第27話 命の期限


 高校二年生の三学期は、あっという間に過ぎていく。

 短い二月が過ぎ、三月はじめに二年生最後の期末テストを終えたら、もう春休みだ。


「やれば、できるじゃないか、ユキ」

「まーねー」


 修了式を終えた僕は、通知表を持ってトワの病室を訪れている。病室で苦手だった英語をとことん教えてもらっている僕は、なんと学年四十位まで上がった。

 

 どんどん弱ってきているトワは、ついに寝たきり状態になり、酸素チューブが酸素カップになった。

 喋りづらそうで、僕は彼の口元に耳を寄せるようにして会話する。


 トワの母親であるナナエさんも頻繁に来ていて、いつも挨拶をするけれど、顔色が悪い。無理やり笑っているのが分かるけれど、僕はそれには気づかないフリをしている。素直って言われたからには、バレていると思うけれど。

 トワの父親と兄は一度も来ていないが、トワも会ったら余計に疲れるからいいのだ、と力なく笑う。

 

「ひめ、かわ、さんとは」

「ん?」

「どう、なった」


 人の恋愛なんて気にするんだな、と僕が苦笑すると、トワはふ、ふ、と息を吐く。


「修行、だから」

「あっは! そうか、そうだよね。あれも天使だ!」


 ふ、ふ、とトワが笑う度、透明のプラスチックカップに白いもやがかかる。命の息吹が可視化されているみたいで、僕はそれを見るのが苦手だ。

 

「うん。うまくいっていると思う。背中を押してくれて、ありがとう」

「いや。ふたりの、きもちは、わかってた」

「そう?」

「はあ。ただ、すこし、てだすけ」

「うん。トワが背中を押してくれなかったら、僕は動いてなかったよ。君は間違いなく、キューピッドだ」

 

 ふ、ふ、とトワが笑って、それから――


「ね、る」


 目を閉じて、スースーと寝息を立て始めた。

 こうして少し話すだけでとても疲れるようで、面会時間は日に日に短くなっていっている。腕時計を見ると、今日は十五分間。


「……おやすみ」


 どんどん近づいてきているトワの命の期限を感じて、僕は身震いがした。

 けれども、目をそらしてはダメだ。僕にできるのは、最後まで側にいること。それだけだから。


   †

 

 その翌日、僕は姫川さんと白崎さんと一緒に、再びバスでトワの見舞いに来ていた。春休みに入って以降、なぜかアンジとは連絡がつかない。まだ二日目なので寝ているのかなと様子を見ているけれど、折を見て家を訪ねようと思っている。

  

「どんな色が好きか分からないから、青にしてみたよ」


 途中の花屋で見かけた青いアネモネがとても綺麗で、それを中心に花束を作ってもらった。

 ベッドの上で首だけを動かしたトワが、僕の手にある花束を見て、ふっと表情をゆるませる。


「かたい、ちかい」

「え?」


 トワの言葉が聞き取れなくて、僕はまた口元に耳を寄せる。

 すると背後の姫川さんが、「花言葉ね?」と微笑んだ。トワが、小さく顎だけを動かして、頷く。


「固い誓い。まさに、天使くんみたいね」

 

 姫川さんが僕の手から花束を受け取って、枕元に置いてある空の花瓶を持ちあげ、差して見せる。


「ぼ、く?」

「ええ。『願いを叶える助けをする』って、最初に言っていたでしょう」


 ――ボクのことは、遠慮なく『天使』と呼んでくれ! その名の通り神の御使みつかい。君たちの願いを叶える助けをするぞ!


 あの日トワは、いきなり教壇に立ったかと思うと、そう宣言した。

 ほんの半年前のことなのに、ずいぶん昔のことみたいだ。

 

「言われてみればそうじゃん! はじめは、すごいヤバイやつだって思ってたけど。あたしの願い、叶えてくれたね!」


 白崎さんが、いたずらっぽい顔でコロコロ笑っている。


「しら、さきさん?」

「あたしさ~。これと言ってやりたいことなかったんだ。服は好きだけど、実家から出る気なかったし~? 東京行くんならまだしも、田舎でファッションっていってもさあ~」


 確かに、張り合いはないかもしれない。

 まず、オシャレをする場があまりない。したところで、それほど理解はしてもらえないだろう。

 

 シングルマザーである白崎さんのお母さんは、無事退院してまたスーパーのパートを再開できたらしい。白崎さんはそれを支えながら、ここから通える看護学校に入学するため、勉強を頑張っている。

 

「だからさ~、目標見つけられて、今はスッキリしてる。天使くんのおかげ。ありがと!」

 

 僕は、はりきって病棟を走り回るギャル看護師を想像する――うん、ものすごく人気が出そうだ。入院患者殺到、大繁盛。いや、それは良くないな。


「でも、お願いもあるんだ……お医者さんになってよ、天使くん」

「ん?」


 突然のお願いに戸惑うトワが、パチパチと何度も瞬きをしている。僕は、トワの脇から離れて白崎さんに場所を譲った。

 白崎さんは僕と目を合わせて強く頷くと、トワの枕もとで床に両膝を突いて、耳元に口を寄せ、何事かを呟く。


「……なんだから。ね?」

「っ」


 ぼん! とトワの顔が真っ赤に染まったのを見た僕は、慌てて心電図に目を走らせた。ピッピッピッ、と面白いぐらいに鼓動が早くなっている。

 

「うっひっひ~。めちゃくちゃドキドキしてんじゃん~! さては、まんざらでもないな?」


 白崎さんが、明るい笑顔でパッと立ち上がった。

 今度は、姫川さんが両膝を突いてトワの耳に口を寄せるのを見守りつつ、僕は僕の背中に隠れて涙を拭けるように、白崎さんの姿をトワから隠す。


「天使くんのおかげで、ユキくんが元に戻ったよ。ありがとうね」

「ちょ、あーちゃん!?」

「誰も信じない、だなんて悲しいもの。でも私も、どうしたらいいか分からなかったの。ユキくんを救って、ていうのが私の願い。叶えてくれてありがとう。感謝してもしきれないよ」

 

 心電図が、元通りまたゆっくりピッ、ピッ、と鳴る。


「ユキ、が、優しい、からだ」


 力強い声が、僕まで聞こえてくる。

 天使の心は、まだその力を保っていると示されているようで、僕の目頭は熱くなった。

 

「ちょーもう、はずいからやめようよ」


 止める僕を無視して、トワは一言一言を噛みしめるように、放つ。

 

「とても、よい、やつだ」


 姫川さんが、人差し指で目の下を流れ落ちようとしていた涙をすくってから、しっかりと頷いた。

 

「うん。知ってる」

「だ、から、ボク、も、はあ。とも、だちに……」


 言い終えることなく、トワは静かに目を閉じた。すー、すー、と規則的な呼吸音で、眠りにつく。

 僕は腕時計に目を走らせる。今日は、八分。昨日の半分近くまで短くなっている。


 僕は、嗚咽おえつが漏れないように奥歯をぎりりと噛みしめ、寝ているトワの上から声を掛けた。


「うん。友達になれて、良かった! また来るね!」

 

 刻一刻と迫る、トワとの別れの時を、僕はまだ――受け入れられない。

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