嘘を着て歩く制服と、放課後の密室劇

千明 詩空

第1話 入学式

春の陽射しが差し込む講堂。


高い天井から吊り下がるシャンデリアに、朝の光が反射してきらきらと輝いている。舞い落ちる桜の花びらが、まるで一つの舞台装置のように、荘厳な式典の幕開けを演出していた。


壇上に立つのは、今年度の新入生代表——鈴木 彩(すずき あや)。


首席入学という肩書きを持ちながらも、どこか儚げな印象の少女だった。背は小さく、体つきは華奢で、制服のブレザーがわずかに余っている。髪は黒く艶やかで、頬にかかる前髪が、切り揃えられた眉と端整な瞳の輪郭を際立たせていた。


その顔立ちは「冷たい」とすら言われるほど整っていた。美しいのに、温度を感じない——そんな印象を持つ者も多かっただろう。


だが、それは決して無感情ということではない。


静けさの中に潜む確かな意志。言葉より先に、立ち居振る舞いが物語るものがあった。


壇上に上がった彩は、観客席に整列する新入生たちと、来賓、そして壇上に並ぶ教職員たちをゆっくりと見渡した。その視線には怯えも誇りもなく、ただ、静かな決意だけが宿っていた。


マイクの前に立つ。ほんのわずかに咳払いをし、少女は口を開いた。


「……誠実に学び、誠実に生きることを誓います」


わずか十数文字の挨拶だった。


しかし、その簡潔さが、かえって聴衆の胸に強く残った。


明瞭な声ではなかった。音量も大きくなかった。けれども、言葉の選び方と、その言葉に込められた真摯さが、講堂全体を一瞬、静寂で満たした。


その沈黙こそが、彼女の「声」だった。


壇上を下りた彩は、拍手の中でほんのわずかに眉をひそめた。拍手が苦手なわけではない。ただ、それが「賞賛」なのか「驚き」なのか、あるいは「無難な形式」なのか、判断がつかないことが少し煩わしかった。


彼女の中には、常に整理された判断基準があった。物事の意味、意図、文脈を読み取る力。静かに、だが鋭く、世界を見つめる目を持っていた。


その目は、小学校の頃から既に完成していた。


親の顔色をうかがい、先生の機嫌を探り、同級生たちの無言の空気を読んで身を処す。


「優等生」とは、努力よりも洞察によって成り立っていると、彩は早くから気づいていた。


中学では、その洞察に磨きがかかり、彼女は学年首位を取り続けた。けれども、同時に孤立も深まった。


「何を考えているのかわからない」


「ちょっと、怖いよね。あの子」


そんな陰口が耳に届いたこともある。


——怖いのは、どちらだろう。


口に出したことはないが、そう思ったことは何度もある。


感情を表に出すことを躊躇うのは、何も冷酷だからではない。むしろ、むやみに感情を曝け出すことで生じる“軋み”の方を、彼女は怖れていた。


だから彩は、今日もまた、周囲の空気に流されず、自らの均衡を守っていた。


入学式が終わるころには、職員室のあちこちで一人の名前が挙がっていた。


「今年の首席、鈴木彩って子、なかなかの逸材ですね」


「数学と英語はすでに授業内容を理解してるようで、黒板を見ずに解いてしまうって聞きましたよ」


「しかも、態度が謙虚。質問には一言一句、無駄なく返してくる。感情を見せないのに、失礼さがまったくない。あれは……ちょっと驚きですよ」


教員たちは、ただ優秀だというだけでは済まされない「何か」を、鈴木彩に感じていた。


それは、完璧すぎる整い方——


無駄のない筆跡、無言で立ち上がる所作、誰とも馴れ合わないが孤立しない距離感。誰かの“理想像”を、無意識にでも体現しているような。


その佇まいに、戸惑いや警戒すら覚える者もいれば、「将来有望だ」と期待を口にする者もいた。


同様に、保護者たちの間でも、彼女の名前は静かに話題になり始めていた。


「入学式で壇上に立った子、覚えてる?」


「ええ、あの子よ。鈴木さんっていうのね。誓いの言葉、あんなに短いのに妙に心に残って」


「ご両親は教育者か何かかしら。あれは育ちの良さが出てるわ」


囁かれる噂と、広がる関心。


注目されることに対して、本人がどう感じているのかを知る者はいない。


けれど——その静けさと知性に裏打ちされた存在感は、知らず知らずのうちに、周囲の“期待”を集めていた。


「目が離せない子ね」


誰かがそう呟いた言葉が、妙に職員室の空気に残った。


期待は時に、祝福と呪いの両面を持つ。


それを、彩自身が知るのはもう少し先のことになる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る