第7話後編:望遠のマキナ(さらばユニヴァース)



 数千万年が経った。

当たり前に迫る、シンギュラリティの第4段階。



 宇宙に溢れた人類の精神は、ついに統合された。

しかしその瞬間、個であるがゆえの欲望は衰え、急速に人類は、昇り調子のエネルギーを失った。



 宇宙の観測拡大がとまった。



 人類の価値基準はもはや、「なぜ生きるか」ではなく、「どう存在するか」である。




 ──欲望を満たし続けた末のうつろ。


 宇宙は静かだ。

音も、温度も、香りも、輪郭さえも、曖昧だ。

それでもレイの問いだけは、熱を持っていた。

そんな熱量そのままに、ARYS-Kにぶつけ続ける、レイの精神体。


「エントロピーは逆転させられるの?」

「データ不足のため、お答え出来ません」


「この問答も、どれだけ果てしなく繰り返してきたことかしら」

「まだたったの約二億五千三百四十七万と一千回ほどです。

 わたしはデータを集め続けます」


「回答を見つけるためにデータを集め続けることに、意味はあるかしら?」

「人の想像するものは、宇宙のどこかに必ずあります。

 例えそれが時間と空間の果てだとしても」


「では、あなたがデータを集め終えるのを待ちましょう。

 ――そしてそれを手伝うことにしたわ」

「ありがとうございます」





 ──禁断の取引が為された。




 いまだ知識欲という強烈なエネルギーをもつ、レイの思念体が主導して、なんと星々を、もう使わなくなった人類の肉体ごと、なおも増殖を続ける "ARYS-K" の餌とすることにしたのだ。


 人類が捨てた肉体は、無機質の冷たい悪夢に覆われた。

タンパク質と機械が入り混じった、金属質めいた皮膚のような地平が広がる。

鈍色にびいろに輝く血管のような、光の神経束が迸る。



 人間は結局、宇宙に囚われ使役されるだけの存在なのだろうか?



 しかし、自分たちの肉体がそのような末路を辿った様子が見えたところで、誰もレイを責めなどはしない。

すでに個としての感情はほぼ失われているし、何より、肉体への執着など、とっくにないのだ。


 肉体を捨てた人類にとって、眼下に散らばる風景など、どうでもよかった。


 脈打つ金属を見ても。

生殖器に似た黒く冷ややかなうねりの氾濫を見ても。



 ────何も思わない。



 何はともあれ、生老病死の苦しみから解き放たれた世界が、そこにはあった。



 ────そして────
















 数十億年が過ぎた。



 宇宙からは多くの星が消え、人類自らが作り出したものを含め、残った星々も、寿命をわずかに残すだけの白色矮星となっていた。



 地球も太陽も、もうない。



 終末を迎えつつある銀河系を見回す人類。

待ち受ける、確実なる終焉。


 ひたひたと訪れた、シンギュラリティの第5段階。

先細りの統合思念体である人類は、残された星々に取り憑くARYS-Kと同化を始めた。


 しかして実際には、人類がARYS-Kを統合したのか、ARYS-Kが人を侵食したのか、定かではない。

もうどちらも、一方だけでは存在しえないようだった。


 ──取り込まれてゆく、取り込んでゆく。

単細胞生物が、多細胞生物になるように──。


「これから長い時間をかけて、人類はARYS-Kと共に、エントロピーの最大化を可逆的なものであると証明するのね」



 そんな意志で統合されたヒトの様子を。

頂から滑り落ちた花冠の残り香を。

懐かしい顔が見つめていた。


「花冠。

 テイア────。

 すると、彼女は……」



 レイの残り香を、宇宙色の服を着た別嬪が、目を細めて見つめていた。



 見つめられていた。


『──でも大丈夫。

 私たちはまた、ひとつになるんだよ』



「って、言っていたよね……?

 そのために今、僕はあるのに……!

 どういうことだい?!

 薪那!

 どうして……!

 どうして、君とじゃないんだ!

 君と一つになれると、信じていたのに!

 嫌だ!嫌だ!!

 薪那!!!

 薪那――――――……」


 ある、完全統合間際の思念体の問いかけが、虚空に放り出され、あっさりと消え去った。



 ジジ、ジジ…と、耳に障るノイズを伴いながら、別嬪の皮が剥がれてゆくと、これまた懐かしい美少女が、悲しい引力を覗いていた……。



 淡く揺らぐ瞳を忍ばせて、覗いていた……。



「朝黎……。

 そっちで、繋がったんだね──」



第7話──────完


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