Episode.9 ようこそ

 扉が閉まるや否や、ダンテは部屋が揺れるほどの大声で怜也を迎え入れる。

 

「ようこそ! 第五部隊、戦闘組織へ!」


 彼はカンカン照りの笑顔で手を伸ばした。怜也が恐る恐るその手に触れると、骨が軋むほどに強く握りしめられる。

 

「痛……⁉︎」

「名前は?」

「さ、坂下、怜也です」


 右手の痛みに耐えながらなんとか答える。


「コードネーム決めねえとな!」

「コードネーム?」


 そこでやっと右手が離された。指先を折り曲げながら手が無事に戻って来たか確認している間にも、ダンテの話は続いている。


「なんだ、知らねえのか? 本名以外にこの組織内で呼ばれる名前を決めとくんだよ。なんでもいいぜ、『たいやきくん』とか!」


 ……餡子の食べ物じゃねーか。


「それは嫌です」

「そうか。じゃあ何がいい」

「えっと、えっと……」

「そう言ってすぐ決められるもんでもないでしょう」


 目まぐるしく変わる状況に混乱を隠せずにいると、るい太が場を仕切り直してくれた。一度冷静になったダンテは顎に手を当てうなり声をあげる。


「うーん。本名とはかけ離れたものの方がいいな」

「そうなんですか?」

「そうだろ。『パラドックス』はどこに潜んでいるかも分からねえし、むやみに情報を露呈することは自らの首を絞めることになりかねないからな」


 確かに、と怜也は深く納得した。素性がばれてしまっては元も子もない。


「じゃあ、もしもばれちゃったら……?」

「そりゃねーよ」


 怜也が万が一起こった場合の事態に備えようと質問すると、ダンテは片手を振って答える。


「え? えっと……。今の言葉は、ばれたら危険、みたいなニュアンスに聞こえたんですが……」

「お前、タンバには会ったか?」


 怜也はとりあえず頷いて答えた。


「第二部隊の幹部さんですよね。クラフト内部に来るまで案内してくださいました」

「そうか。アイツの能力がそれだ。『相手の記憶を操る』ことが出来る。俺たちは透明人間だと思われてるがそうじゃねえ。見えてるものを見えなくしてるだけ。つまり、記憶を消してるってこと」

「え……?」

「まあ、何かしらのきっかけで思い出したりする奴はいるから、そういうのがクラフトの噂を広めてんだよな」

「じゃあ、昔に見たことがあるかもしれないけど、忘れてることもあるってことですか?」

「今そう言っただろ」


 それに怜也は胸が高鳴った。これで見えないからいない、という方程式は成り立たない。覚えていないは存在しないとイコールではない。つまり不思議なことは単なる気のせいではない! 都市伝説は本当だったんだ!

