第3話 朱鷺鉄の町と神鎮の石
蜻蛉沼を後にしてから、二人の間の空気は僅かに変化していた。ミズブキの言葉数は相変わらずだったが、その視線にはムカゴへの信頼と、未知の力に対する敬意のようなものが混じるようになった。ムカゴもまた、時折ミズブキの話に小さく頷き、道端で珍しいサビ色のカミキリ妖怪を見つけた時には、自分から指をさして教えることさえあった。
「この布切れ、見覚えがある」
野営の火を囲みながら、ミズブキがレンゲ団の紋章が入った
「この鮮やかな赤と、丈夫な生地。西の鉱山町、『
新たな目的地は決まった。朱鷺鉄の町は、山脈を一つ越えた先にある。
険しい山道に差し掛かった時、ミズブキがふと尋ねた。
「なあ、ムカゴ。あの時、沼の妖怪に何をしたんだ?」
沼での一件は、彼にとってそれほどの衝撃だった。
「どうやったんだ、って聞かれても…」
ムカゴは少し考え、言葉を探す。
「……話した、だけ」
「話したって?」
「心で……。苦しいのが、伝わってきたから。大丈夫だって」
拙い説明だったが、ミズブキにはそれで十分だった。彼はただ「そっか」と呟くと、にかりと笑った。
「すごいな、お前。そりゃ、どんな化け物だって敵わねえや」
その言葉には、からかいの色合いは一切なかった。
数日後、二人の眼下に朱鷺鉄の町が広がった。山肌を削って作られた町は、常にどこかから槌音が響き、鉱物を燃やす煤の匂いが立ち込めている。活気はあるが、どこか殺伐とした空気。蜻蛉沼の穏やかな自然とは対極の光景だった。
町の中では、人間たちに交じって、屈強な鬼や土蜘蛛の妖怪たちが荷を運び、炉で火を吹いていた。だが、彼らの目には生気がなく、まるで道具のように黙々と働いている。町の人間たちも、妖怪たちを家畜か奴隷のように扱い、時には罵声を浴びせていた。ムカゴは思わず眉をひそめる。ここは、妖怪との共存ではなく、支配と使役で成り立っている町だった。
ミズブキが持ち前の人の良さで酒場や武具屋を回り、情報を集める一方、ムカゴは人混みを避け、町の裏通りを歩いていた。彼女の耳には、人間の喧騒に混じって、使役される妖怪たちの微かな嘆きや痛みが流れ込んでくる。目を閉じると、まるで町全体が低い唸りを上げているように感じられた。
その時、ムカゴの視線が、路地の隅にうずくまる一体の妖怪を捉えた。それは岩のような体を持つ、一つ目の妖怪だった。その体には新しい傷があり、片腕が不自然な方向に曲がっている。近くの人間たちが、忌々しげに噂をしていた。
「レンゲ団の連中に逆らったらしいぜ」
「荷を運ぶのを嫌がったら、見せしめにやられたんだと」
ムカゴが思わず駆け寄ろうとした瞬間、別の気配がそれを制した。すっと現れたのは、旅の僧のような格好をした男だった。しかし、その目つきは僧侶らしからぬ鋭さで、腰には刀を差している。男は傷ついた妖怪の前にしゃがむと、懐から薬を取り出し、手早く手当てを始めた。
「……動くな。気休めにしかならんが、痛みは少し和らぐはずだ」
男は誰に言うでもなく呟くと、ふと視線を上げ、ムカゴと目が合った。その視線は、ムカゴ自身ではなく、彼女の肩にいる糸繰に注がれているようだった。男はわずかに眉を動かしたが、何も言わずに立ち上がると、人混みの中へと消えていった。ムカゴの胸に、不思議な印象だけが残る。
夜、宿でミズブキと落ち合った。彼の顔は険しかった。
「分かったぞ、ムカゴ。レンゲ団の奴ら、この町で妖怪だけじゃなく、別のものも大量に買い付けてやがった」
「別のもの…?」
「ああ。『
神鎮石。それは、この朱鷺鉄鉱山でのみ採掘される特殊な鉱石。強い妖力を抑え込み、時には完全に封じ込める力を持つという。武具に練り込めば対妖怪用の強力な武器となり、檻や枷に用いれば、どんなに強力な妖怪でも従順にさせることができる。
「妖怪を集め、神鎮石でその力を制御する……。あいつら、一体何を始めるつもりなんだ」
ミズブキの言葉に、ムカゴは背筋が寒くなるのを感じた。レンゲ団の目的は、単なる収集ではない。それは、妖怪の力を利用した、もっと大きな、そして危険な何かだった。
「連中の足取りも掴めた」とミズブキが地図を広げる。「石を積んだ一団は、東へ向かったらしい。目指す先は、おそらく『旧都』だ」
旧都。かつて神代の時代、神々と人が共に暮らしたと伝えられる伝説の都。今は荒れ果てた廃墟だが、大地には強大な霊脈が眠っていると言われている。
妖怪、神鎮石、そして旧都の霊脈。
点と点が繋がり、恐ろしい企ての輪郭がおぼろげに浮かび上がる。
「行こう、ミズブキ」
ムカゴは、地図の上に広がる旧都の二文字を、真っ直ぐに見据えて言った。その声には、もう迷いはなかった。自らの意志で、この世界の理を歪めようとする者たちと対峙する覚悟が、そこにはあった。
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