第27話 もうリネアを抱いたか?
「これからするのは真剣な質問だ。アーリングよ。お前は、もうリネアを抱いたか?」
その、あまりにも直接的で、デリカシーの欠片もない問いに、僕の思考は完全にフリーズした。
は?
抱いた?
何を?
いや、何を、じゃない。
意味はわかる。
わかるが、なぜ、この流れでそんな質問が飛び出してくるんだ。
僕が言葉を失って固まっていると、ビョルンは「む」と眉をひそめた。
「まだ、なのか?」
「……ま、まだですけど……!」
思わず、裏返った声で答えてしまった。
一体、僕に何を答えさせたいんだ、このおっさんは。
まだというか、なんというか……。
僕とリネアは、そういう関係じゃ……。
ビョルンは「そうか」と、なぜか少しだけ安堵したような、それでいてどこか面白がっているような、複雑な表情で頷いた。
「いいか、アーリング。覚悟が決まるまで、避妊は、しっかりな」
そう言って、悪戯っぽく片目を瞑る。
「な、なにを……」
僕の堪忍袋の緒が、ぷつり、と音を立てて切れかけた、まさにその瞬間だった。
「――お話の途中、失礼いたします」
静かだが、冷たい声。
いつの間にそこにいたのか、お盆に載せたお茶を手に、リネアが音もなく立っていた。
彼女はゆっくりと僕たちの間にお茶を置くと、その完璧な無表情のまま、ビョルン師匠を正面から見据えた。
「それ以上、旦那様に無礼を働くというのなら、たとえあなた様が師匠であろうと、斬ります」
ひやり、と。
部屋の温度が、数度下がった気がした。
リネアの瞳には、一切の感情がない。
やがて、その緊張を破ったのは、ビョルンの乾いた笑い声だった。
「ははは。儂を切るとな。怖い怖い。さすがはアーリングの保護者様だな。いやはや、これ以上の長居は無用か」
彼はそう言って、わざとらしく両手を上げると椅子から立ち上がった。
そして、僕の肩を一度だけ、ぽん、と力強く叩く。
「ではな、アーリング。王都で待っておるぞ」
そう言い残し、ビョルンは嵐のように去っていった。
せっかく入れたお茶も飲まずに。
ふぅ、と一息をついて気付いた。
結局、僕が一番聞きたかったリネアに関する問いには、何一つ答えてもらってないじゃないか。
一人残された客間で、僕は天を仰いだ。
「あのじじい……!」
◇◇◇
ビョルンが満足げな顔で帰っていった後のことだ。
僕は一人、書斎の椅子に深く沈み込み、静かに天を仰いでいた。
王都へ行く。
その覚悟は、決まった。
だが、しかし。
僕の中に、新たな難題が生まれていた。
(……どうやって、あいつらを撒くか)
そう、問題は、僕の愛すべき仲間たち――ヴィルデ、ビルギット、そしてシリヤを、どうやってこのフィエルヘイム村に置いていくか、だ。
ただ、剣術大会に出るだけのことだ。
皆でぞろぞろと行く必要もないだろう。
まあ、リネアはどうせついてくるだろうから良いとして、他の子たちは……。
(……正直、めちゃくちゃ面倒くさい!)
少しは自由な時間がほしいものだった。
ちょっとした旅の間くらいは気を休めたい。
よし、決めた。
――夜逃げしよう。
そうと決まれば、計画は迅速かつ、完璧に進めなければならない。
僕は脳内で完璧なタイムテーブルを組み立て始めた。
決行は今夜。
皆が寝静まった、深夜二時。
音を立てずにベッドを抜け出し、最低限の荷物をまとめる。
そして、裏口からそっと抜け出し、闇に紛れて王都へと向かうのだ。
剣術大会までは二週間くらいあるが……。
まあ、のんびりとバカンスに興じることにしよう。
完璧だ。
これなら、誰にも気づかれずに、一人、自由な旅路を満喫できるはず。
まあ、リネアなら感づいてついてくるかもしれないが、リネアは良いとしよう。
僕は、自分の計画の完璧さに、一人悦に入っていた。
◇◇◇
深夜二時。
フィエルヘイム村が、深い静寂に包まれる時間。
僕は、息を殺してベッドから抜け出した。
床が軋む音すら立てないよう、猫のような足取りで、あらかじめまとめておいた革鞄を手に取る。
よし、第一関門は突破だ。
自室のドアを、ミリ単位の慎重さで開ける。
廊下には誰の気配もない。
月の光が窓から差し込み、僕の進むべき道をぼんやりと照らしていた。
(いける……! これなら、いけるぞ!)
