第10話 いざ
その一言は、残酷にも少年が抱える傷を強く圧迫した。先ほどよりも心拍数が上がり、血と毒が溢れそうになる。
「……どんな風にって……普通に脅かしただけだよ」
「その『普通』のやり方が、具体的にどんなんだったか訊いてんだ」
少年は悟った。この男は、もうすぐ辿りつくんだ。隠してきた過去に。少年が重ねた罪に。
(――それで、どうするんだろう?追求して、ぼくの正体を知って、どうするんだろう。)
この状況で脅し方の教えを乞うなんて、ありえない。じゃあ多分、追い出されるんだろう。
『あなたのせいで』
『人殺し』
『許さない』
『あいつと同類のくせに』
『――愛してるよ、クローディア』
過去にかけられた残酷な言葉を思い出して、覚悟が固まる。
(いやだ――まだ、一緒にいたい)
なんとか誤魔化さなくては。何かを求めてコートのポケットをまさぐると、都合よく使えそうな物が指先に当たった。
クローディアはさっきヴェロニカの部屋に置けなかった青年向けコミックを取り出し、パラパラとページをめくる。半分ほどめくったところをルドルフに見せてきた。
それは、ヒロインが敵幹部に捕まって尋問を受けるシーンだった。なるほど、沢山の放送禁止用語が飛び交っており、絵面もかなりグロテスクだ。
「その……このシーンを参考に全力で演技したら、思いのほかハマってたみたいで……あのお坊ちゃん、結構ビビっちゃってた?」
「……ああ、人が変わったように大人しくなったそうだ。趣味に走るのはいいが、程々にしておけよ」
「も、もう……ぼくはそんな変態じゃないってば」
少年は口先では焦ったような口ぶりを見せるが、内心安堵していた。
そして、『嘘』とはこんなにも心苦しいものなのか、と思い知った。
内心を悟られたくなかったのだろう、「なんか寒いね!」と言って足早に事務所へ降りて行った。
(これ以上聞き出すのは無理か……)
質問を投げかけたときのクローディアの顔を思い出す。今までに何度か見たことのあった、心に傷を抱えた人間の顔だった。
きっと、自分の質問が少年の傷に余計な塩を塗ったのだろう。そして、その質問はクローディアが長いこと抱え、誰にも触れさせなかった秘密の一端に関わっていた。
嘘をついたことを咎めるわけにはいかない。それを承知で〈
「――お前が言えるようになるまで待つよ。」
少年が去った虚空に向かって、そう呟いた。
最低だ、最低だ、最低だ。
寄り添ってくれようとしたのに、嘘を言ってしまった。
いつか、言えるようになりたい。そう思うだけで結局あと一歩を踏み出せなかった。
「ほんとうに、ひどいな」
せっかく巡り遭えたんだ。
いつか、言える日が来るまで。いや、ぼくの中の化け物が目を覚ますまでは、せめて『普通』の雇用主と助手で在りたい。
隠し通せなくなったら、そのときは――
15:18
ルドルフは商会から入手した目録と、昨日クローディアが調べた情報を精査していた。
「……マイルス・ベンバー……1768年生まれ、1824年没……国籍はアイリア共和国首都で、〈旧ウレヌス学院〉卒の高名な物理学者。テムズ博士とも交流があった。古代遺物コレクターで、一級の所持がバレて捕まり獄中死……近所付き合いが大の苦手で首都圏内だけで37回引っ越している……所持していた遺物の所在が今も一部不明……」
思ったよりは情報が集まったが、捜査するにはどれも決め手に欠ける。しかし、これ以上調べる術がないため、明日から本格的に動くしかないだろう。
目録から探すにしても、L・Tの依頼書にはどんなものに何を入れたのかが書かれていなかった。
「……進捗はどう?」
先ほどよりも落ち着いた様子で、クローディアが尋ねてきた。
「とりあえず明日から調査を開始したいところだが、どこを当たればいいのやら……」
「そうだよね……共和国って、裏側にしか古代遺物の情報がないし……なによりベンバーの情報が少なすぎる。せめてどこに遺物を隠したのか、わかればいいんだけど……」
ルドルフはしばし顎に手を当て、考えた。
(首都圏内……遺物……名の知れた学者……故人の私物………………もし、法国に回収されていなかったとしたら?)
――まだ、国内にあるかもしれない。
「なあ、クローディア。……車屋の裏の古物商って明日開いてるか?」
「え……うん。やってるみたいだけど……あ、そっか」
「ああ、盲点だった。確かあそこは都市開発――古代遺物が『表』の市場に出回ってたころからの老舗だ。もしかしたら当時の記録が残ってるかもしれねえ!」
――ようやく依頼の解決に向けて動き出せる。
全ては、ここから始まるのだ。
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