聖弦のレクイエム 〜異世界転生したら記憶喪失のショタになって エルフのお姉ちゃんに誘拐されて心中する話〜

俺のベルが鳴る

翠嶺より出ずるもの

#0 翠嶺城の朝と、滑空する影

 風がざわめく緑深き森の上空、何羽もの鳥が悠然と羽ばたいていた。

 その大きさは、地上からではもちろん、空からでも正確には測れない。


 その羽ばたきの陰に、本当の“影”が潜んでいることを、誰も知らなかった。


 鳥の足に吊り下げられたフックには、金属製の兵員輸送箱が挟まるように接続されている。


 その中では、下着のように薄い装甲服――

霊導布れいどうふ』を身にまとった少女たちが、沈黙のまま座っていた。


 不規則に振動する箱の中、緊張の色を浮かべる彼女たちの耳は、ぴんと張っている。

 人間よりも明らかに長く、まるでおとぎ話の中から抜け出してきた“エルフ”のようだ。


「ティルヴァンよりエルサインへ。【レグルス】から各機への作戦情報、注入完了。これより投下に入る。ティルヴァン各員はそれぞれのエルサインに伝達を」


 凛とした、しかしどこか甘さを含んだ女性の声が、輸送箱内に低く響く。


「【アーシュ】、セリラ了解」

 緊張ひとつ見せない冷静な声。


「【アーシュ】、リュラ了解。捕虜奪還作戦ですね。今回も成功させましょう」

 鼓舞するような優しい声。


「【セレス】、ミナラ了解。今回は飲み物吹かないでくださいね〜姫様!」

 お茶目で、どこか舌足らずな声。


「ここでは隊長と!……あのときは降下のタイミングと、ボトルを離すタイミングが悪かったんだから……もう……!」


 気の抜けたやり取りが、緊張した空気の中に微かな笑いを混ぜる。

 だが、それもまた作戦の一部だった――。


 兵士たちは互いに苦笑いを交わしながら、それが場を和ませる“意図された演出”だと理解していた。


「セリオン=リネア=サリエン、レイジェル=ヴェルガ!」


 凛とした声が、エルフ語で「捕虜奪還作戦」の開始を告げる。

 その瞬間――鳥が足を引き、フックを放った。


 兵員輸送箱はゆっくりと回転を始めた。

 角度は90度。その刹那、一瞬だけ真紅の硬質なシルエットが見えた。


 それは鳥が掴んでいたものの正体――背中だった。


 真紅の騎士の鎧のようなシルエットが浮かび上がり、太陽光を反射してきらりと光る。

 しかし重力に引かれ、その輝きは瞬く間に消える。


 真紅が一つ、モスグリーンがふたつ、翡翠色が一つ――

 合計4つの影が森の緑を切り裂きながら、静かに降下していく。


 ***


 終わりなき大戦――『赤い冬』の終焉から、500年。


 世界はなお、“赤い冬”の影を引きずったまま。

 それでも人々は、生きることを選んだ。


 かつて栄えた科学文明は崩壊し、

 人類は新たな力――霊弦霧れいげんむに縋る“魔法文明”へと変貌を遂げた。


 そして、世界は三つに分かたれる。


 北米西部を中心としたアクシオン連邦。

 西欧を治めるベルディア王国。

 旧ロシアから中央アジアを支配するクラヴァニア帝国。


 三つの大国は、覇権を巡り、均衡と緊張のはざまで揺れていた。


 そんな中、人類は“世界樹”と呼ばれる巨大な遺産を発見する。


 だが、その聖域を守護する未知の存在――エルフ。

 彼女たちとの接触は、再び戦火の導火線となった。


 三国は表向きには協調を謳いながらも、

 内心では互いを疑い、

 やがて、対エルフ戦争の泥沼に引きずり込まれてゆく。


 人類は数で勝る。――誰もが、そう信じていた。


 しかし、エルフは応じる。

 古代の遺産を解析し、生み出された霊環駆動装体――『ハイエルフ』を実戦投入した。

 それは、戦局を一瞬で塗り替える“力”だった。


 霊環歴レイサリオン248。

 半世紀にわたる戦線は、いまや膠着の極みに達していた。


 そして今――

 その世界に、新たな“歪み”が芽吹こうとしている。


 それが何を変えるのか。

 誰にも、まだ知られていない――。


 ***


 アクシオン連邦

 サンティアラ自治区中心都市・サンクリオ

 研究施設兼工廠プラント――『翠嶺城すいれいじょう


 広場の片隅に置かれた受信器に人々は耳を傾けていたが、誰もその表情を変える者はいなかった。

 戦争は、もう日常の一部だった。


 ――霊弦式受信器霊弦ラジオから流れてくるのは、いつもの皮肉たっぷりのニュースキャスターの声。


「さあ皆さん、お耳の恋人、霊弦エアウェーブの時間です。今日も銃声がBGM代わりの世界から、皮肉たっぷりにお送りします。


 まずはアクシオン連邦ソルディア。魔導工学万能のこの国では、新型ハイエルフの開発がまた進行中。殺し合いも日進月歩、未来は明るい……んでしょうか?


