3.椿荘の洗礼

 一階は共有スペースと依恋さん親娘の居住スペース。二階が寮生たちの部屋になっている。九畳の個室が八部屋。階段を中心に、左右に四部屋ずつ。

 僕の部屋は、階段を上がってすぐ右手にあった。

 204号室。扉の目線の高さのところに、小さな表札があった。

「どうかしら?」

「めちゃくちゃきれいです」

 室内を見回して、思わず感動してしまった。

 白い壁、木目のきれいなクローゼットや机。空色の清潔なカーテン。収納扉付きのベッドには分厚いマットレスが置かれているし、ミニ冷蔵庫まである。

「このお部屋は好きにしていいわ。みんなも思い思いにアレンジしているの。そのうち、参考に見せてもらうといいわ」

「いや……女子部屋なんてそんな気軽に行けませんよ」

「あら、そう?」

 依恋さんはおっとりと首を傾げた。

 この警戒心の無さは、依恋さんが管理人をしているこの寮で問題が起きていない証だ。

 明らかに緩い彼女の管理下で問題が起きていないということは、すなわちこの寮に住む女性陣が強いのだ。

 男子寮生が一週間と経たずに逃げ出すという、椿荘――その噂は伊達ではなさそうだ。

「長距離移動で疲れただろうから、夜ごはんまでは自由に過ごしてね。お部屋の片づけをするなら手伝うわ」

「いや、大丈夫です。何かあったら声をかけますね」

「ええ。私と胡箱は、だいたい一階にいるわ」

「わかりました」

 依恋さんと胡箱ちゃんが出ていくと、急に部屋が静かになった。

 とりあえずベッドに寝転ぶ。

 道に迷ったせいか、ひとりになった途端どっと疲れがきた。

 最初の連絡の後、へ寮に着いたって連絡をしていない。スマホが修理から返ってくるまで五日か。

 心配するだろうな。なんといっても、あの人は僕の不幸体質を十分わかっているわけだし。

 ドンドン。

 強めのノックが聞こえた。慌ててベッドから起き上がると同時、返事をする前に扉が開く。

「あんたが今日からの入寮生?」

 高めのツインテールを揺らしながら、躊躇せず部屋に入ってくる。

 切れ長の大きな目はいかにも勝気そうで、体躯はしなやかな猫のように華奢だった。背丈は僕より頭ひとつぶんくらい小さいのに、やけに偉そうなので実際より大きく見える。きれいな子なのに、触れれば爆発しそうな怖さがある。

「私は風見扇里かざみせんり。中等部一年のころからここに住んでるから、この寮ではあんたより先輩よ。分からないことがあったら、一回千円で相談に乗るわ」

「金取るのかよ!?」

「当たり前でしょ。あんたみたいな下っ端があたしと対等に話そうなんて百億円分早いのよ。あたしと話すためならいくらでも金を積むって下僕が大勢いるの」

「げ、下僕?」

「そうよ。だから同じ寮に住んでるからって気安く話しかけられると思わないで」

「気安く部屋に入ってきてるのはいいのかよ……」

「あたしはあんたの先輩なんだから何しようと勝手でしょ」

 いやその理屈はおかしい。なんなんだ、この風見とかいう女は。


――いいかい、槙田くん。

 そういえば、あの人が言っていた。

――たいていの悪女はその本性を隠して近づいてくる。

――しかしまれに、堂々と悪女として目の前に現れる悪女というものがいるんだよ。


 彼女は腕組みをしてふんぞり返り、室内を見回した。

「あんたの荷物、あれだけ?」

 彼女は部屋の奥に置かれた段ボール二箱を指差す。

「そうですけど」

「はあ? 貧乏くさいわね」

「荷物が少ないだけでそんなこと言われる筋合いはないですけど」

「反論するわけ? 

「服はだいぶ着古してるうえにノーブランド。髪型も流行りを考えてない床屋カットで、リュックに至ってはボロボロじゃない。ほんっとありえない。わざわざここに入寮するような男だから期待なんてしてなかったけど……期待以下だわ」

 いきなりズケズケ言ってくる。

 本当になんなんだよ、この子!?

「まあどうでもいいか。どうせあんたも三日もしないうちに出ていく運命だもの」

「そんなつもりはないですよ」

 これ以上運命とやらに振り回されてたまるか。

「あら、この寮のウワサを知らないの? 知らずに入寮したならあんたは正真正銘のバカね」

 さっきまでのなよやかな態度はどこへやら、はすがすがしいまでの変わり身で、高飛車に腕を組んだ。

「噂くらい知ってます」

 まだ僕がこの街に遊びに来ていた八年前までは、そんな俗称では呼ばれていなかった。

 ここ数年、いつの間にかそう呼ばれるようになっていた――と、引っ越してくる前にから聞いている。

 曰く、この寮には悪魔が住んでいる。

 曰く、この寮に住む男は、三日以内に必ず退寮してしまう。

 曰く、この寮の本当の名は悪女荘――

 そんな噂が、この街ではまことしやかに広がっているという。

「ふぅん。知ってて入寮したなら真正の間抜けだわ」

 ああいえばこういう奴だ。でもなまじ自覚があるから言い返せない。

「扇里ちゃん、新入りくんいじめちゃだめだよー」

 開きっぱなしのドアから、すらりとした美女が入ってきた。

 ゆるく巻いた髪、長い手足。出るところはしっかり出ていているのに腰回りはくびれている。身体のラインが露骨に出る――というか、やたら露出の多い服をさらりと着こなしていた。

