第6話 姉

 ある日の昼下がりだった。


 珍しく、ヴィルデは「狩りの腕を鈍らせるわけにはいきませんから」と森へ訓練に行っていた。


 束の間の静寂。

 書斎の窓から差し込む陽光が、やけに目に染みた。


「……はぁ」


 僕が無意識にため息をついた、その時だった。

 背後で完璧な所作でお茶の用意をしていたリネアが、静かに口を開いた。


「旦那様。少し、気分転換でもいかがでしょうか」


「え?」


 振り返ると、リネアはいつもと変わらない無表情で、しかし、ほんの少しだけ柔らかい眼差しで僕を見つめていた。


「街まで、散歩でも。たまには二人きりというのも、よろしいかと」


 リネアからの、あまりにも人間的な提案。

 驚きはしたが、断る理由などどこにもなかった。


「……ああ。そうだな。行こうか」


 僕が頷くと、彼女は「はい」と、本当に嬉しそうに、ほんのミリ単位で口角を上げたように見えた。


◇◇◇


 のどかなフィエルヘイムの街並みを、リネアと二人で歩く。

 すれ違う村人たちが「相談役様、こんにちは!」と気さくに声をかけてくれる。僕も笑顔で手を振り返した。

 ヴィルデの一件で、ようやく僕もこの村の住人と認めてもらえたらしい。


 そんな穏やかな時間が流れる中、僕たちは街の広場で、小さな事件に遭遇した。


「うわーん! 僕のピーちゃんが……! ピーちゃんが飛んでっちゃったよぉ!」


 広場の噴水のそばで、五歳くらいの男の子が、地面に座り込んで大声で泣きじゃくっている。

 その隣では、彼より少し年上だろうか、十歳くらいの快活そうな少女が、困り果てた顔で弟をあやしていた。


「もう、泣かないの、ルッツ! お姉ちゃんが何とかしてあげるから!」

「いやだー! ピーちゃんじゃなきゃいやだー!」


 姉弟のやり取りに、思わず笑みがこぼれる。

 僕が「どうしたんだい?」と声をかけると、姉のほうが僕に気づき、申し訳なさそうに頭を下げた。


「ごめんなさい、相談役様。弟が、大事にしていた木彫りの小鳥のおもちゃを、手を滑らせて飛ばしちゃったみたいで……」


 十歳にしては、喋り方が大人びているな……。

 両親がしっかりした人なのだろう。


 彼女が指さす先を見上げる。

 なるほど、街の教会の屋根の、ちょうど十字架のあたりに、小さな青い鳥の飾りが引っかかっているのが見えた。

 あんなところに、子供の力では到底届くはずもない。


「よし、僕に任せなさい」


 僕はこういう時、格好つけたくなる性分だった。

 近くにあった瓦礫に足をかけ、教会の壁を登ろうと試みる。


「よっ……と……うーん、意外と高いな、これ……」


 だが、運動不足の身体は正直だ。

 数メートル登ったところで行き詰まり、無様にずり落ちてしまった。


「だ、大丈夫ですか!?」

「うわーん! お兄ちゃんまで変なことになってるー!」


 姉に心配され、弟には泣きながらツッコまれる始末。

 格好つかないにも程がある。


 僕が尻の土を払いながら頭をかいていると、それまで静観していたリネアが、すっと一歩前に出た。


「――旦那様。ここは、私に」


 彼女はそう言うと、スカートの裾を少しだけつまみ、完璧なカーテシーと共に一礼した。

 次の瞬間。


 ドンッ! と、地面が爆ぜるような音がした。


 僕が何事かと目を見開くと、リネアの姿が、そこにはなかった。

 いや、違う。


 彼女は、いた。

 教会の屋根の、十字架のてっぺんに。

 まるで最初からそこにいたかのように、優雅に片足で立っていた。


「「…………え?」」


 僕と姉弟の、間抜けな声が重なる。

 何が起きた?

 助走もなしに、あの高さまで跳んだのか?

