『ほんとうにあった猫町事件簿』

赤栗ハイツ@文体実験

第1話 その茶トラ、マイケル。本当の居場所を探して

これは、私がずっと前に実際に体験した出来事である。

東京・雑司が谷。古い町並みとゆるやかな時間が流れるこの町で、猫たちはまるで風景の一部のように暮らしていた。

その中に、ひときわ印象に残る茶トラの猫がいた。


最初に見かけたときは、「大きめの茶トラだな」と思っただけだった。

ずんぐりした体型のわりに、目が合うと、何かを言いたげな表情でじっとこちらを見つめてくる。

人懐こいようでいて、少し距離を測っているような、そんな不思議な空気を持った猫だった。


地域猫で、いつもボランティアさんから食事をもらっているようだった。

ある夜、通りがかりの私に腹が空いたという目で訴えてきた。

家猫に買ってあったごはんをやると、その茶トラはためらうことなく食べた。


それだけのつもりだったのに、食べ終わったあと、彼は私の後をついてきた。

そして一緒にマンションのエントランスの前まで来て、自動ドアの中に一緒に入ろうとした。

私は驚きながらそっと言った。


「だめだよ、ごめんね」


彼は、それ以上踏み込もうとはしなかった。

そしてこちらを見上げて、「うん、わかった」とでも言うように、ほんの少し寂しげな顔をして、静かに引き返していった。


それから少しして、近所の人たちと挨拶を交わすようになり、立ち話をするようにもなった。

地域猫の活動に関わる人と知り合ったのも、その頃だった。

あるとき、その人が「ああ、その子、マイケルって呼ばれてるのよ」と教えてくれた。


そして、こんな話をしてくれた。

マイケルは一時期、保護猫としてボランティア宅にいたことがあったという。

大勢の猫たちと一緒に暮らす中で、彼はどうやら自分を小さくしていたらしい。


他の保護猫たちとの間に何かあったのかは、わからない。


けれど、ある日ふっとその家を出ていったのだそうだ。


「大きな体してるのにね、そういうとこ、あるんだよねえ。マイケルは」

と、その人は少し笑って言った。


何かを感じて、黙ってその場を去る。

そういう気質は、きっとあの夜の“自動ドア”の一件にも表れていたのだと思う。

マイケルは、扉の前でこちらを見上げ、何も言わずに静かに身を引いた。

私の言葉ではなく、私の気持ちを受け取ったうえで。


マイケルはその後も、自分のペースで町を歩き続けていた。

鬼子母神の境内やみみずく公園のあたりで見かけたこともあるし、

駄菓子屋のおばあちゃんにかわいがられていた、という話も聞いた。

子どもたちの声が聞こえる夕暮れどき、軒先にちょこんと座っていたのかもしれない。

“家”ではないけれど、そうやって少しずつ、彼なりの“居場所”を探していたのだろう。


マイケルは、誰にも寄りかからず、誰とも群れずに、町の空気にとけ込んでいた。

まるで、風のように。

彼の姿は今も思い出すことがある。季節の変わり目、ふと道端で茶トラを見かけたとき。

そこにいるはずもないのに、つい「マイケル」と呼びたくなるような、そんな気配をどこかに残して。

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