第17話

◆知識だけでは作れない


異世界転生モノの物語では、しばしば「現代の知識を持った主人公が、未開の土地に技術革新をもたらす」という展開が描かれる。


火薬、製鉄、印刷技術、時には飛行機や蒸気機関まで――。

読者はその知識の鮮やかな活用に喝采を送り、作中の人々も彼らを“天才”と称える。


だが、現実に即して考えるなら、その再現はそう簡単なものではない。


たとえば、火薬の配合を知っているだけでは、安全に爆発させることはできない。

混合比率、粉の粒度、湿度の管理、点火のタイミング――どれか一つでも失敗すれば、暴発するか、爆発しないかの二択である。

それを机上の知識だけで成功させられる人間が、果たして何人いるだろうか。


また、製鉄にしても同様だ。炭素含有量を調整して鉄を鋼に変えるには、職人の“目”と“感覚”が頼りになる。

現代では測定器で数値を確認できるが、中世の鍛冶場では、火花の色や叩いた音で判断していた。


つまり、「この温度で鍛接すればよい」という知識があっても、実際に鉄を炉に入れた瞬間から、身体と道具の“経験値”が物を言う世界になる。


異世界で技術を再現するというのは、決して魔法のような一発成功ではない。

知識と経験、試行錯誤と人との連携、そのすべてが噛み合って初めて、“文明”は前に進んでいくのだ。




文・構成:山田ソウタ(ライター/文化誌「リレキ」編集部)

撮影:斉藤明里




*   *   *   *   *   *   *   *   *   *




第17話 鉄と螺旋

 

 鍛冶屋街に近づくにつれ、金属を打つ甲高い音が空気を震わせ始めた。


 カーン、カーン、ガンッ、ガンッ……!


 街全体が鳴り響く音の海に包まれている。

 通りに入った瞬間、俺は圧倒された。


 ――まるでここだけ、産業革命が一足先に来てしまったかのようだ。


 石と木で組まれた頑丈な作業小屋が隙間なく並び、その屋根という屋根から黒煙が立ちのぼっている。硫黄と油の焼けたような匂いが鼻を刺す。


「ここが、鍛冶屋街……」

 思わず呟いた俺の隣で、リラも小さく息を呑んだ。


「想像より……ずっと活気があるね」

 彼女の視線の先では、熊族の獣人が、鉄を挟んだ火箸を炉から引き出し、金床の上に置いて、巨大なハンマーを振り下ろしている。


 火花が散り、振動が地面を伝って足元から響いてくる。


「まずはこちらをご覧ください」

 おかしらに案内され、俺たちは最初の工房へと足を踏み入れた。


 ――そこは、いわゆる“日用品工房”だった。


 壁際には、大小さまざまな鍋やフライパン、鉄瓶、釘、鎌、鍬といった鉄製品が、棚の上に所狭しと並べられていた。どれも手作業で打たれた形跡が残っているが、仕上げは丁寧で、どこか温かみがある。


 作業台では、鹿族の職人が真剣な表情で一本の釘を金床にのせ、カン、カン、と小気味よく頭を潰していた。見とれるほどの手際の良さだった。


 俺は棚に並ぶ製品を見回しながら、思わず感心する。


「……品質、かなり良いな」

 鎌の刃は薄く鋭く、鉄瓶の持ち手はしっかりと巻き留められている。何より、農具が全体的に“大きめ”に作られている。大型獣人の使用を想定しているのだろう。


「ん? でもさ……」

 ふと、俺の隣でリラが首を傾げた。

「獣人って、あんまり料理しないんじゃなかったっけ? フライパンとか鍋、使うの?」


 的を射た疑問だった。俺も、昨日の野菜スティックの件を思い出す。


 すると、おかしらが苦笑交じりに答えた。


「調理用の器具は主に“輸出品”ですな。セントリアとの間で――まぁ、正式には存在しない“密貿易”というやつで、外貨を獲得しておるのです」


「密貿易……」

 リラが眉をひそめる。


 なるほど。

 ここで生まれた鉄製品の一部は、セントリアに“裏ルート”で流れ、その対価として別の物資や情報が流れ込んでいる……。


 思った以上に、“やってる”国だ。





 俺たちは日用品の鍛冶工房を後にし、通りを少し奥へと進んだ。


 次に案内されたのは、ガラス工房だった。


 入り口からして、どこか独特の緊張感がある。木の壁には煤が染みつき、窓には薄く曇ったガラス板が嵌め込まれている。中に入ると、むっとした熱気が肌を包んだ。


 中央には煉瓦造りの大きな炉があり、その中で真っ赤に溶けたガラスがゆらゆらと揺れている。獣人の職人――どうやら猿族のようだ――が、長い吹き竿を使ってガラスの玉を膨らませている。


 しゅうっ、ふうっ……

 吹き込まれる息の音が、炉の燃焼音と混ざって心地よいリズムを刻む。


「すごい……」

 リラが思わず口元に手を当てた。


 壁際には、冷却されたばかりのコップや皿、風鈴のような飾りが並んでいる。どれも淡い色が混ざっていて、どこか幻想的だ。中には小さな瓶やフラスコのようなものもあり、思わず手を止めた。


