第13話


 突撃状態でジョルダーノの邸を訪れたコーネリア。

 旅の汚れを取るべく浴室に案内され、途中で購入したワンピースに着替える。

 コルセットを嵌めない服は本当に楽で、動きやすい。

 そして案内された応接室には、すでにオードリックが待っていた。

 目の前に並べられた軽食や菓子はどれも美味しそうで、つまみながら話を聞いてくれるらしい。


「掻い摘んだ話はジェレミーに聞きました。今回の件は王都の使用人が先走ったようですが、ご自宅は大丈夫なのですか? 伯爵や夫人も心配されているのでは?」

「はい。父や母には手紙を書きました。大丈夫ですわ」


 コーネリアは大丈夫だと言うが、普通に考えて大丈夫なはずがないのだ。

 貴族令嬢が婚約でもない男の元に出向くなど、あり得ない話だ。

 

「そんなことよりもオードリック様。これがお約束のハンカチです。ご趣味がわからなかったので、色々な模様の物を作りました」


 目の前に並べられたハンカチは十枚。白や紺、青に黒と言った布地に金糸や赤色などを使い、とても綺麗に仕上がっている。


「これをコーネリアが?」

「はい。私、刺繍もそうですが、針仕事が得意なんです。簡単な物なら自分で作ってしまうくらいに。貴族令嬢らしくないと窘められることもあるのですが」

「そんなことは……」


 恥ずかしそうにするコーネリアだったが、オードリックには今一つわかっていない。

 針仕事など平民が食い扶持のためにする仕事であり、貴族家のご令嬢がする趣味としては公に口にはしにくいものがある。

 それでも、彼女がそう言うのだ。それが世間一般的な価値観なのだろうと理解できるまでには成長したのだ。


「貴族であろうと平民であろうと、個人の趣味に対して他人がとやかく言うのは間違いだと私は思います。誰に迷惑をかけるわけでもなし、好きなら堂々とやるべきです」


 真剣な表情で話すオードリックを見て、コーネリアは嬉しくて胸が熱くなった。

 やっぱりこの方は他の方とは違うのだと。

 オードリックの言葉を聞いて、コーネリアは「ありがとうございます」と口にするのがやっとだった。それ以上を言えば声が震えてしまいそうで……。


 そんな様子を見過ごすことのないほどにコーネリアを見つめているオードリックは、何かマズイことを言ったのか?と、あわあわし始めた。

  

「あ、あの、コーネリア。良かったら屋敷を案内しましょうか? それとも庭の方が?」

「よろしいのですか?」


 空気を変える為に咄嗟に口にした提案を、コーネリアは笑顔で受け入れた。

 これで良かったのかと安心して周りを見れば、執事も使用人たちもなぜか頷き嬉しそうな顔をしていた。それを見て、ホッと安心するオードリックだった。


「屋敷の案内と言っても、本当に単純な作りです。ここは辺境の地。普段相手にするのは魔獣ですが隣国とも接しているので、もしもの時にはここが指揮所になります。

 ですから会議のできる広い部屋と、要人たちの寝泊まりができる部屋と、地下には多くの騎士や兵士、領民の命を繋ぐための貯蔵庫があるくらいで。普段は綺麗な応接室も、客間も必要ないのです」


 お恥ずかしいですと、頭をかくオードリックにコーネリアは答えた。


「私達が日々安心して過ごせるのは、オードリック様が先頭に立ち守って下さっているからだと父や兄から聞いています。大変だとは思いますが、ご立派なお姿です」


 彼女の言葉にオードリックは拳を握る。魔獣の爪により着いた傷跡は、顔にある大きな斜め線だけではない。体中いたるところが傷だらけなのだ。

 大きな躰に、大きな傷のある顔。そんな姿を恐ろしいと貴族の女性たちは恐れおののき近づいても来ない。それなのに、コーネリアは自分にしっかりと向き合い、認めてくれている。

 喜びで震える身体を押さえる為に握った拳は、それでも嬉しそうに震えていた。


「うっうっうぅぅ」


 並び歩くふたりの後ろから、不穏な声が聞こえる。

 オードリックは振り向かずともわかったが、不思議に思ったコーネリアが振り向くと、執事長が口に手をあて嗚咽を漏らしていた。


「え? あの、大丈夫ですか?」

 

 意味が分からないコーネリアに対し「申し訳ございません」と平謝りする執事長は、白い手袋をはめた手で彼女の手を握りしめた。


「こんなにも旦那様を、ここジョルダーノ家の領地をご理解できるご令嬢にお会いし、わたくし感動で震えております。

 ああ、まるでオードリック様の母君様を思い出しますれば、きっと亡くなられた前当主ご夫妻も草葉の陰で喜んでおられることと……」

「ゴホン!!」


 何を言い出すんだこの老執事は!と、コーネリアの後ろから軽く睨みをきかせるオードリックだった。

 だが、そんなことでひるむような執事長ではない。


「ああ、これは失礼いたしました。ご令嬢の手を取るなど、後ろで旦那様が焼きもちを焼いておられます。まったく狭量でございますねぇ」

「え? やきもち?」


 執事の言葉に反応したコーネリアは、思わず振り返りオードリックの顔を見つめた。突然振り向かれ焦った彼は、くるりと後ろを向き顔を隠してしまった。

 それを見てコーネリアは「うふふ。照れておられるのですか?」と、嬉しそうに微笑んだ。



 その日はとりあえずゆっくりしてもらうために、コーネリアは侍女と共に部屋で食事をとった。

 豪華な客間はないといっていたが、豪奢な飾りがないだけで必要なものは十分揃っているし、そこは申し分ないものだった。


「お嬢様。なんとかここまで来られて、よろしかったですね」

「ええ、本当に。あのまま王都の邸を追い出されていたら、計画が水の泡になったものね。うまく行ってよかったわ」


 コーネリアは最初からオードリックを追いかけ、この辺境の地へと向かう算段だったのだ。

 一目見て恋に落ちたのは、何もオードリックだけではない。

 コーネリアもまた、オードリックに恋をしていたのだ。

 王宮の舞踏会で助けてもらったあの時、自分の運命の人は彼だ!と心に決めた瞬間だった。助けてもらったからだけではなく、どこか懐かしく、そしてこの縁を逃してはならないのだと。後悔するような気がして、二度と手を離すまいと、そんな風に気持ちが騒めき立った。


 ハンカチのことを母に話し、自分の気持ちを素直に、正直に話した。

「オードリック様の妻になりたい」と。

 彼女自身、反対されると思っていた。だが、蓋を開ければ父も母も、兄までもが賛成してくれた。

 そして計画を立てた。逃げられないように、追いかけ、辺境の地に行ってしまえばこっちのものだと。

 貴族令嬢にとっての醜聞は恐ろしい。たとえ国王が口添えしてくれたとて、彼女にまともな婚姻の話はまずこないだろうと思う。家格を下げて、持参金の額を上乗せすれば大事にはしてもらえるだろうが。

 ならばいっそ、娘が望む地に嫁がせた方が本人のためにも、キャリスタン家のためにも良い話だ。

 これは娘を売るのでない。押し付けるのでもない。

 本人が望む、最善の形なのだから。


 そんな計画がキャリスタン伯爵家で、家族総出で話し合われているなど露にも思わないオードリックは、自室でくしゃみを一つするのだった。



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