどれだけ気が楽だっただろうか。
ここが夢の終着点、輝かしい旅路の果て。
あの夜、星空の下で語り合い、笑い、夢想した旅の終わりは、これほど陰鬱としていただろうか。
「…今ならまだ引き返せるぞ」
男は少女に問う。
だが少女は愚問とばかりに首を振り、はにかむように笑った。
「私達はきっと、幸せな最期を迎えられないね」
そうして、二人は目の前の豪奢な扉へと手を伸ばす。
この旅の始まりに思いを馳せながら─
*数年前
町中にけたたましい鐘の音が鳴り響く。
普段であれば人々が何事かと顔をしかめるような音だが、今日の鐘は不幸を知らせるものではない。
【天啓の日】
季節が一度回る度、必ずこの日がやってくる。
神からの啓示により勇者が異世界から召喚される日。
魔王が世を脅かしてから幾百年、こうやって勇者が召喚され、さも当前のように魔王を討伐するために旅出つ。
この鐘は、勇者がこの世界に召喚された合図である。
この街に住む住人は、子供のころから勇者は神の使いであると教えられ、天啓の日は非常に有難い日なのだと教えられる。
いくら浮かないニュースが多いこの街といえど、この一大イベントには色めき立つ。
…というわけでもない、残念ながら。
実のところ、民は勇者に興味はないのだ。
最初はもちろん、全員が神の啓示を有難がって聞いていたし勇者も街を上げて歓迎された。
だが今はそうではない。
もう何百人も勇者が旅立っているのに、未だに魔王は討伐されないのだから。
「魔王、ホントに倒せんのかねぇ。何百人目だって話だぜ?」
「おいやめとけって、衛兵に聞かれたら面倒だぞ」
そんな会話が街の端々から聞こえてくる。
既に勇者への期待は風化し祭事は形式的になりつつあった。
では天啓の日は白々しい無味無臭な祭典になるのかと言うと、それはそれで嘘になるというのが何とも人間らしい。
結局は祝日の由来などどうでも良く、仕事や学校が休みになるだけで万々歳というわけだ。
この街、ゼルビア城下町に住む人にとって天啓の日とは、ちょっと豪華な祝日という扱いだった。
大通りには所狭しと屋台が並び、商人たちは商品の割引を声高に叫んでいる。
名目上は『勇者様のために旅の道具を安く販売する』というものだが
明らかに旅の役に立ちそうにないものを売っているところを見るに、在庫処分の免罪符なのだろう。
焼いた肉の香ばしい匂いが鼻をくすぐり、祭り独特の甘ったるい菓子の香りが風に乗って漂ってくる。
頭上では、祭りを祝うように色とりどりの風船が宙を舞い、時おり小さな花火が空に咲いてはぱちりと音を立てて消えていく。
子どもたちの歓声、大人たちの賑やかな笑い声。
賑わいの波は通り全体を包み込み、まるで街全体が浮き足立っているかのようだった。
勇者への失望、祭事の熱狂、魔王への不安。
あらゆる感情と人がない交ぜになり、街を埋めていた。
そんな世間の喧騒から離れ
祭典の日だというのに異様なほど人通りの少ない薄暗い裏路地。
煌びやかな祭典など自分には無関係だと言うように、陰鬱と佇む怪しげな店。
かたり、という軽い音と共に店の窓が開き一人の青年が顔を出す。
髪はくすんだ銀髪、まるで寝起きのようにつんつんと跳ね、ぼさぼさの髪は不摂生の象徴のように見える。
「…外、うるさいな」
首から下がるペンダントが淡い光を放ちながらユラユラと揺れる。
細身の体に片眼鏡という風貌は、頼りないという言葉を体現しているようだ。
怪しい雰囲気の店と相まって、気だるそうな研究者という印象を受ける青年
── フィン=フォーゲルは窓から顔をだしたまま、大きく伸びをした。
「鐘が鳴ったってことは、勇者が街に出てくるのはもう少し後かな」
フィンは時計を見つめながら呟く。
勇者は召喚された後に国王から有難い話を聞かされ、魔王を倒してくれとお願いされるらしい。
…ちなみに、この時に召喚された勇者がゴネると旅立ちまでが長くなる。
前回召喚された勇者は「元の世界に返してくれ」「旅立ちの資金が足りない」「チートなスキルを寄越せ」などと意味不明な駄々を散々こねた結果、いざ旅立ったのは祭りが終わり日が暮れた後だった。
…一体誰のための祭典だったのだろうか、全くもって謎である。
「頼むから、今回は素直な勇者であってくれ」
そう言いながらフィンは屋内に身を戻し、棚に並んだ商品の埃を手で払う。
日に照らされた店内に映る商品達。
付近の魔物を一瞬で消し炭にできる魔法の巻物。
持つ者の筋力を増大させる腕輪。
付けるだけで体が軽くなる髪飾り。
「フィン=フォーゲルの道具屋」
ここはそう呼ばれていた。
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