T is For Time
土屋昴
大義の名残り
最近のニュースを見てるとずっと四十代のトレンドが続いているなあと思う。大人にならなかったのだと思う。それはバブル世代も同じだし、しらけ、新人類、三無主義も同じ、団塊も同じだ。唯一違うのが皇国少年少女だ。彼らは戦後語る義務があり、守る義務があり、そしてそれらはすべて正しく、なまめかしく、頼りなく、あてがない。
戦後は全体が、最初から、すべてが、壮大なハズれだった。
みんな知らないからである、世界を。
その意味で戦前、入念に準備された子どものクニ、昭和のまごうことなきつづきである。
極東という言い方がある。
ようするに東でも西でもないが、島にしちゃ大きく温暖な気候に恵まれている。働かないには気温が適温すぎ、働くには寒さが足りない。
恵まれているから良い訳ではない。その典型である。
責任の問題というものがある。
世の中は相変わらずやったもんがちであり、その意味で何がいけないわけえ~という子どもも多い。
しかしだいたい9割は信心深く、流されやすい。
小さじ半、人差し指いっぱいのやつが最初からわかっている。
1割がなんとか殺しのようにあとで効いてくる。やたらと用心深く、大人しくなる。
つまり子どもというのはそのまま、ありのままでは、そのほとんどがハズれである。
こんな恐ろしい見取り図がかつてあっただろうか。 これが日本の近代というやつだった。日本が最先端に見えているなら間違いで、正確にはここが最果てだからだ。しかし煮凝になるには何か足りない。持たざる国、昭和平成。
昭和天皇の崩御の日は異様な空気だったという。
子どものクニの王様、中身も何も無い殺人機構。
現実にそんなことするわけがないと鼻で笑いながら殺人ゲームに興じるいまの日本人みたいなものか。彼には文字通り責任がなかった。
そんな彼は最後まで生きることで罪を洗い流した。
そんな設定だったのだろう。戦中派にとって。あるいは。
しかし誰がそう言ったのか?
どの子どもがそう考えたのだろう。中学生、いや小学生くらいだろうか。
アドレッセンス
十二歳の子ども
しかし8歳くらいだったら?
もしも君が8歳なら、あいつが殺したと思うだろう。
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