第36話 国を想う英雄 と 国を変えた王 ③
陽光が王都の空を照らし、鐘の音が高らかに鳴り響く。
運命のその日――戴冠の儀が、ついに始まろうとしていた。
人々は胸に希望を抱きながら、新たな時代の幕開けを見つめていた。
――ソルディア王宮・王室。
コンコンッ。
扉を叩く、控えめな音が響いた。
「陛下、まもなくお時間でございます」
「おう、ノーグか!? 入れ」
重厚な扉がゆっくりと開かれ、ノーグが姿を現した。
その表情には、いつにも増して張り詰めた気配が宿っていた。
「……ゼルバナト国王陛下。本日の戴冠式をもって、あなたは正式にソルディア王国の王となられます」
入室するなり、ノーグは淡々と、しかし硬い声で続けた。
「以後、私のことは“ノーグ”ではなく、“大宰相”とお呼びいただきたく――」
ゼルバナトは寝台に座ったまま、盛大にため息をつく。
「チッ……ったく……堅苦しいな」
ノーグは目元だけで鋭く睨んだ。
「国の顔となるお方が“チッ”などと舌打ちする姿は、はしたなく、臣民の夢を砕きかねません」
「へいへい、肝に銘じときますよ――大・宰・相殿ぉ〜」
「語尾を伸ばさないでください」
「あーはいはい、わーったよ……ったく……」
ゼルバナトは肩をすくめながら立ち上がると、寝ぐせだらけの髪を適当に手で梳いた。
その動作すら、どこか王らしさを欠いているのに――それでも彼が立てば、部屋の空気は一変した。
ノーグがふと口調を落とし、思い出すように言った。
「本日の戴冠式ですが……通例では、王妃あるいは王女が、新たな王に王冠を授け、王位の継承を宣言するのが慣わしです――」
ゼルバナトはその言葉の先を、言われるまでもなく悟っていた。
ノーグは言葉を選びながら、静かに続ける。
「……しかし今回は、前例なき事態ゆえ、代わりにエリオット殿下が王冠をお渡しになります」
部屋に、静けさが満ちる。
ゼルバナトは、なにも答えなかった。
ただ、目を伏せたまま、どこか遠い場所を見つめるように立ち尽くしていた。
ノーグが慎重に声をかける。
「……陛下? どうかなさいましたか」
その問いに、ようやくゼルバナトが口を開いた。
低く、絞り出すような声だった。
「あぁ、いや……あいつが、ここにいたらな――って」
その呟きは、胸の奥底から漏れたものだった。
朝の陽光は穏やかで、王宮前の大広場には、戴冠の時を見届けようと民が集い始めていた。
手を取り合う親子、旗を振る子どもたち、歓声とざわめきが波のように広がる。
兵士たちは城門前に整列し、祭礼の装束に身を包んだ楽団が式の始まりを待ち構えている。
――だが、その喧騒とは裏腹に、王の胸の奥には、誰にも届かぬ痛みが静かに軋んでいた。
ノーグは静かに視線を伏せた。
その沈黙に、どんな言葉を重ねても、今の彼には届かないと悟っていた。
ゼルバナトはゆっくりと立ち上がり、深く息を吐く。
「王冠なんざ、首を傾けりゃ落っこちるし、重てぇし、邪魔だってのに……渡してくれる奴がいねぇと、こんなにも……空っぽで、寂しいもんなんだな」
その瞳は、かつて誰よりも傍にいた“王女”の面影を映していた。
しばしの沈黙ののち、ノーグはそっと呟いた。
「……リアナ様も……きっと……あなたに王冠を渡すその日を、心待ちにされていたことでしょう……」
ゼルバナトは小さく笑った。
それは皮肉でも、強がりでもなく、どこまでも――寂しさを包んだ笑みだった。
「さぁ、大宰相殿。着替えさせてくれや。国王様の格好ってやつをよ」
「畏まりました、陛下」
扉が閉まる音とともに、戴冠の朝は静かに動き出した。
――ついに、戴冠式の刻が訪れた。
王宮正面の戴冠の壇。かつて栄光も、悲しみも、すべてが交差したその場所に、ゼルバナト・ソルディアが姿を現した。
陽光が降り注ぐその瞬間、王都を取り巻く高台から広場、城門の外に至るまで、あらゆる場所に人が押し寄せていた。老若男女、貴族も平民も、皆が息を詰め、ただ彼の登場を待ち望んでいたのだ。
――そして、爆発するような大歓声が、空を揺るがした。
幾万もの喉がひとつとなり、嵐のように沸き起こる喝采。咆哮のような歓呼が王都の空を満たし、風がそれを遠く離れた地にも運んでいく。
その音は、勝利の讃歌であり、悲しみの余韻であり、そして――希望の始まりだった。
ゼルバナトは、一歩、また一歩と壇の中央に進む。
――だが。
その熱狂を前にして、彼は一言も発せなかった。喉が詰まったわけでもない。ただ……あまりに大きな声に、呆れ果てていた。
「ゼルバナト様ァァァッ!!」
「我らが王だああああ!!!」
「英雄王!! 万歳ッ!!」
「ゼルバナトーーッ! ついにこの日がァッ!!」
「ゼルバナト陛下ァアアアッ!!!」
「うおおおおお!! 生きててよかったあああ!!」
やがて、ゼルバナトは大きく息を吸い込み――その胸いっぱいに、王都の空気を満たした。そして――
「――うるせえぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!!!!」
全力の叫びだった。
続いて、どよめきとともに爆笑が巻き起こる。
「えぇぇぇえええええーーっ!?!?!?」
呆気に取られる者、思わず笑い出す者、涙ぐむ者。だが――多くの者の胸には、どこか安堵の色が浮かんでいた。
――ああ、いつものゼルバナトだ。
王になっても、英雄と呼ばれても、その“らしさ”は失われていなかった。
こうして――新たな王の戴冠式は、ひときわ大きな笑い声と共に、静かに幕を下ろした。
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