蛇神再臨
クロニス
第1話 蛇の知覚と人の知識
視界が真っ暗で、何も見えない。
全身が弾力のある膜で覆われて、身動きがとれない。
本能的に身をよじって、体を拘束する何かを破った。
粘性を帯びた大量の液体と共に、私の体が外に飛び出すのを感じる。
ズルズルと重力に引っ張られるようにして地面に落ちる。
冷たい外気が肌を撫でる。
淡い光が目を刺激する。
目を凝らして、周囲を見回す。
視界はぼやけ、よく見えない。
不自然なほどに視点が低い。ほぼ地面と平行している。
(地面に俯せて寝転がっているのか? なぜ?)
ひんやりとして地面のざらつきを腹で感じている。
それ以上の情報が全く得られない。
というよりも“見えない”のだ。
目を凝らして周囲の景色を捉えようとしても、全く集中できない。
映るのはただ、灰色の何かと、濃淡も奥行きもない曖昧な像だけ。
何がどこからどこまであって、それが何なのかを判別することができない。
(……どこだなんだここは? 一体何がどうなっている? 私はどこで、なにをしていた?)
前後の記憶が曖昧で、ここに至る経緯を全く思い出すことができない。
それに加えて、手足の感覚が全くない。
立ち上がろうとしても、みっともなくもがくだけで、立ち上がることができない。
訳もわからずに体を動かしていると、視界の端で何かが動いた。
動いている物体に意識が奪われる。
体をくねらせると、再び何かを視界に捉えた。
しかし、それが何なのかわからない。
動く物であるということしか理解することができない。
はっきりしているのは、それが私の意識で自由に動かせるということだ。
左へ、右へ、上へ、下へ。
まるで自分の体のように自然に……。
そう、この視界の端で動く物体は、私の体の一部で間違いない。
問題はそれを見ても、それが何かわからないということだ。
体の感覚からの推測だが、恐らく尾部ではないかと思う。
私は目を凝らし、尾部と思われる部分を観察する。
でも、やっぱり何もわからない。
それを尻尾だと認識することができない。
像が曖昧で境界線が不安定だ。
制止させた瞬間に、その物体は意識の彼方に吹っ飛んで何も見えなくなる。
(なんなんだこれは?)
無意識に舌を出し入れして空気を舐め取る。
途端に膨大な情報が流れ込んできた。
まるで、閉じていた目を開けたように……。
苔むした岩、無数のキノコ、よどんだ空気、濡れた地面、多種多様な生き物の存在。
(これは……、匂い?)
再び舌を出し入れし、空気を舐め取る。
ほとんど本能的な行為であり、意識しなくても私はこの動作を繰り返してしまう。
また膨大な情報が私の知覚を刺激する。
それは湿り気を帯びた空気。
複雑で複数の物体が混じった匂いだが、その一つ一つを明瞭に感じることができる。
匂いが濃ければ近く、薄ければ遠いのだと自然と認識している。
それはまるで、匂いで物体の輪郭をなぞっているような未体験の感覚だ。
匂いの勾配や空気の流れが、私に世界を教えてくれる。
匂いという情報が、立体的な空間情報を伴い、私の頭の中でマッピングされている。
匂いで世界を“見て”いる。
状況を整理すると――。
手足がなく、視点が低く、視力も低く、舌を出し入れして匂いを舐め取り、匂いだけで周囲の空間や構造を把握する高度な知覚。
間違いない。これは“蛇”だ。
この能力や機能は、私の知識にある蛇の特徴そのものだ。
理由はわからないが、私は蛇になってしまった。
(なぜ? 私は何をしていた?)
全く心当たりがない。どうしてこんな状況に至ったのか、皆目見当がつかない。
何をしたら、人間が蛇になるのだ。
(私は――)
自分の名前を想起しようとした瞬間に、これまで感じたことのない感覚に襲われる。
(名前を、思い出せない……? 違う……これはそんなものではない)
自分の名前を覚えていないわけではない。
にもかかわらず、自分の名前を思い浮かべることができないのだ。
自分の名前を知識として覚えているのに、それを自身の名前として想起しようとすると、途端に記憶が遠のいて霞のように消えてしまう。
この現象を適切に表現するなら、『自分の名前を認識することができない』と表すしかない。
(なんだ?)
