第30話 まほろばの中へ
宣言通りすぐに出発したわたしたちは、およそ半日歩いた先でまほろばを発見した。
サウリ丘陵を離れ砂漠地帯を進む中、突然目の前に広がる森林地帯を見た時はあまりの違和感に視界がねじれる思いだった。
まるで違う絵を切り貼りしたような光景。
近づいてみれば空気の匂いからして別の世界。雨に濡れた木々の匂いは、砂漠ではむしろ異臭に感じる。
「このような森は初めて入りますね。やぁ、不謹慎ですが、珍しさにワクワクしてしまいます」
そうこぼしたのはモタワだった。
彼は荷物の重量軽減と鞄の内部拡張効果のある加護を扱える。半日の旅とは言え、ほぼ全員分の荷物を背負ってここまで歩いてきたのは驚嘆に値する効果だろう。
彼は背中の曲がった小男だが、その足取りは確かなもので、見かけよりずっと頼もしい。その背中の曲がり方は、どれだけの助けになってきたのか、半日付き合うだけで誰もにそう思わせるようになっていた。
とは言えモタワの加護は生き物には適用されないらしく、予定通りカルサイとラティフはわたしが担いでいる。両肩に荷物のようにぶら下げているのでバランスがいい。砂に足が沈んでちょっと歩きにくいのだけが問題だ。
シャオクの方は、一度意識を取り戻したが、ろくに会話も成立せずに独り言をぶつぶつとこぼすだけだったので、カシャーが再び眠らせてしまった。今はウェフダーが担いで、そのウェフダーをカシャーが支えながらここまで歩いてきた、という状態だ。
先頭を歩いていたのはミシュアで、最後尾はユスラ。ユスラには、というか水呼びには魔獣に襲われにくくなる弱い加護があるらしく、道中の危険はこれでかなり低下していたらしい。
「さて、この森ですか。カシャー、あっていますか?」
「わたしが見た森です。間違いありません」
ミシュアは頷いてから、絵画を検分する鑑定士のように森をじっと見つめた。
「……安定しているように見えますが、まほろばはいつ消えるかわかりません。異変を感じたらすぐにも脱出することになります。キャンプ地は砂漠に近いところに置いて、動ける人たちで固まって食糧や野営に使う物を確保することになります。また、まほろばの中では加護が通りにくいという話を聞いています。普段のように振る舞わないことを気をつけてください。特にユスラ」
「なんでわたしだけ名指しなのよ!」
「あなたが一番無茶をしがちだからです」
「ぐぬぬ」
ミシュアは注意点を皆に聞かせながら、一番に森に入った。わたしたちもそれに続く。
森は深く濃い緑の匂いがした。
踏み込んですぐ、しとしとと滴るような雨が降り始める。
雨足は強くなることはないが、止むことも無いようだ。あっという間に服を濡らして体を重たくし、歩きづめで火照った体を冷やしていった。
皆の足取りが重い。
息づかいも苦しそうなものが目立ち始め、足音にも引きずるような音が混じり始めた。
「……あそこです。あそこで休みます」
幸い、森に入ってすぐ、大きめの洞窟を見つけ出すことができた。
ミシュアは野生動物や真珠が出た場合の対処をわたしに放り投げると、すぐさま野営地の設営にかかった。幸い熊が眠っているようなことはなく、野生動物の利用形跡もないと判明すると、全員がほっとして休めるようになった。
ミシュアはすぐに動けるようテントを張ることは禁止しつつ、怪我人が休むための毛布等だけを出して、火をおこし、空気を巡らせる加護のついた石を置いたりしながら、他の人にも指示を出し始めた。
「ユスラ、モタワ。怪我人の対応は二人にお願いします。モタワなら多少の薬も蓄えがあるはずです。ユスラは水呼びの部族で怪我人の世話に長けています」
「まあわたしはいいけど。あっちはどうすんの」
ユスラがカシャー達を指す。
カシャーはウェフダーと視線を交わしてから頷いた。
「お願いします。わたしたちもここからは協力したいと思います」
「カシャー。あなたの占いはこの森でも使えますか?」
「……森に関しては無理です。でも怪我人の様子を占うことはできます」
「ではユスラと連携して怪我人の対応を。シャオクにも栄養が必要でしょう。モタワ、対応をお願いできますか?」
「ええ、お任せください。……カシャー、ウェフダー。薬の検分をされますか?」
ウェフダーはカシャーを見やる。カシャーは頷いた。
「いや、カシャーが何も言わないなら、僕からも何もない。自分の体で試そうにも、僕とシャオクでは体のつくりが違いすぎるし……。それより、僕にも薬をもらえないだろうか。怪我はないが長く拘束され、飢餓の呪いを受けていた。旅に備えて体力を戻したい」
「おやおや、それはまた、大変でしたね……。承知しました。ユスラ、診断していただけますか? 体重増加の水薬はありますが、見立てを間違えるわけにはいきません」
「あんたずいぶん貴重な物持ってんのね」
体重増加とは言うが、栄養摂取効率を向上させる水薬だ。遭難したとき、満足な食料が確保出来ないときは、これを使うことでずいぶん長く体を保たせられる。
「ま、本人の許可があるならやりましょうか。ウェフダー? だっけ。ほらこれ。まずはわたしの水を飲んで、呪いを流して。あとは薬だけど、肝心の食べ物がないと話にならないわ。ミシュア、どうすんの?」
「どうにかなりませんか?」
ミシュアに促され、ミリアムは考える。
いくら森とは言え野草を見分けるのは無理だ。その知識がない。
……魚に食べさせて安全性を確かめてみる? うーん。ギャンブル過ぎる。
「それならわたしに任せて欲しい。人手が欲しいからミリアムとコーレを借りるよ。ミシュアはこっちのまとめで必要だろうしね」
悩んでいると、アカリがそう言って請け負ってみせた。ミシュアは頷いた。
「わかりました。暗くなる前に戻ってきてください」
「あ、ちなみに言っておくと、薪は用意できないよ。この森の木はかなり燃えにくい。火の方は維持できる?」
「問題ありません。そちらはわたしの方で用意があります。何日も、とはいきませんが、今晩くらいは」
「わたしも用意がありますよ。こちらは三日程度いけますが、旅のために残しておきましょうか」
「助かります、モタワ」
ミシュアに続いてモタワも答える。アカリは頷いて、「じゃあ食料だけだね」と言って洞窟を出た。
少し歩いてから、わたしはちょっと気になって、聞いてみた。
「知っている場所なの?」
聞き返すと、アカリはなんとも言えない笑みを浮かべた。
「昔、この近くで死んだんだ」
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