 物理法則はどうした。仕事をしてくれ。


 屋根の上のリネアは、僕たちの呆然とした視線をものともせず、スカートのポケットからおもむろに取り出した「マジックハンド」で、十字架に引っかかった小鳥を器用に掴み取った。

 そして、何事もなかったかのように、とん、と軽やかな音を立てて僕たちの前に着地する。

 その一連の動作、わずか五秒。

 着地の際、スカートの乱れ一つない完璧な所作だった。


「はい、坊ちゃま。あなた様のピーちゃんです」


 差し出された木彫りの小鳥を見て、弟のルッツは一瞬泣き止み、ぽかんと口を開けていたが、すぐに満面の笑みでそれを受け取った。


「わーい! ピーちゃんだ! お姉ちゃん、ありがとう!」

「え、あ、うん……? ありがとう……ございます……?」


 姉のほうは、まだ状況が理解できていないようだった。


 無理もない。

 僕だって理解できていない。


 その光景を眺めながら、僕の脳裏に、ふと、懐かしい記憶が蘇っていた。


 ――あれは、僕がまだ五つか六つの頃だったか。

 公爵家の庭で、僕は父から買ってもらったばかりの、小さな飛行船の模型を飛ばして遊んでいた。

 しかし、風に煽られた模型は、屋敷の屋根よりも高い、巨大な樫の木の枝に引っかかってしまったのだ。


 泣きじゃくる僕。

 途方に暮れる庭師たち。

 そんな僕の前に、すっと立ったのは、まだ僕付きのメイドになって間もない、十代半ばのリネアだった。


 彼女は、泣いている僕の頭を一度だけ、ぽん、と撫でると、一言だけこう言った。


『――お任せください、アーリング坊ちゃま』


 次の瞬間、彼女はドレスの裾を翻し、ほとんど垂直に近い樫の木の幹を、まるで平地を走るかのように駆け上がっていったのだ。

 あっという間に模型を回収し、僕の目の前に差し出した彼女の姿は、幼い僕の目には、物語に出てくる魔法使いか、女神のように見えた。


 そうだ。

 こいつは、昔からこうだった。

 僕が困っていると、いつだって、当たり前のように現れて、どんな無理難題も解決してくれた。

 僕の、スーパーメイド。


 目の前の、弟をあやす姉の姿と、僕を助けてくれたリネアの記憶が、静かに重なる。

 胸の奥が、じんわりと温かくなるのを感じた。


◇◇◇


 姉弟に何度も頭を下げられながら別れ、僕とリネアは夕暮れの道を屋敷へと向かっていた。

 オレンジ色の光が、僕たちの影を長く、長く伸ばしている。


 さっきまでの喧騒が嘘のように、静かな時間だった。

 僕は、胸の中に灯った温かい感情を、どうしても彼女に伝えたくなった。


「……なあ、リネア」


「はい、旦那様」


「ありがとう。今日は、なんだか昔のことを思い出したよ」


 僕の言葉に、前を歩くリネアの背中が、ほんの少しだけ揺れた気がした。


「君は昔から、僕の自慢のメイドだったな。いつも僕ができないことを、当たり前みたいにやってのけて。……


 それは、僕の偽らざる本心だった。

 心の底からの、素直な感謝と親愛の言葉。


 その言葉を口にした、瞬間だった。


 ぴたり、とリネアの足が止まった。


 彼女は、振り返らない。

 ただ、夕日を背に、僕に背中を向けたまま、そこに立ち尽くしている。


 沈黙が、痛いほど重くのしかかる。

 何か、言ってはいけないことを言ってしまったのだろうか。

 僕が戸惑っていると、やがて、彼女は絞り出すような、か細い声で言った。


「……契約ですので」


 いつもの、彼女の決まり文句。

 だが、その声は、微かに震えていた。


 彼女がゆっくりと再び歩き出す。

 僕は、その後ろ姿を、ただ黙って見つめることしかできなかった。


 その後姿に、もう一度「ありがとう」と、つぶやいた。


――――――――――――――――――

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