第25話 継がれし願い と 集いし想い ③

 嗤っていた。

 王が、王妃が、兄が――まるで妹の死が“都合の良い材料”にでもなったかのように。


 ゼルバナトの足元から、感情の底が崩れ落ち、瞳が音もなく深く沈んでいく。

 手は、腰の剣の柄を静かに握ったまま――

 笑いの残響がまだ空間に渦巻いているなか、彼は静かに手を上げた。


 そして――


 ギィン――ッ!!!

 銀の閃光が、静寂を裂いた。


 それはまるで怒りそのものが形を成したように、一直線に王たちの食卓を貫く。


 ガァン――!!

 重厚な衝撃音。


 皿が砕け、果実が跳ね、赤いワインが宙に舞った。

 王妃の白い頬に、その液体が斜めに走る――まるで誰かの流した血のように。

 剣は、まさに王の目の前――肉と油と傲慢が山積した皿の中央に、深々と突き刺さっていた。


 王の前、寸分違わぬ位置に突き立てられた刃。

 それは宣戦布告――その目は、何よりも鋭利だった。


「……“お前たち”が居たから、リアナは死んだ」

 その声には、もはや感情というものすらなかった。

 冷たい。けれど、それ以上に――深く、深く、燃えていた。


 王が椅子の背にもたれ、眉をひそめる。

「……ほう?」


 王妃が血のようなワインを拭いながら、うっすらと笑う。

「何をしてるのヨッ! 頭まで獣になったようネ! 下品にも程があるワ!!」


 沈黙を切り裂くように、ルダインが立ち上がった。

 椅子が床を引っかき、鋭い音を立てる。

「――いい加減にしろ……! 貴様、誰に向かってその無礼を働いているか分かっているのかッ!!」

 怒声が広間に響き渡った。


 顔を紅潮させ、拳を震わせながら、彼は周囲を見回した。

「衛兵! この謀反者を捕らえよッ! 即刻、拘束しろ!!」

 その瞳は、ただ一人の妹を喪った“地獄”を、映していた。


 しかし、広間に控える王宮兵たちの誰一人として、動かなかった。剣に手をかける者すらいない。

 ゼルバナトの背に重なる影の中、王宮兵たちはただ黙して立ち尽く、その瞳は、ゼルバナトを見ていなかった。

 顔を上げる者もいれば、目を伏せる者もいた。


 だがその胸の奥には、確かに――


 怒りがあった。

 罵倒すら言えぬほどの、深く鈍い怒りが。


 疑いがあった。

 仕えていたものが本当に“王”だったのか、という絶望的な疑いが。


 そして、あの夜の“美しい瞳”と“柔らかな声”を想って――こみ上げる悼みが、静かに胸を焦がし、王を、王妃を、ルダインを――睨んでいた。


 言葉などなかった。


 ただ、血のように重く、心を濡らす“沈黙”だけが、広間を支配していた。

 彼らは知っていたのだ。リアナ王女が、どれほど人々を思っていたかを。

 誰よりも、分け隔てなく言葉を交わし、笑い、寄り添ったことを。


 その死を、王は侮辱した。

 王妃は笑った。

 ルダインは、血塗れの弟に命令を発した。


「なぜ動かん!? 貴様ら、我が命令が聞けぬというのか!? 第一王子の命令だぞッ!!」

 ルダインの怒りは、もはや命令ではなく、恐怖を誤魔化す叫びに変わっていた。

「そやつの粗暴な振る舞いに怖気付いておるのか!? 愚か者共がッ!! それでも兵士か――」

 それでも兵士たちは、一歩も動かなかった。


 兵士たちは――動けなかったのではない。動きたくなかった。

 己の忠義が、いまどこにあるのか。

 誰を守るべきなのか。

 その答えを、全員が心の奥で知っていた。


 そして――ゼルバナトは、誰の方を見るでもなく、ただ一点を見つめ続けていた。

「お前……まさか、兵士共に手を回していたのか……!? 貴様、ついにこの国に牙を剥いたか、ゼルバナト!!」

 しかし、その声すら――ゼルバナトの燃え盛る怒りの前には、もはや何の意味も持たなかった。

 


