第28話 蜘蛛捕り

19:12


 資料室にあった置時計が正しければ、既に日が暮れている時刻だった。ヴェロニカは蜘蛛について書かれた書物を求めてだだっ広い部屋を練り歩く。白いタイルの床に天井の蛍光灯の明かりが反射して、周りがよく見渡せる。暗闇にうんざりしていたため、良かったと思うと同時に強い違和感を覚えた。

 ひとつは、部屋の異常な広さだ。先ほど通った長い通路といい、どう考えても屋敷の地下に収まるサイズの空間ではない。

 もうひとつは、資料室の家具の大きさだ。書物を多く収納する部屋は普通、背の高い本棚と専用の梯子がある。だが、ここにはそれが無い。まばらに置かれた机や椅子など、全ての家具がヴェロニカの背丈とぴったり合うのだ。


(……まるで、”子ども専用の図書館”ね)


 過剰なほどの居心地の良さに、少し気持ち悪さを覚える。だが、嫌悪感を示してもここには自分以外誰もいないのだ。ヴェロニカは気合を入れるように服の袖を肘までまくり上げる。両腕の球体関節が露わになった。


 


 19:28


 蜘蛛型兵器の対処に乗り出したはいいものの、異常に広い空間内で最適な一冊を探し出すのは至難の業だった。どうやら子ども向けだったのは家具のみのようで、本棚には魔法科学の専門書や古い魔導書、さらには全編が古語で書かれた本なども並んでいた。

 図書館に行ったことも、難しい本を読んだことも無かった幼い少女にとっては、ただただ苦痛な時間だった。


「えっとー……虫、虫……あ、ここかしら?」


 暫くして、生物学や植物学にまつわる本が並んだ棚を発見し、少し安堵する。一冊一冊背表紙を確認しては時間が無いため、まず「蜘蛛」や「虫」の語がある本に絞ることにした。


 手前から4番目の棚に、「おうちでできる害虫駆除」と書かれた本を発見し、中を読んでみる。


『――蜘蛛類の駆除・予防として、主に”餌となる小さな虫の駆除”――(34ページ)、”湿度の調整”――(42ページ)、”匂いを利用する”――(50ページ)ことが挙げられます。』


 今一番使えそうなのは”匂いを利用する”ことだと感じ、ページをめくる。


『――蜘蛛はミント、ユーカリ、ゼラニウム、柑橘類の匂いに弱いです。これらの匂いのするアロマオイルやスプレーを蜘蛛の侵入経路に使うことが一番効果的で――』


 ぱたん、と本を閉じて落胆する。


「そんなの、もってるわけ――」


 ぐるるるる~


 身体が強く空腹を訴えてくる。ポシェットに携帯食を入れていたことを思い出し、床に座った。ボタンを外し、上に入れていたワイヤー、淑女レディのたしなみたるハンカチとティッシュ、走って中身が粉々になった携帯食を取り出す。

 外国製の菓子のようで、見慣れない文字と製菓メーカーのマスコットがプリントされたパッケージを見つめる。粉になってしまっても、多少は腹にたまるだろうと包みを剥がす。勢いよく手を引いてしまい、中身が膝の上に散乱した。


「あ……やっちゃったぁ」


 菓子を拾おうとすると、膝の上のものからミカンの香りがすることに気が付いた。




 

 19:49


「ねえ、何か聞こえない?」


 クローディアが突然足を止めて問いかけてきた。


「……そうか?」

「聞こえるよ。ほら……ガサガサっ捕り


 目を閉じて、耳を澄ましてみる。たしかに、どこかから何かをいじるような音が聞こえてくる。突然、2人の右側にある壁が消えて、ルドルフ掃除ロボットほどの大きさの蜘蛛型の機械が現れた。


「…………っ……」


 驚いて硬直してしまったクローディアを後ろに下がらせ、蜘蛛の頭部を銃で撃つ。目を撃ち、振り上げられた前足を撃ち、口の中を撃った。よろめいたところをクローディアが蹴り飛ばしてワイヤーで拘束し、なんとか事なきを得た。

 蜘蛛の頭部を観察すると、魔術式が書かれた護符のようなものが貼ってあり、クローディアがすかさず破り捨てた。教団の拷問でも使われていた、強力な術式だ。

 辺りの空間がノイズを帯びたように歪み、最新設備の面影が消え去り、古びた屋敷の地下施設が広がっていた。

 通信も回復したようで、改めて地下空間にサーチをかける。ヴェロニカのGPSが反応した。近くに居るようだ。

 蜘蛛が現れた空間の奥を見ると、甘酸っぱい匂いの携帯食をぶちまけて横たわるヴェロニカの姿があった。


「……ヴェロニカ!」


 ルドルフが傍に駆け寄り、無事を確認する。どうやら、蜘蛛型ロボットを中心に幻視魔法が発動していたらしく、意識が戻らない。


「幻視魔法に捕縛機能のある機械……それに、この空間全体の”歪み”……クローディア、何が起こったと思う?」


 こんな状況でも所長はいたって冷静だ。いや、いつもの「質問」で平常心を保とうとしているのだろう。


「え……なんだろう…………空間のやつは多分AR技術の転用だと思うけど……なんで依頼人が呼んだ場所でこんなことが」



 ルドルフは苛立った様子で答えた。


「たぶん、L・Tはオレたちを試したんだ。自分の望みを叶えられる能力があるのかを――どうせ、その辺で観てるんだろ?出てこい!」


 上方の何もない空間を銃で撃つと、ステルス機能で姿を隠していたカメラ付きドローンが地面に落ちた。ドローンには〈合格〉と刻印されている。

 

「これって……」

「つくづく癪に障るな。まあいい、ヴェロニカが起きたら進むぞ。これ以上は何もしてこないだろ」



 試すにしても、依頼するにしても、とても嫌なやり方だ。ある程度の危険は想定していたし、魔導人形ゴーレムなどと対峙する前提で作戦を立てた。だが、まるで人を弄ぶような、”警備”の範疇からも明らかに逸脱したやり方には心底腹が立った。


 目を覚まさないヴェロニカの顔を見つめる。少し、苦しそうに見えた。


 



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