#1 波濤の果てに

 やっと呼吸が戻ったとき、視界に入ったのは、液体がこぼれた半透明のカプセルだった。


 暗い……。水の中……。ここは、どこなんだろうか……。


 ――「君たちは、異世界からの召喚者である──」


 何度も、何度も、同じ言葉が繰り返される。 まるで、魂の奥底に刻まれた呪縛のように……。


 誰かの声が耳元で囁く。 だが、それが誰の声かは、まだ分からない。


 この世界は、残酷で、理不尽で、 そして、何よりも――容赦ない。


 君はただ、流されるままに、 運命の波に呑まれていく。


 そして――


 ――警報が、突如としてその呪縛を引き裂いた。


「開けちまえ!ポッド、緊急展開!奴らが来ているんだよ! 早く動け!動けと言っているんだよ! 出来損ないが!」


 怒声が、暗闇を切り裂き、魂を震わせる。

 いったい何の話だろうか。

 僕にただわかるのは急に開けた視界。まぶしさ。それと怒号だけ。


 気持ち悪さを感じ、思い出したように膝から崩れ落ちる。

 嘔吐する。えづく吐き出すえづく。繰り返す。


 空になった胃の内容物と引き換えに大きく息を吸った。 焦げ臭いような焼けた臭いのする空気だ。


 やっと呼吸が戻ったとき、視界に入ったのは、液体がこぼれた半透明のカプセルだった。 あの液体を吐き出したらしい、とわかった。


 ―― ポッド?カプセル?アレが僕がいた場所か? 呼び方はともかく、あの中にぼくが閉じ込められていたのは確からしい。


 ブルリ体が震える。 寒さに体が震える。 液体のヌルヌルと気持ち悪さとともにようやく気づく。 自分が全裸である、と。


「聞こえるか!おい!ガキ!」


 怒声が響く。 見上げると眉根を寄せた、僕より大きな男。


 手にしていたのは布、いや、タオルか? ゴワゴワとした質感に眉を寄せる。 でも、渡してくれた。


 このタオルを渡してくれたのだから、この人は僕を生かそうとしてくれている。

 これだけは、理解できた。


「体は拭いてやる!

 あとは自分で何とかしろ!

 まっすぐ行ったらお前のお仲間がいる。

 聞けば服くらいくれるだろうよ!

 早く行け!つかえねえのか!

 どいつもこいつも異世界人は!」


 僕は言われるがまま、ただ走った。 突然、手を強く引かれた。 距離にして――そう、50メートルほどだったろうか。


「こっちだよ。タオルで、腰くらいは隠せって」


 僕より少しだけ年上に見える男の子がそう言って、手を離さない。 連れて行かれたのは、更衣室のような、狭い金属の箱だった。


 心臓が胸を叩く。 呼吸が荒くなる。手のひらは汗に濡れ、足元がふらつく。 言われるままに動いているだけなのに、体の震えが止まらない。


 着せられた服は、紺色の布きれだった。 下着にも満たないほど薄い。ワンピースとも、繋ぎ服とも言えない曖昧なもの。 そんなものを、抵抗する間もなく着せられた。


「これ、首のとこは二重になってるから」


 優しさのつもりか、笑いかけながら、襟を――絞められた。 苦しい。思わず息を呑んだ。


「君も乗るんだろう? すぐに出られるのは……今のとこ、僕たちだけなんだから」


 ――何のことだ?


 僕達は揺れる建物の中を駆け抜けていった。


 ***


 翠嶺城正門前、ハイエルフ部隊


 その少し前。


 真紅の巨影がひとつ。モスグリーンの影がふたつ。三体の機影が、城の正門前の広場に静かに降り立った。


 鎧をまとった騎士のような外見。

 背中から伸びた副肢ふくしに支えられた、浮かぶような肩鎧。

 逆関節の足首と、その斜め後ろに突き出すように伸びる異様に長いかかと。

 臀部から膝裏へと這うように繋がれた、太く平たいケーブルのような構造体が動きのたびにわずかにうねる。

 胴体は中央に向かって収束するような四角錐のフォルムをしており、

 頭部もまた、鋭利に突き出す額を持っていた。



 両腕の裏には、二の腕から手首までを覆うような、先端に鋭角を持つ五角形のトンファー状の武装ユニット。

 装甲板のようなそれは、殴打用か、それとも防御用か――


 開けた門前の広場に並ぶと、その異形の大きさが際立った。

 全高、およそ8メートル。

 生き物とも、兵器とも呼びがたい存在だった。


「……このまま登りますか?」

 冷静な声が、通信越しに静かに響く。


「あら?もっと簡単な方法があるわよ!」

 凛とした少女の声。

 楽しげな調子の中に、揺るぎない自信が潜んでいる。


「……まさか。お姫様のご乱心ですか?」

 呆れと諦念が混ざった声――それでも、どこか優しさが滲む。


 モスグリーンの騎士が、無言で首を振る。

 真紅の姫騎士は、ただひとり正門へと歩を進めていた。


「ここでは“隊長”でしょ? まあ、いいわ。――こうするのよ!」


 次の瞬間、真紅の姫騎士が、爆ぜるように跳躍。


 着地と同時に、正門前に立ち止まる。

 足を振り上げると、つま先が180度回転。

 脛から足首にかけて、一直線に変形していく。


 それはまるで――杭打機。


 刹那。

 そのままの姿勢で、全体重を乗せた蹴りを――

 正門に叩き込んだ。


 轟音とともに、城が揺れる。


「ほら、開いたわ! 兵員輸送箱、通して!私たちはジャンプ。登ったらすぐに――クルーザ=ナハール展開!ルァルア=ゼア、使うわよ!」


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