06 怒りの記憶 握り結ぶ拳
「あの人、一体何を言っているんでしょうか……?人狼って、アレですよね。都市伝説とか、地方伝承とかで出てくる狼男とかウルフマンみたいな。日本って割とそういうのが多かったり…」
「しないですね。あの方はどうやら発言からして少し普通ではないようです」
怪訝な面持ちで邇都を見やるスティーブ・カッターネオ青年。周囲の臣海の杜の面々もまた店内を騒がす謎の女に怪奇と訝しみの視線を送っていることから、やはり様子がおかしいのはこの女の方であることを彼は再認識した。
「ねぇ。どうする?食べ終わってないけど、お店を出た方がいいかしら」
藺草が口元をハンカチで抑えつつ、咀嚼の最中に夜見に尋ねた。
「そうですね。せっかくの食事ですが、妙な絡み方をされて台無しにされてはいけない。面倒事に巻き込まれる前に退店してしまいましょう。食券で支払いも済んでいることですし」
そこで夜見が改めてしかめっ面を浮かべた。
「しかし…。董源会ですか。彼らのような職業の方々もこういったお店を利用するとは、少し物騒な気配を感じますね。とはいえ、何事も障らぬ神になんとやらです」
――
「何を自分たちは無関係ですみたいな感じ出してるんですか。臣海の杜の皆さん」
董源会の者らと不穏な会話を続けていた芦屋邇都の首が折れるようにして突如として臣海の杜の卓へ向く。その一瞬の挙動の中には形容し難い威圧感が含まれており、間違いなく彼女は臣海の杜に対してプレッシャーをかけ始めていた。
「もしかして、帰ろうとしてますか?」
「すいません、お客様。他のお客様のご迷惑になりますのでこれ以上は…」
「………失礼」
臣海の杜につっかかった邇都を制止しようと試みた店員が床に倒れた。映画などでは瞬時に人を昏倒させるのには薬剤を染み込ませた布を呼吸器に押し付けるなどするが、彼女が行ったのは単なる暴力だった。最小限の動作で邇都の腕から先がしなり、店員の顎の先を精密に撃ち抜くことで人一人を気絶に追いやったのだ。
「ちょっと、何をしているんですか⁉」
藺草が怖気に染まった貌で甲高い声を上げる。
「店員さんは人狼の確率が比較的低いので一旦このようにさせていただきました。
…ですが、貴方がたは事情が違う。どちらかと言えば董源会よりは黒っぽいのが貴方がた臣海の杜です。ぶっちゃけると今日の本命なんで」
邇都は昏倒した店員には一切目もくれずに臣海の杜の面々が座すテーブルへと近づいていく。
「ねぇ。"
幹部級が仲良くおにぎり屋により集まってるのは面白い光景ですが……当然、理由はありますよね。そしてその理由は私が放置していいものでは決してない」
「陽子さん。警察に通報してください。暴行の現行犯は流石に見逃して帰るわけにはいきません」
「わ、わかりました。警察ね。ひゃくとおばんっと……。アレ?」
藺草はスマホの画面を覗き込み、いつの間にか圏外表示となっている通信圏域に疑念を抱く。近隣に基地局が存在するかはさておき、少なからず発展している町の真ん中で圏外となることはまず考えられないことだった。
「ハァ……。一体誰に向けたパフォーマンスですか。
ああ、いや。そうですよね。貴方がたも一応は一般社会における健全な宗教団体という前提と建前がありますもんね。ラグーンや人狼に関しても知らないフリを突き通しますか、夜見さん?