 興奮冷めやらぬ怜也であったが、ふともうひとつ気になったことがあり聞いてみた。


「あの、別にそう思ってるとかじゃないんですけど……。もしクラフトから脱退したいとかって思ったら、その時も記憶を?」

「だろうな。そういう脱退者に関する情報は俺たちには教えてくれねえから。そこんとこは全部リーダーの仕事だし。――お、これなんてどう?」


 ダンテは突然話を変えるように、ジョニィが持っている食べかけのどら焼きを指す。


「コードネーム、どら焼き。可愛くない?」

「可愛くない」

「そうか? 俺は良いと思うんだけどな」

「てかなんでさっきから餡子の入ったお菓子ばっかりなんですか」


 ジョニィとるい太から同時にツッコミを入れられて、ダンテはじとっと二人を睨みつける。


「じゃあどうすんだよ」

「そうですね。俺たちがコードネームを決めるきっかけから案を出してみてはどうですか?」


 るい太の提案にすぐさま乗るダンテ。


「おー、なるほど! じゃあ俺からな。俺は好きなゲームのキャラクターからとった!」


 何のゲームか聞いて欲しそうな顔で怜也に押し迫っていたが、るい太が淡々と続けた。


「俺はなんとなく」

「おいコラ! お前から言い出しといてそりゃねえだろ!」


 だが内心助かったと思った怜也なのであった。るい太はすべてのどら焼きを胃袋に収めた少女を振り返る。


「ジョニィさんは?」

「そりゃあれだろ。有名俳優だろ」

「違う」


 ダンテの言いがかりに口を尖らせながら、不機嫌そうに顔をそむけた。


「でも話したくない」

「なんだそりゃ。全然アドバイスにならねえじゃねえか!」


 結局何も解決せずダンテ一人が踊らされている様子に、怜也は少しだけ口角を上げた。


「本当、仲がいいんですね。皆さん」

「良くねーだろ!」

「すみませんっ!」


 再び二メートルの巨体に押し迫られている怜也を尻目に、ジョニィはひとり部屋を出ていく。ダンテは怜也の首根っこを掴み上げながら、その背中に声をかけた。


「おい、どこ行くんだよ」

「学校」

「あれ、今日講義あったんですか」

「最後の枠だけ」

「へーへー、大学生は大変ですなあ」


 そこでやっとダンテの手が離れ、地面にお尻から着地した怜也。まだ高校生かと思っていた彼女は、どうやら大学生らしい。何かの話のきっかけになればと思い、自分も便乗し声をかけてみる。


「大学生なんですね」


 彼女は足を止めて振り返ってくれたかと思うと、少し睨まれた気がした。怜也が小動物のように身を縮こませると、そのまま何も言わず歩いて行ってしまう。


「気にすんな、あーいう奴だから」


 ダンテは励ましのために言ってくれたのであろうが、これから同じ部隊となるのに大丈夫だろうか……? 内心傷ついている怜也をその場に残したまま、扉に手をかけたジョニィ。建付けの悪い扉を無理やりこじ開けると、扉の前にはある男が立っていた。


「おや、ジョニィさん、お帰りですか?」

「げっ!」


 ジョニィが返事をする前にダンテが分かりやすく返事をする。そこには優雅な仕草で長い髪を手で掃う、タンバの姿があった。


「なんでてめーがここにいるんだよ!」

「坂下怜也くんをお迎えに。君のような頭のネジが数本なくなった人間と関わっているのは有害ですからね」


 ダンテは皆に聞こえるほどの大きな舌打ちをして、地面に丸まっている怜也を指さした。


「んだとコラ! こいつはな! 戦闘組織に入ることを決めたんだよ!」


 それにタンバは目を丸くする。


「本当ですか。坂下怜也くん。いいのですか? 彼、お分かりの通りかなりのおバカですよ」

「てめーに言われたくねえ!」


 二人の小競り合いを横目に、ジョニィはそのまま部屋を出ていく。タンバはそれに気が付くと、すぐさま踵を返した。


「気が変わったらいつでも第二部隊へどうぞ」


 早口に言い残し、黒髪の少女を追いかけ部屋を出ていく。


「誰が仲良しごっこの保証組織なんかに行くもんかよ! 二度と顔出すんじゃねえ! しっしっ!」


 ダンテは慌てて廊下に駆け出し手で追い払う仕草をながら、力づくで扉を閉めた。すると……。


 バタン


 無情にも扉は外れ、床に転がったのだった。


「……」

「こりゃ給料天引きですね」

「うぎゃあ! 俺の給料がああァァ!」


 ダンテは頭を抱え、建物内に響き渡る壮絶な叫び声を上げた。


「ゲームの発売日、近いのにイイィィ!」


 ◆


「ジョニィさん」


 ジョニィに早歩きで追いついたタンバ。彼女は長身のタンバを見上げる。


「良いのです? 本当に戦闘組織に入れて。アイツの脅迫では?」

「いや、自分からやりたいって言った。だから止めない」

「そうですか。彼もまた変わり者ですね」


 二人は同時にエレベーターに乗り込んだ。すかさずタンバがⅢの文字盤を押す。少し揺れた後扉が開くと、そこは既に第三部隊の部屋の前だ。ジョニィは無言で歩き出す。タンバはその背中にすかさず声をかけた。


「今度、一緒に食事でも?」

「遠慮する」

「そうですか。ではまたの機会に」


 彼が頭を下げると、エレベーターの扉はすぐさま二人を遮断した。ジョニィはその場に立ち止まると、冷たい鈍色の扉を振り返る。そしてそのまま何事もなかったかのように、管理組織の扉を開いた。

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