夜の外側へ 第一話 夜の入り口
はな
第一話 「深夜の家出
いつもの休日。
自宅近くのカフェで、いつものように豆乳ラテを飲みながら本を読む。
子供の泣き声にふと顔を上げると、かつての同級生が困ったような表情で小さな男の子をあやしていた。
自宅に戻り、ベッドに潜り込んでもカフェでの光景が頭から離れなかった。
いつのまに、こんなに差がついたのだろう?
いつから、私は置いていかれたのだろう?
同じ大学に通っていたはずなのに。
彼女は家庭を築き、立派な大人になった。
私は今も実家に暮らし、何者にもなれないまま。
情けなさと諦めが交差していた。
思わず、いつもの缶に手を伸ばす。
もう15年を超える通院は、社会人生活とともに始まった。
バスもタクシーもない深夜。
衝動的に外に出た。
行き先など、どこにもなかった。
ただ、遠くへ行かなくては、という強い気持ちだけがあった。
どこでもいい。
とにかく、ここから離れなければならない。
スニーカーの音が、誰もいないアスファルトに乾いた音を響かせる。
心細さを感じながらも、足を止めるわけにはいかなかった。
最寄りの駅まで、歩いて一時間。
そういえば、教育実習の最終日、酔いに任せてこの道を歩いて帰ったことがあった。
まさか、あの日と同じ道を、こんな気持ちで歩く日が来るなんて、想像もしなかった。
時折すれ違う車のヘッドライトがやけに眩しい。
その眩しさが、いま自分が“内側”から“外側”へと歩き出していることを教えてくれる。
学生時代までは、なんとか上手くやれていた。
いや、実際には上手くやれていたわけじゃない。“上手く隠して”
生きることができていただけだった。
すべてが狂い始めたのは、社会人一年目。
親の意向で、地元での就職を決めた。
職種は営業事務。
都内に本社を置き、病院給食の受託業務を行う、それなりの規模の会社だった。
就職活動らしい活動は、ほとんどしていなかった私に、母方の祖父が懇意にしていた地方議員が、コネを使って“用意してくれた”居場所だった。
思い返せば、与えられるばかりだった。
望まれた役割をこなしてきただけで、自分で人生を選んだことなど、たぶん一度もない。
中学時代、私は合唱部に入った。
兄と仲の良い優秀な先輩がいたから。
母は、私にも兄のようになってほしかったのだ。
「歌が好きでしょ」
「先輩もいい人だし」
母はそう言って、私を導いた。
けれどそれは“勧め”などではなく、もう決まったことを伝えられた、というだけだった。
私が好きだったのは、ジュディアンドマリーやカスケード。
締め切った音楽室で響く混声合唱ではなく、原色の衣装に、中性的なスタイルで歌うtamaちゃんや、気の強い子猫のように愛らしいyukiちゃんが、スポットライトを浴びて歌う姿が好きだった。
でも、母の機嫌を損ねないことが、私にとって何より重要だった。
兄のようにできない私は、せめて母の理想から、これ以上遠ざかってはいけなかった。
私たちが通う中学校の合唱部は、毎年県大会をトップで通過するくらいには強豪だった。
そんな中で、私は3年間、補欠扱いのままだった。
顧問の教師は典型的な“優等生好き”だった。
私は、当たり前のように「取るに足らない存在」として扱われていた。
6月が始まったばかりだというのに、今年はすでに夏日が続いていた。
歩き始めて30分、じんわりと汗がにじむ。
首元のじっとりとした感触に不快さを覚えたが、立ち止まる気にはなれなかった。
一人でいると、次々に過去がよみがえってくる。
初出勤の日、絶対に遅刻してはいけないと、15分前にはデスクに着いた。
緊張しながら挨拶する私に、先輩たちは冷たい視線を送り、何かを間違えてしまったことを悟った。
病院からの問い合わせの電話、まだ名前も覚えていない営業からの資料作成依頼、お茶出し。
研修もないまま、何が何だかわからないまま、時間だけが過ぎていった。
昼休み、坂本さんに呼び出された。
坂本さんは管理栄養士で、元は病院に派遣されていたが、仕事ができることと部長との関係から、支店勤務になったのだと米内さんが教えてくれた。
女子更衣室の中で、初対面の大先輩を前にしてできることは、大人しく話を聞くことしかない。
「なんで一番に出勤しないの?」
業務開始は9時。
8時45分にはデスクにいた。
それでは遅いということだった。
翌日から、少しずつ出勤時間を早めた。
8時40分、更衣室で管理部の先輩が化粧直しに夢中になっていた。 8時30分、坂本さんが病院内でのトラブル対応で苛立ちながら電話をしていた。