わからない。
本能的に舌が飛び出し、空気を舐め取る。
その時――脂っぽい獣の匂いを感じた。
その瞬間、本能が警告を発した。
『近すぎる!』『危険だ!』と叫んでいる。
私は咄嗟に物陰に身を隠す。
手足がないにもかかわらず、非常に滑らかな蛇行で移動する。
体に刻み付けられた動作は自然で、私には最初からこの動き方が機能として備わっているのだろう。
接近する物体は生物で、ぼんやりとした光を放っている。
これは熱だ。
蛇は赤外線を感知する能力があると言われている。
赤外線は温度のある物体が発する光で、人間の目では見ることはできない。
熱が像を伴って移動している。
舌が匂いを掴む。
体毛がある。私よりも大きい哺乳類だ。地面の振動で重量を感じる。かなり重い。
私よりも何倍も大きなソレは、私の前を通り過ぎ、そのまま遠ざかっていった。
本能的な恐怖が背筋をなでる。
私はいつ捕食者に殺されてもおかしくはないのだと理解する。
数種類の異なる生物の匂いを感じる。
複数の生物が周囲には潜んでいるのだ。
ここがどこなのか。どういう場所なのか。それを判断する十分な情報はない。
だが、ここが多種多様な生物で溢れかえっている危険地帯であることは間違いない。
無暗やたらに移動するのも避けるべきだろう。
意味もわからず、訳もわからず、いきなり人間社会という非常に安全な場所から、弱肉強食、適者生存の厳しい自然界に放り込まれたと考えるべきだ。
しかも、手足を失い、景色はモノクロで、像をまともに判別することができず、遠い物はほとんど知覚することもできない。
(本当に蛇になってしまったのか? わけがわからない)
頼りは、舌を利用したヤコブソン器官による嗅覚感知と、ピット器官による熱感知だ。
普通の精神ならパニックを起こし、不安や恐怖で塞ぎ込んでいたかもしれない。
しかし、幸いなことに私の心は凪いでいる。
本能的な恐怖や緊張は感じるが、その感情が不安や混乱に繋がらない。
不思議な感覚だった。
普通の人間なら複雑な情緒が働いて、予測できない未来に、強い不安感を抱いてもおかしくないはずだ。
状況から言えば、意識を失い目が覚めたら、手足を切り落とされ、目を潰されていたようなものだ。
なのに私の心はいつにも増して静かだ。
ただ淡々と現状を認識し、理解している。
そこに一切の感情や情緒がともなわない。
蛇の脳機能は人間ほど発達したものではなく、極めて原始的な感情機能しかない。
人間や哺乳類の脳とは異なり、蛇の脳は非常に単純で必要最低限の機能しか持たない。
故に複雑な感情がない。
人格は記憶ではなく構造に宿るものだと、私は知っている。
高所恐怖症の人は、記憶を失っても高い場所には恐怖を覚え、花を美しいと感じる人は、記憶を失っても花を美しいと感じる。
人格や感情とは経験と反復による学習であり、脳の神経構造によって決定される。
蛇の脳を持つ私に複雑な感情がないのは当然と言える。
ただ、だとすれば私が人間の記憶や知識を保持しているのは不自然に思える。
どう考えても蛇の知能が人並みのはずがない。
蛇が人間の知能を備えるのは物理的に困難なはずだ。
いや、こんなことを考えている場合ではないか。
考えたところで、すぐに答えを得られるわけでもない。
今最も重要なことは生き残ることだ。
蛇になったことは、普通なら不幸なことなのかもしれないが、私はこれを不幸だと嘆くことができない。
これは好ましいことなのかもしれない。
このような緊急事態において、人間的な情緒は、時として邪魔になる。
なぜこうなったのかはわからないが、現状において原因は重要なことではない。
今はとにかく生存することを最優先にするべきだろう。
原因は後で確かめられる可能性はあるが、生き残らなければ原因を確かめることはできない。
私は蛇の細長い体を利用して、狭い岩の隙間を縫うように滑った。
蛇として与えられた能力を駆使して、現状を打破する以外に道はないのだから。
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