第3話 凡才は、戦い方で勝つ

朝の旧グラウンド。

空は白みはじめ、湿った土と草の匂いが漂っていた。


香川雄大かがわゆうだいは、無言でストレッチを続けていた。まだ誰も来ていない。

眠気は抜けない。身体も重い。それでも、気持ちは落ち着いていた。


(決めたんだ。もう負けないって)


「はぁはぁ、疲れたぁ〜。駅から猛ダッシュできたからさ。どう?ギリギリ間に合った?」


仲田肇なかたはじめが、息を切らして駆けてくる。制服のまま、シューズだけ履き替えている。


「ギリですよ」


香川かがわが軽く笑うと、仲田なかたも息を整えながら笑った。


「朝練なんて……何年ぶりかな。俺、たぶんもう野球から離れてたんだろうな。ずっと」


「でも、来たじゃないですか。自分から」


仲田なかたは黙ってうなずいた。


「去年まで、楽だったんだよ。野研って、やる気ないやつにとっては最高の環境だった。

でも、気づいたんだ。俺……ずっとごまかしてたって。自分にも、周りにもずっと。」


言葉の最後に、少し笑みを浮かべた。


「だから、苦しもうって思った。本気でやりたくなったんだと思う」


 


六時五十九分。

一人の人影が、旧グラウンドに現れた。


「……やべ、ギリセーフ」


篠山陵人しのやまりょうと。ネクタイを緩め、肩で風を切るように歩いてくる。


「遅刻かと思ったぞ」と香川かがわ


「いや、オンタイムだ。むしろちょうどいい」


「何様だよ」


「ピッチャー様だよ」


三人は、笑い合いながらキャッチボールを始める。


七時五分、石田吉定いしだよしさだがグラウンドに姿を現した。

紺のジャージに着替えている。


「全員そろってるな」


そう言って、すぐにアップメニューを指示した。


「今日も基礎中心だ。キャッチボール、ノック、体幹。まずは体を慣らす」


石田いしだの練習は“細かすぎる”と感じるほど徹底していた。


香川かがわ、グラブだけで取りに行くな。足を使え」

仲田なかた、投げたあとの姿勢を意識しろ。次の動作が遅れるぞ」

篠山しのやま、肘が下がりすぎだ。フォームが崩れてる」


香川かがわは、最初こそ戸惑ったが――

次第にその言葉のひとつひとつが、身体に入ってくるのを感じていた。


「なんで先生、そんなにうるさいんですか」


篠山しのやまが言った。


石田いしだは言葉を選ばず返す。


「野球は、を積み上げてやっと土台になるスポーツだ。……間違った動きは、どこかで必ず破綻して、もし試合で間違った動きをしたらいやだろ。」


篠山しのやま

「確かに間違えたままやっていたらヤバいなぁ」


練習後、水を飲みながら石田いしだが言った。


「お前ら三人。このままでは“野球部”として認められない。最低五人、必要だ」


「期限はあるんですか?」


香川の質問に、石田は静かにうなずいた。


「二週間。今月末までに、残り二人を見つけられなければ――部としての申請は取り下げる」


篠山が顔をしかめた。


「マジかよ……」


「厳しいのは、条件じゃない。だ。それに明光めいこうで野球好きはほぼ野研だ」

そう言って石田いしだは、空を見上げた。



放課後の旧グラウンド。

香川かがわ仲田なかたは軽くノックをこなし、ベンチで水を飲んでいた。


「野研って、今どうなってるか知ってる?」


仲田なかたがぽつりと尋ねる。

篠山しのやまは答えた

「まぁ流石に中高合わせて40人ぐらいだろ」


それへの仲田なかたの回答は

「高校の部員、今は70人。中学あわせて170。……全校生徒の一割近くが、野研所属ってことになる」


「……マジで?」


香川かがわが思わず目を見開いた。


「つまり、“学校最大の団体”が野研なんだよ。活動内容ほぼなくてもな」


そのとき、フェンスの向こうにぞろぞろと生徒が現れた。


川山怜かわやまれいと、8人の男子。


制服姿でだらしなく歩いているが、どこか目の奥が空虚だ。

その中心で、川山かわやまが軽く手を振った。


「おー、やってるやってる。さすが″仮野球部″は違うねー。意識高いわ」


「……何の用だよ」


篠山しのやまが警戒心を隠さず言う。


「うちの“野球研究同好会”、正式に活動再開したからさ。グラウンドの使用、交代制ってこと忘れないでくれよ?」


川山かわやまはそう言って、活動届のコピーをひらひらと見せた。


「顧問は宮寺みやでら先生。三年の世界史。印鑑もバッチリ。まあ、名義貸しだけどな」


仲田なかたが顔をしかめる。


(また同じやり方か……)


「でさ、お前らって、今三人だろ?」


香川かがわが視線を上げると、川山かわやまはにやっと笑った。


「うち、高校の部員70人いるんだけど。どう? 八人、貸してやろうか?」


篠山しのやまが舌打ちする。


「……ふざけんなよ、こっちに押し付けるつもりか?」


「マジで言ってるって。

この8人、去年の野研でもどの派閥にも入ってなかった。運動音痴で、やる気もない。だけど、そこが今回のポイント」


川山かわやまは一歩前に出る。


「“11人いる”ってだけで、お前らは“公認団体”扱いされるわけ。

勝手に練習してるだけの“3人の野球部”より、よっぽど“ちゃんとした組織”に見えるってわけ」


香川かがわの拳が、音を立てそうなほど握りしめられた。


「……お前、それ、バカにして言ってんだよな?」


「もちろん。だってそうだろ? って、誰が決めたんだよ?

数字と書類と人間関係で決まるのが、“部活”ってやつだろ?」


無所属の最下層部員たちは、何も言わない。


ただ立っている。それが、答えだった。


香川かがわが一歩、前に出た。


「お前みたいな奴は……本当に嫌いだ」


篠山しのやまがその肩を掴んで止める。


「言わせとけ」


「は?」


「凡才の敵ってのは、こういうやつなんだよ。

逃げ場だけ確保して、自分だけ傷つかない場所にいる。……だからこそ、戦う価値がある」


篠山しのやまは、川山かわやまの目を正面から見据えた。


「凡才は、戦い方で勝つ。数じゃねえ。“どう戦うか”だ」


香川かがわも口を開く。


「俺たちは、自分で動く。あと二人、自分で見つける」


川山かわやまは一瞬、無言になった。

そして、肩をすくめて笑った。


「うわ、青春だねー。二週間だっけ?がんばってねぇ。 せいぜい、夢見させてもらうよ」


そう言って、背を向ける。


8人の部員たちは、黙ってその後をついていった。


その日の放課後。


旧グラウンドのベンチに、三人と石田いしだが座っていた。

冷えた空気のなか、沈黙が続く。


「あと二人。期限は二週間。……それまでに揃わなければ、部としての認可は出さない」


石田いしだの声は冷静だった。


「それは、ルールじゃなくて先生の判断ですか?」


香川かがわが問う。


「俺の判断だ。“負けるとわかってる試合”は、俺はさせない。

勝ち目を見せられるなら、こっちも本気で構える」


香川かがわはうなずいた。


「……たぶん、俺たち、全員自信なんてないです」


「ないなら作れ。行動して、手に入れろ。それが、チームってもんだ」


香川かがわは、ゆっくりと拳を握る。


(凡才は、凡才のままじゃ終われない)

(凡才は、戦い方で勝つ)


始まりは、まだ何も始まっていなかった。

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