 お次はベルディア王国。宗教とエルフのラブコールが止まらず、霊導布の怪しげな実験も絶賛増加中。呪文でも唱えてお祈りしててくださいね。


 クラヴァニア帝国は相変わらずご近所とゴタゴタ中。誰も止められません。自滅に期待しましょう。


 そして我らがサンティアラ自治区。今日も違法召喚問題で平常運転。関係者の皆さん、お気をつけて。


 ……では、今日も霊弦エアウェーブと共に良い戦いを!」


 ――翠嶺城の厚い石壁の上、男二人が肩を並べて外を監視していた。

 煙草の煙が風に流れ、細くたなびいていく。


「これ、いつまで続くんだろうな……こんな緊張感」

 ――と、ハルトがポツリと漏らす。


「まあ、俺らにできるのは見張ることくらいだからな……。にしても聞いたか?」

 隣で煙草をくゆらせるカイルが、気怠げに返した。


「……あ? 何がよ?」


 ハルトが怪訝な顔を向ける。


「リュクス自治区の地獄っぷりったらねぇ。あそこは最前線も最前線だぜ。今頃もう、煙も上がってねーんじゃねぇか?」


 カイルは鼻で笑いながら、冗談とも本気ともつかぬ口調で言った。


「世は事もなし。左遷されてよかった〜ってか?」

 ハルトが皮肉っぽく笑う。

「……でもよ、ここも意外と火薬臭ぇぞ?」


「おお、異世界人ってやつだろ?」

 カイルが小さく舌打ちする。


「“別の世界で存在を抹殺して召喚します”ってさ、かわいそうな話だよな。しかも、うちのラボが勝手にやってんだって? 国は許してんのかよ」


「黙認。知らぬ存ぜぬ。国も欲しいんだろ、膠着状態をぶち破る“力”ってやつがよ」


 そう言って、カイルは肩をすくめ、煙を吐いた。


「こんなことやってるから、俺たちの給料もろくに上がらねぇんだよ……」

 ――と、ハルトが嘆くように言ってから、ふと思い出したように付け加えた。


「ってさ、可哀想といえば――この前、召喚されたガキ共、見たか?」


「……ああ、あれか」

 カイルが煙草の火を指先で弾きながら応じる。


「三人のうち二人は優秀らしいが……最後の一人がな。魔力値が足りなくて、教育班に見放されて、まだポッドからも出られてないんだとよ。

 そのうち廃棄処分かな」


「全く世知辛いねぇ……って、おいカイル! なんか光ったぞ」


 ハルトが身を乗り出しながら、慌ただしくカイルに声をかけた。

 カイルが素早く望遠鏡を構え、視線を遠くの森の空へと向ける。


「……ん? 鳥か? いや……」


 視界の先――淡く、だが確かに輝く飛行体。

 マントとも翅ともつかぬシルエットが、宙をすべるように滑空していた。


「まさか……ハイエルフ、か……?」


 息を飲むカイルの声に、ハルトも凍りついたように黙り込む。


 再び口を開いた時には、もう遅かった。

 その姿が視認できる距離まで、すでに近づいていたのだから。


 ジャンプを繰り返しながら接近する、その巨大な影。


滑翅かっし!? ハイエルフだ! 空挺してきやがったのか!」

 「くそっ、エルフ共め! こんな辺境の地まで来やがって! 警報を鳴らせ!」


 ふたりは慌てて城内へと駆け戻った――。


 ***


 森の中――。四つの影が、地を蹴って奔る。


 それは、人の足のようでいて、しかし人とは異なる。

 逆関節に可動する足首が、地面を蹴るたびに、大きく跳躍し、木々を越えていく。


 その肩の周囲で蠢くのは、マントとも翅ともつかぬシルエット。

 風を裂いて揺れながら――やがて、その輪郭は、硬質な質感を覗かせた。

 それは、ただの装飾ではない。


 肩鎧――戦うための装甲だった。


「サリエ=リネア、稼働良好っ」

 舌足らずな声が、通信に弾むように響く。


 エルフ語で”サリエ=リネア”――人の言葉で”滑翅かっし”と呼ばれるそれは、エルフたちの降下姿勢を制御し、同時に戦場を翔けるバランサーでもあった。


「そろそろ、いいでしょう!」


 通信に割って入るように、別の声が叫ぶ。


「セレスは城の裏側へ! 兵員輸送箱、分離! ひとつはセレスについて行って!」

「残りは残念! 私たちと一緒に――おとりよっ!」


 凛とした指揮官の声が、戦場に指示を飛ばす。


 すると、翡翠にきらめく機影が、他の三機の影から音もなく抜け出した。


 背中から解き放たれた兵員輸送箱がふわりと宙に浮き、意思を宿した従者のように、巨影の背後へと吸い寄せられていった。

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