心の中でガッツポーズをしながら、僕は階段へと向かう。
一階に降り、診療所の玄関を目指す。
まあ、そこには十中八九、リネアがいるだろうが、それは想定内だ。
彼女を説得するのは早々に諦めている。
案の定、玄関ホールの中央には、月の光を背にしたリネアのシルエットがあった。
その手には、僕の分だけでなく、彼女自身の旅支度まで完璧にパッキングされた鞄が握られている。
「……やっぱり、いたか」
僕がやれやれと肩をすくめると、リネアは「お待ちしておりました、旦那様」と、完璧な所作で一礼した。
まあ、いい。
リネア一人なら、まだなんとかなる。
僕は診療所の扉を開け、夜の闇へと滑り出した。
ここまでは、完璧に計画通りだった。
だが、僕のそんな甘い見通しは、診療所の角を曲がった瞬間に、粉々に打ち砕かれた。
闇の中から、ぬっ、と。
満面の、聖母のような笑みを浮かべたヴィルデが現れた。
「うわぁあ!」
「アーリング様、リネアさん。こんな夜更けに、お二人でどちらへ? お散歩、ですか?」
「ヴィ、ヴィルデさん!? な、なんでここに……」
「ふふっ。アーリング様の気配は、たとえ地の果てにいらっしゃっても、私にはわかるんです。だって、アーリング様は、私の光なのですから」
怖い!
その笑顔が、何よりも怖い!
結局、ヴィルデの「私もお供します!」という、有無を言わさぬ申し出を断れるはずもなく、僕たちの二人旅は、開始三分で三人旅へと姿を変えた。
やれやれ、と肩を落としながら、僕たちは村の出口へと向かう。
だが、僕たちの不運は、まだ終わらない。
村の粗末な門の前。
そこに、腕を組み、仁王のように立つ影があった。
「――む。アーリング殿に、リネア殿。それにヴィルデ殿もか。夜間警備、ご苦労」
そこにいたのは、ビルギットだった。
彼女は、僕たちの旅支度を一瞥すると、表情一つ変えずに、しかし力強く頷いた。
「ちょうど良かった。私も、騎士団への定期報告のため、王都へ向かう予定だったのだ。道中、ご一緒させてもらおう。多人数の方が、警備上も都合が良い」
完璧な正論。
断る理由が、一ミリも見当たらない。
こうして、僕の旅は、あっという間に四人旅へとグレードアップしてしまった。
もはや、僕の心は無だった。
諦めの境地で、僕たちは王都へ続く街道へと足を踏み入れる。
そして、その街道の先に、煌々と魔力灯が灯る、一台の豪奢な馬車が停まっているのを見つけた時、僕はもう、何も驚かなかった。
馬車の扉が開き、現れたのは、やはり、天才魔術師シリヤ・リサンドだった。
「皆さん、お揃いで。私の計算では、皆さんがこのルートを通り、この時間にここに到着する確率は98.7%でしたので、先回りしておりました」
彼女はにこりと微笑むと、とんでもない事実を、いとも容易く告げた。
「念のため、アーリング氏の衣服には、常時、私の魔力を付与した追跡マーカーを仕掛けさせていただいております。ええ、いわゆるGPSというものです。これで、あなたがどこにいようと、誤差数センチの範囲で、いつでも現在地を特定できますので、迷子になられたとしても安心です」
安心できるか!
気配で追ってくる狩人。
職務にかこつけて合流する騎士。
そして、魔力で僕を監視する魔術師。
僕の逃走経路は、物理的にも、魔術的にも、完全に、完璧に、塞がれていたのだ。
さぁ、王都へ出発だ……。
はぁ……。
――――――――――――――――――
【★あとがき★】
「リネアのことはいつ抱くねん」
「リネアと主人公はどういう関係やねん」
「アーリングの行動がバレバレやないかい」
「面白かった」
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