 見るからに華やかで派手な雰囲気。いわゆるギャルという人種だ。

 彼女の声には聞き覚えがあった。

「もしかして、さっきリビングで会った……」

「そうだよ~。ふふっ、やっと顔見れたね」

 ギャルは当然のように僕の隣に座り、腕を絡めてきた。やたらいい匂いがする。

「あたし、斉東真宙さいとうまひろ。二年生だから、真宙先輩って呼んでね、槙田クン♪」

「は……よ、よろしくお願いします……」

「連絡先交換しよ? SNS何使ってる? 私からフォローするよぉ?」

「あ、いや……スマホは落として壊しちゃって。金曜日まで無いんです」

「はあ? 呆れた。来て早々そんなドジ踏むなんてバカとしか言いようがないわね」

「あはは、扇里ちゃんきびしー。でも、そんな先まで連絡先交換できないなんて残念だな~」

 真宙先輩がさらに密着してくる。右腕がすっかり豊かな谷間に挟まれてしまった。

 柔らかい。あったかい。腕をすっぽり挟めてしまう胸って、一体何カップなんだ。

 考えたくもない邪な思考で頭がいっぱいになる。うう、変な汗がにじんできた。

「真宙、誰彼構わずモーションかけるのやめなさいよ。こいつ全っ然将来性ないわよ」

「あはっ。あたしは、扇里ちゃんとは男の子に求めるものが違うんだよねぇ」

 おしゃれなネイルが施された長い指が僕の頬を撫でる。

 つぅぅ……と顎先までなぞって、軽くくすぐられる。

「あたしにとって大事なのは、身体の相性なの」

 首筋から胸へ、さらにその下へと、焦らすように指が降りていく。

「キミとの相性はどうかな?」

 見せつけるような舌なめずり。


――いいかい、槙田くん。

 またあの人の言葉がよみがえる。

――悪女というものは、自分の欲望に忠実なものだ。

――だからこそ彼女たちは、相手の渇望を刺激するのさ。いわば悪女は、心の深い場所に渦巻く欲望を映す鏡なんだ。


「あたし、普通の人よりベロ長いんだ。だから、キスしたらすっごく気持ちいいんだよ。……試してみる?」

 唇にかかる吐息が甘い……って、ちょっと待て。いつの間にか、鼻先が触れている。

 あと少しで、本当にキスを――。

「昼間っから何期待してんのよ、バカ」

「ぐぇっ!?」

 襟を思いきり後ろに引かれた。

「私の目の前で変なこと始めないで。汚いものを見ると金運が下がるわ」

「扇里ちゃんの前じゃなければいいってコト?」

「ふんっ、好きにすれば」

 風見と名乗った女の子は、入ってきた時と同じくらい尊大な態度で部屋を出て行った。

「あはは、扇里ちゃんてば怒りっぽいんだからぁ」

 けらけら笑う真宙先輩のおかげで、ピリついた空気が弛緩する。ギャルってすごい。

「槙田クン、明日から高等部の一年生でしょ? 扇里ちゃんも一緒なんだよー」

「え!?」

「同じクラスになれるといいねぇ」

「絶対嫌です」

 あの天使――赤津藤乃さんと同級生だと知ったときは天にも昇る気持ちだったけど、今度は真逆だ。これから同じ寮で暮らすってだけでげんなりするのに、同じクラスになんてなった日には精神を病んでしまう。

「キツいとこあるけど、いい子なんだよ。意外と仲間思いなんだよね。ほらぁ、なんだっけ。ツンデレ?」

「全然そうは見えませんでしたけど」

「それはねぇ、キミがまだ仲間じゃないからだよ」

 ……仲間じゃない?

 そりゃ、まだ入寮初日だ。仲間とは言えないかもしれないけれど……。真宙先輩の言葉は、なんだか含みがある言い方だった。

「ま、扇里ちゃんとはあとで仲良くしてあげて。……今は、あたしだけを見て?」

「ちょっ……真宙先輩!?」

 ただでさえ近い距離を一気に詰めてくる。

 目鼻立ちの華やかな、きれいな顔が間近に迫る。

 まさか風見さんがいないからって、本気でさっきの続きをしようと――!?

 が。

 EDMみたいな音楽が淫靡な空気をかき消した。

「あっ、画廊から電話だ。ごめんね、槙田くん」

「うあっ!?」

 頬に一瞬、濡れた感触。

「続きはまた今度ね」

 いたずらっぽく笑って、真宙先輩は部屋を出ていった。

「な……なんなんだ、一体……」

 これが椿荘の洗礼か。

 金好き女と蠱惑的なギャル先輩。

 一緒に住むにはなかなか受難の多そうな取り合わせだ。

「他の寮生はまともだといいけど……」

 むなしい祈りなのは自覚しつつも、言わずにはいられない。

 ため息のあとに吸い込んだ息は、妙に甘ったるい香りがした。

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