「これ……まさか」


「ええ、これらは“特注品”です。精密な薬剤の調合や、精油、火薬製造の際などに使います」


 ……火薬。


 その単語を耳にした瞬間、胸の奥が、少しざわついた。


 この国はただの“鉄と火の街”じゃない。

 火薬、化学、測定、理論……。


 少なくとも、誰かが“科学”を意図的に導入している。


 リラが小声で呟いた。


「……ここまできたら、もはや工芸じゃなくて……研究所に近いかもね」


 俺も無言で頷いた。

 この“技術力”は、もしかすると、俺たちが思っているよりも――ずっと深く、危険なものなのかもしれない。




 石造りの静かな作業棟。先ほどの鍛冶屋街の喧騒とは打って変わり、室内には穏やかな静謐さが漂っていた。


 炉ではなく、木炭と火鉢を使い、職人たちがじっくりと金を溶かしている。床や机のあちこちに散らばった細かな金属片が、まるで粉雪のようにきらめいていた。


 猫族の年配の職人が、薄く引き伸ばした金箔をピンセットで丁寧に掴み、細筆を使って漆器の表面に慎重に貼りつけている。隣では猪族の若者が彫刻刀で茶碗の胴を削り、獣人の家紋と思しき文様を細かく刻み込んでいた。


「これ……金箔ですか?」


 俺が尋ねると、職人は静かに頷いた。


「はい。獣人たちに茶会文化を広めようと試みておりますが、まだあまり浸透しておりませんな。こちらも現在は輸出品となっています」


 その時、チャリンと小さな金属音が響いた。


 目を向けると、セントリアの金貨が積み上げられている。数えてみると、ざっと三百枚ほどはあるだろうか。


 俺は息を呑んだ。これだけあれば、セントリアに家が三十軒は建てられる額だ。


 金貨の壁の向こうで鼠族の獣人が机の上を丁寧に刷毛で掃いている。


 俺は無造作に籠に入れられた金貨を一枚手に取り、まじまじと見つめた。新品のように見えるが、注意深く見れば、ごくごくわずかに“角”が丸くなっている。縁を削ってる。明らかに。


「おかしら、あの……金箔って、まさか……金貨から……?」


 おかしらは少しだけ目を細めて、しかし特に否定もせず、肩をすくめた。


「……まぁ、古典的な方法ですが、流通を工夫すれば足は付きません」


 金のちょろまかし……立派な貨幣偽造罪である。




 鍛冶屋街の一角。木造の作業小屋の中には、鉄の匂いと油の焼けるような香りが漂っていた。


 カン、カンッ……ガンッ。


 鉄を打ち延ばす音が、他の工房と変わらず響いている。だが、その形が違った。


 炉の脇で熱された鉄塊が、細長い棒へと成形されていく。丸棒になったそれが、冷まされると今度は、台座に固定され、細い金属の棒を押し当てられる。ゆっくりと、真っすぐ、奥深く――中心に穴が掘られていく。職人の手元には、微細な鉄粉が渦を巻くように落ちていた。


 ――中を“くり抜いて”いる。


 すぐ隣では、羊の角を持った穏やかな目の獣人が、丁寧に部品を組み立てていた。部屋の隅に広げられた設計図には、精密な線で描かれた筒状の構造と、複雑な引き金機構の図面が広がっている。


 完成に近づいた金属の筒が、木製の台座――銃床に取り付けられていく。


 リラが、目を細めて呟いた。


「……これって、火縄銃?」


 俺も思わず首を傾げる。


 だが、それはどこか違う。目の前の銃には、明確な“引き金”と、火皿のような機構がついている。


「いや……火縄じゃない、これ……」


 俺が声を漏らすと、おかしらが背後から静かに補足した。


「フリントロック式。撃鉄で火打石を打ち、火花で点火させる仕組みです」


「……マスケット銃じゃん……」


 思わず言葉が漏れた。


「マスケット?」とリラ。


「三銃士が持ってたやつ。たぶん……1700年代に使われてた銃だよ。火縄銃よりずっと洗練されてる」


 リラが驚いた顔で言った。


「長篠の戦いって……1575年だったよね……」


「博識ですな。しかし、これはマスケット銃ではありません」


 そう言っておかしらが、組み立て途中の銃の銃身を一本、手渡してくる。


 俺は恐る恐る、筒の内側を覗き込んだ。


 ――見えた。


 わずかにねじれた金属の線。銃身内部に刻まれた、緩やかな螺旋の溝。


「……ライフリング……」


 息を飲むように呟いた。


「ライフル銃……」


「御名答」


 おかしらは、どこか誇らしげに頷いた。


 頭の中で、歴史の年表がぐるぐると駆け巡る。

 南北戦争――1861年。

 そこではじめて、ライフル銃が戦場の主役となった。


 たった一丁で、数百メートル先の敵を正確に撃てる武器。


 その技術が、いま、この異世界で。獣人国家の片隅で。すでに完成している。


 ――誰だよ、信長にこんなもん教えたのは。


 俺の背筋を、冷たいものが走った。


 これは明らかに“武力”だ。しかも、セントリアの警戒を煽るには、十分すぎるほどの。


 信長は戦争にはならないと言っていたけれど――これは、もう、なると考えるべきだ。

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