第42話 鈴木彩

放課後の教室には、すでに誰の気配もなかった。


騒がしかった昼間のざわめきは遠い記憶のように消え、空間はしんと静まり返っている。

時計の針が刻む微かな音が、かえってその静寂を強調していた。


斎藤竜馬は、静かに立ったまま、教室を静かに見渡していた。

そして、その視線の奥には、ひとつの問いがあった。


――なぜ殺したのか。


それだけは、どうしても分からなかった。

どれだけ推理を組み立てても、状況を積み上げても、そこだけは霧の中だった。


動機。

理由。

感情。


それらはすべて、本人の中にしか存在しない“解釈”に過ぎない。

他人がいくら論理的に迫っても、最後の一歩には触れられない。

それはまるで、音のない“沈黙”そのものだった。


しかし――


「ただ、確信はある」


竜馬は静かに呟いた。


あの夜、笹本花恋を殺したのは、鈴木彩だ。

それだけは、動機がわからなくても、ただひとつの“実感”として、胸の奥にしっかりと残っていた。


竜馬の推理を聞いた彩は何も否定しなかった。

かといって、肯定の言葉も一切なかった。

竜馬が語ったことを、ただ、無言で受け止めていた。


けれど――

最後のあの微笑だけが、すべてを物語っていた。


何も語らない者ほど、雄弁に語ることがある。


沈黙の中に込められた意志。

竜馬には、あの沈黙がはっきりと聞こえていた。


彼は拳を軽く握ったまま、じっと教室の床を見つめていた。

自分の問いは、彼女に届いたのか。

届いたうえで、あえて黙っていたのか。

それとも、最初から“答える必要すらない”と悟っていたのか。


どれが真実だったのかは分からない。

ただ、彼の中に残ったのは――空虚ではなく、妙に温度を持った“余韻”だった。


そのとき。

椅子がわずかに軋む音が響き、竜馬は顔を上げる。

そこに立っていたのは、鈴木彩だった。

しかし、その表情は――いつもの彼女とは、どこか違って見えた。


無言のまま、竜馬の前に立ち、ゆっくりと一歩だけ近づく。

その足取りに迷いはなかった。

だが、どこか、終わりを見据えているような落ち着きがあった。


竜馬は何も言わなかった。


彼女も、何も言わなかった。


ただ、その目だけが……澄んでいた。

どこまでも、静かで、どこまでも曇りのないまなざし。

嘘も、恐れも、後悔さえも見当たらない――ただ、受け入れている目だった。


やがて、彩はそっと口を開く。


「……委員長」


その呼び方に、竜馬の胸がかすかに波立つ。

それはいつも聞いている、けれどどこか懐かしい響きだった。

何も起きていなかった頃の、入学当初の日々を思い出させた。


「あなたは――優しすぎるのよ」


その声は、ささやきのように教室に落ちた。


それだけを言い残し、彩は静かに踵を返す。

黒板の下を通り、開いたままの扉の向こうへ、ゆっくりと歩いていく。


窓から差し込む月光が、その背中を照らした。


ただ、“終わらない物語”の影が、そこに滲んでいた。

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