……貴方もこんな頭おかしい組織にまんまと入っちゃだめですよ。スティーブ・カッターネオ君」
また、邇都が首を折るようにして言葉の投げ先を変えた。
「な…。どうして僕の名前を」
「とりあえず貴方には私と一緒にラグーンの
「ちょっと待ってください。意味がわかりません!一体どういうことなんですか!?どうして僕の名前を知っているんですか。それにそこにいる臣海の杜の皆さんの名前まで…」
スティーブは立ち上がり、邇都の前に躍り出る。
「そりゃあ…ねぇ。そこの人たちはまだ討伐対象になってないだけの討伐予備軍なので。それに、スティーブ君。君も他人事じゃあないんだよ」
邇都は服のポケットから一枚の写真を取り出す。今時写真を持ち歩く者も物珍しいが、そんな感想を一挙に吹き飛ばしてしまうような鮮烈な感情がスティーブの胸中を揺らす。
「なんで……その、写真を…」
彼女の指先にあるのは一枚の赤い写真。今でもスティーブに悪夢を見せる恐怖の現場。無惨に死に朽ちた両親と赤い部屋の中で気絶している弟の姿を捉えた写真だった。
まさにそれは自分が目にした第一発見時の光景そのものを映しているようだった。事件の後、すぐに現場は警察で埋め尽くされたし、その時には弟は病院にいた。
血染めの部屋で蹲る弟の写真など、誰に撮ることも出来ないはずだった。
「簡潔に言いますよ。
まず、君の弟。アーカス・カッターネオにはLAGO2Nから人狼の疑いがかけられている。現在の扱いはカテゴリー3のレートA
「は?」
「そこで一つだけ質問。
君の弟は人狼ですか?」
絵にかいたような好青年であるスティーブの顔面に幾本もの血管が浮き上がる。
腕がわなわなと震え、呼吸が跳ねるように上ずった。
「ふざけるなァァああ゛ッ‼‼‼」
重なるのはセントドラゴニアでの猜疑と偏見の記憶。弟に掛けられた心ない言葉とありもしない事実を捏造する好奇の目。この国で初めて経験した弟に対する侮辱的発現に対し、スティーブの心臓が叫び出す。
「何が人狼だッ‼このイカレ女が、お前なんかに僕たち兄弟の何がわかる‼
弟は人間だ‼僕たちは被害者だ‼人狼探しなんかしてる暇あったら、さっさと僕たちの親を殺した犯人を見つけてこい‼その怪物が人狼だってんなら喜び勇んで狩りでもしてろよ‼」
「スティーブ君、いけない‼」
夜見が止めようとしたのはスティーブの拳だった。
いかに良識人で出来た人格者の彼であっても、今の心境は激しい怒りに染まりきっている。固めた拳が善悪の判断を待たずに発射され、生まれで数度しか経験していない人に向けて放つ拳骨の速度を生み出した。
制止した夜見の声は耳に届かず、拳は既に邇都の顔面に向けて肉迫していた。
「人の為に本気で怒れるのは才能ですね」
――
友人亭の店内に響き渡る衝撃音。
決して小柄ではないスティーブの体が殴り飛ばされ、狭い店内に鈍い音を響かせて宙を舞った。木製の机に背中からぶつかり、茶碗や湯呑みが床に散乱する。おにぎりの海苔が宙を舞い、割れた皿の音とともに店内は一瞬で混沌とした。呻き声が油の匂いに混じり、誰もがスティーブと邇都を交互に見直す。
プロボクサーのクロスカウンターもかくやという華麗な一撃を見舞った邇都は手首を痛めたようで、じんわりと熱くなる手をしきりに摩っていた。瓦解したテーブルと壁の中でスティーブは昏倒しており、指先が僅かに震えているばかりだった。
「さて。まぁ、彼についてはラグーンがこのまま保護してしまいますよ、と。
…で、話を戻しましょう。この店の中に人狼がいる可能性があるので、何か知っている人は快い協力を。もしくは我こそが人狼であると白状するものはこの場で討伐させていただきます」
店員に続いてスティーブにまで及んだ暴力による制圧。
ある種、平和の象徴染みたおにぎり屋の店内にはあまりにそぐわない強い威圧感が充満していた。
人狼を見つけんとする邇都の問いかけに対し、この場の殆どの者は適切な解答を持ち合わせていない。自分が人狼であるかと問われればそれは違うと即答するが、何故違うのかと問われればそこに理由はない。妙な組織の暴力的な制圧を回避できない以上、仮に難癖をつけられて討伐するなどと言われればその時点で命の危機すら感じるほどだった。
邇都は意図的に不可視のプレッシャーを強めているようだった。それは所謂"殺気"や"闘気"に近い部類のものなのだろう。空間そのものに色がつくように、彼女の周囲には既に間合いの概念が出来つつある。
「そこまで」
低く唸るようで、それでいて重厚な声音が響く。と、同時に彼女の右耳はぬるりとした感触と共に床に零れ落ちた。彼女は自分の背後から延びてきた黒い刃を視認するや否や、再びプレッシャーを高めながらゆっくりと自分の耳を拾い上げた。
振り返った彼女は自分の耳を黒い刃の杖のようなもので斬り落とした者と視線を交わす。おにぎり屋に似合っていない奇抜な恰好でありながら、自分の気配をこれまで完全に鎮めていたその隠密性のようなものは邇都から見ても驚嘆に値するものだった。
「多分そうだとは思ってましたが……。その
"
「呆けたことを。貴様が私の居た店に入ってきたんだろうが。
人狼が人狼探しとは随分と酔狂な話だな。芦屋邇都」
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