 ゼルバナトの瞳は血のように濁り、されど燃える焔のように猛り狂っていた。

 その視線が、王を、王妃を、長兄ルダインを、順に貫いてゆく。

 もはや家族でも血族でもなかった。そこにいたのは、妹を殺し、民を踏み躙った“断罪すべき腐肉”だった。


「……お前たちが、何を語ろうと……リアナは、戻らない」

 声は低く、けれど、空間を灼くように熱かった。

「リアナは――この国を信じていた。腐りきった王宮にいても、己の信念を曲げなかった。力なき者を守り、分け隔てのない国を作ろうと……リアナは、たった一人で、戦っていたんだ!!」

 拳が震えた。噛み締める歯の奥で、血が滲む。

「それを、お前たちは……!」


 ドン、と足を踏み鳴らす。その一歩に、食卓の誰もが肩を揺らした。

「王は――本来、民の盾であり、剣であるべきだ!! その手を、民に向けるなど……それはもはや、“王のするべきこと”ではない」


 剣はもう手元にない。だが、今この男の全身が、“刃”だった。

「……民を豚と呼び、平然と生贄に差し出す王家に、何の正義がある? 民を見下す者が、王であってたまるかッ!!!!」


 ゼルバナトの声が、次第に荒れ、噛み殺した怒りが、言葉に変わって噴き出した。

「この国を腐らせているのは――お前たちだ!!」

 その一言は、まるで雷鳴のように、饗応の間の天井を打ち裂いたかのようだった。

 兵たちが震え、空気が硬直する。


 だが、ゼルバナトは止まらなかった。

「リアナは命を捧げた。この国の未来に希望を繋ぐために。その希望を、平然と“宣伝材料”と呼ぶお前たちに……俺は――心の底から、軽蔑する!! 血を分けた“家族”にさえ、思いや悼む心ひとつ持てぬお前たちなど……獣にも劣る。いや――醜悪の極みだ」


 叫びを吐き出した瞬間、ゼルバナトの胸に去来したのは――

 あの日、笑っていた妹の姿だった。

 小さな手で泥を払い、民の子どもと同じ目線で語りかけ、誰よりも先に傷ついた者に手を差し伸べる。

 その笑顔がどれだけ多くの者を救ったか、どれだけ多くの未来を照らしていたか――


「……俺は、兄として……守ってやれなかった」

 ギリ、と爪が拳に食い込み、血が滴った。

 かすれる声に、誰も言葉を返せなかった。

 その痛みは、もはや怒りよりも深く、静かな絶望のようで――そして、確かな誓いの種火でもあった。


「お前たちと同じ王族に生まれたことが、何よりも……腹立たしい。それでも――あいつの兄になれたことだけは、誇りに思う……」

 その声には、一点の曇りもなかった。


 そして――


「俺が、この国を変える。リアナが命を懸けて願った、“すべての民が笑い、生きることを誇れる国”に――必ず、変えてみせる! だから……そこを退けッ!!」


 ルダインの顔が怒りで歪み、立ち尽くしていた身体が怒声と共に前へと踏み出した。

「いい加減にしろよ……ゼルバナトオオオッ!!」

 ルダインは怒気を撒き散らしながら、一直線にゼルバナトへと突っ込んできた。


 だが、ゼルバナトは一歩も退かない。

 剣はすでに手から放たれている。

 それでもただ、堂々と王たちを見据えたまま――彼はまっすぐに、暴君の座すその席を睨みつけていた。


 怒りに満ちた兄の怒鳴り声さえ、もはや耳には届かない。

 ゼルバナトの瞳には、ただ――“終わらせるべきもの”だけが映っていた。

「その腐り果てた王座――今ここで、明け渡してもらう」


 かつて“家族”と呼ばれた者たちを前に、ただ一人、王の名を捨てて立つ男――

 その眼差しは、もはや“始まり”ではなく、“裁き”を告げていた。

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