8時15分、8時、7時50分。
入社から1ヶ月、私は毎朝5時半に起き、7時すぎには会社近くのコンビニで待機するようになった。
コネで入社した私に、仕事らしい仕事は無かった。
思えば、それなりに力を持つ議員先生に恩を売り、新しい契約をスムーズに進めたい会社と、地元で顔が効く祖父からの支援を手放せない議員との思惑で入り込んだ世間知らずな小娘を、どのように扱うかまでは考えていなかったのだろう。
そんな私をなんとかしろと命じられたのが、総務課長だった。
背が高く、総務課唯一の男性である関西訛りの鳥居課長は、
「何かあったら相談してな」
と声をかけてくれた。
けれど、相談できることなど無かった。
一日中座って、電話を取る。
毎朝9時と15時に課長以上の役職者にコーヒーを入れる。
何を相談すればよかったのだろう。
「私、必要ですか。」
と聞けばよかったのだろうか。
鳥居課長は“なんとかしなければならない”という、自分に課された任務を粛々と遂行しているように見えた。
先輩が私を呼び出せば、
「いじめられていないか。」
私が髪を切れば、
「お人形さんみたいやな、可愛い可愛い。」
大事な預かり物が辞めないようにと課長が任務をこなせばこなすほど、私は孤立していった。
課長の奮闘も虚しく、入社3ヶ月目に入る頃、私は完全な睡眠障害に陥っていた。
元々細身だった体型は不健康な細さになり、顔色は青白かった。
帰宅して夕食が進まない私に、母は何も言わなかった。
7月も下旬に入る頃、鳥居課長は私に新しい仕事を与えた。
各取引先との契約書を保管している棚の鍵を管理する、というもので、まるで小学生の日直のような内容だった。
失敗すら出来ないような業務。
それすら私には出来なかった。
毎日18時、退勤時間になったら、鍵を閉め、指定の保管場所に鍵を戻す。
それだけ。
いつものように鍵を閉め、退勤の挨拶をしていると、営業の山崎さんに突然怒鳴られた。
「なんで閉めてんだよ!まだ俺仕事してんだよ。」
不思議と恐怖は感じなかった。
ただ、成人男性がヒステリックに叫ぶという、初めて見る光景に圧倒された。
「すみません。」
と謝る私と山崎さんの間に、鳥居課長が割って入る。
18時には棚を施錠する決まりがあり、それを指示したのは自分であること、規定時間を過ぎても書類を戻さずにいることが問題であることを、淡々と山崎さんに伝えていた。
数分後、山崎さんから謝罪されたが、私は山崎さんが悪いとは思わなかった。
その日以降、営業の男性社員は私を腫れ物のように扱い始めた。
山崎さん発狂事件から3日後、初めて会社を休んだ。
朝から熱があり、通院のため休みが欲しいと告げた。
仮病だった。
熱はなく、ただ、ずっと眠れていない体がだるかった。
一度甘えてしまうと、もう元には戻れなかった。
休んでしまった罪悪感と重い体。
欠勤後の冷たい視線。
12月を待たずに私は退職した。
与えられた役割をこなせなかったことが、私を打ちのめした。
元々低い自己肯定感が音を立てて崩れるのを感じた。
それからは派遣やパートを転々としたが、どこに行っても馴染めなかった。
いま思えば、20代の内の2年や3年なんて人生の模索期間として好きな事に時間を使って自由に生きても良いのだろう。
でも私はそれを自分に許せなかった。
退職を繰り返しては、ちゃんとしなければならない、なんとかしなければならない、と職を探した。
そうしているうちに、視線に恐怖を感じるようになった。
“普通”でいなければいけないのに、“普通”ではないと見抜かれているようで、指一本動かすタイミングさえ見計らうようになっていった。
昼休み、私の居場所はトイレになった。
一人になって思う存分混乱した。
『どうしよう』
『いや、どうもしなくていい」』
『なんとかしなくては』
『なにを?』
繰り返し頭に浮かんでくる。
冷静にならなくてはいけない。
ふと胸元のネームが目に入る。
ネームを外し、安全ピンで手首の内側を引っ掻いた。
瞬間、頭がクリアになる。
無心で引っ掻き続けると、うっすらと血が滲む。
それを見た私はとても安心した。
久しぶりに「普通」の状態に戻れた。
気がつくと、駅前のロータリーに到着していた。 自販機の明かりが、妙に人工的に感じる。 始発にはまだ早く、どの店もシャッターを下ろしていた。
街は眠ったままだ。
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