第14話 緊急事態発生!
部活が終わって、着替えのためにクラブハウスへ入ると、1年生の後輩が紙袋を差し出してきた。
「紗羅先輩、これ」
上から覗くと、口から中が見えた。
「あっ、もう全員に回ったんだ」
笑顔が引きつる。
部員が9人しかいないんだから、すぐに戻ってくることは分かってたことじゃない。
自分に言い聞かせながらも、焦りまくった。
お金どうしよう⁉︎
クールダウンしたお陰で引いたはずの汗が、一気に噴き出す。
「ねえ、1番人気はどれだった?」
瑞希が私の背中から顔を出して、その後輩に訊いた。
「ちょっと待ってください。ええっと……」
後輩は私に向けていた紙袋の中からカタログを取り出して、つるつるのカラーページをパラパラとめくった。
そうして、1枚のルーズリーフが挟まっているページで手を止めた。
ルーズリーフには、いくつかのカタログ番号と、その横に中途半端な”正”の字が書かれている。
希望するユニフォームに、ひとり1票ずつ入れることにしていたのだ。
希望はバラけていて、どれも最後まで”正”の字にはなっていない。
「これです。4票入ってて」
ほかの部員も一斉に寄ってきて、カタログを取り囲んだ。
「それ、私選んだやつ」
「私は別のに票を入れたけど、それもいいと思って悩んだんだよねー」
「楽しみ。早くみんなで着たいね!」
会話は瞬時に盛り上がった。
それなのに、私だけはその会話に入っていけなかった。
お金どうしよう……どうしよう……
「紗羅先輩、よろしくお願いしますね。……先輩? どうかしました?」
目の前に、再びカタログが仕舞われた紙袋が差し出されていた。
私は慌ててそれを受け取る。
「な、何でもないの! 今日は練習がハードだったから、少し疲れちゃっただけで。安永先生に話をしておくね」
練習はいつも通りの負荷だったにも拘らず、疑問をもたれることはなかった。
幸いにもこの場は、『はい!』と元気に返されただけで済んだ。
※
すぐにこういう未来が来ることは分かっていた。
それなのに、今の今まで解決策を考えてこなかった自分が悪い。
トレシューを予算よりもずっと安く買うことができたものの、ユニフォームが買えるのは何ヶ月先になるものやら──
頭の中でざっくり計算すると、ため息しか出てこない。
いっそトレシューを買わないで、ユニフォームに全振りしておけば……
ううん、トレシューを我慢したくらいでは、ユニフォームを買うには少し足しになる程度。
安永先生に相談してみようか。
『ユニフォームを買うお金がありません』って。
それで、先生にユニフォーム代を借りることはできないかな……
って、そんな都合のいいことができるはずないか。
先生、きっとびっくりするよね?
何て言うかな……
『おうちの人が出してくれないのか?』とか?
内緒でソフトボールをやってることまで白状したら、先生はどういう反応をするんだろう?
最悪の場合、退部させられてしまうかも……
不安が押し寄せる。
ダメだ。
安永先生には頼れない。
何のアイデアもでてこないまま、家に着いてしまった。
門扉を開けて、玄関ポーチに入った。
そのとき、不意に思い出した。
『ひとつ“借り”ってことにしておいて』
お姉ちゃんは確かにそう言った。
そんな取り引きをしなくたって、お姉ちゃんの秘密をバラしたりはしないのに、と思った。
正直なところ、私ってそんなに信用がないの? って不満だったくらいだ。
とにかく、だ。
私はお姉ちゃんの秘密をきちんと守ってる。
ということは、お姉ちゃんからお金を貸してもらえばいいんじゃない?
お姉ちゃんがどのくらいお金を持っているのかは分からない。
けれど、中学生の私よりも、高校生のお姉ちゃんのほうがお小遣いの額は多い。
それに、お姉ちゃんは間違っても、無駄遣いなんてしなさそうだ。
ひょっとして、何とかなるんじゃない?
期待を膨らませながら、玄関ドアのハンドルに手をかけた。
「ただいまー」
ぱっと足元を見る。
お姉ちゃんの靴があるかどうか確認するためだ。
お父さんとお母さんが帰ってくる前に話をしたい。
すると意外なことに、お姉ちゃんの靴だけでなく、お父さんとお母さんの靴まであった。
部活終了後、みんなでユニフォームのカタログを見ていたから、いつもより帰宅時間は遅くなっていたのは確かだ。
でも、それを考慮したとしても、ふたりが帰ってくるには早過ぎる。
「紗羅、こっちに来なさい‼︎」
『おかえり』もなく、いきなりお父さんの低い声で命令された。
それだけで、何かマズい事態になっていると悟るには十分だった。
そろっと靴を脱いで揃えていると、今度はお母さんの甲高い声がした。
「早く来なさい!」
「は、はいっ」
普段なら逆に怒られそうだけれど、今日はそうしたほうがいいだろうと判断して、廊下をパタパタと走ってリビングに向かった。
リビングのドアを半分開けたところで、ピリピリしている空気が漏れてきた。
気は進まない。
でもそうするほかなくて、体を滑り込ませた。
お父さん、お母さん、お姉ちゃんはソファに座っている。
ドアを閉めると、いきなりお父さんが怒鳴り始めた。
「紗羅! お前は嘘をついていたんだな?」
『嘘』と言われて、心当たりはひとつしかない。
紙袋の手提げ部分を握る手に力が入った。
手のひらに爪が食い込んで痛かったけれど、さらにぎゅっと握りしめた。
大袈裟過ぎるほどのため息を吐かれた。
「今日の昼間、新星と会った。始めは何の話をされているのかさっぱり理解できなかったよ。国際交流部に入ったはずのお前が『部活の新規立ち上げに、キャプテンとして大きく貢献している』なんて言われてもな」
ああ、やっぱり……
お父さんはさっきから私のことを『お前』呼びしている。
本気で怒っているということだ。
お母さんも吊り上げた目で私を見ている。
お姉ちゃんだけはどこも見ていなくて、冷ややかな表情をしていた。
「『チームとして形になってきていて、来年度には大会に出場して結果も残せるんじゃないかと期待している』そうだが?」
理事長、それは盛り過ぎ!
来年度は部員数を確保して、地区大会にエントリーしたい。
ささやかに、そう願っているだけ。
それが叶ったところで、目標は『初戦突破』が関の山。
女子ソフトボール部が、決して強豪チームなんかではないことを説明しようとした。
「お父さん、聞いて。違うんだって」
「何が『違う』んだ、この嘘つきが!」
雷が落ちて、耳が痛い。
お父さんが立ち上がった。
そのときお父さんの目が一点に集中した。
私の手に提げていた紙袋に──
立ち上がったせいで、紙袋の中身がちょうど見える角度になったに違いなかった。
私は急いで紙袋を胸に抱えようとした。
けれど、お父さんのほうが一瞬早かった。
私の手から紙袋を奪い取った。
取られまいと、私のほうもしっかりと手提げ部分を握ったから、破れてしまった。
私の手には手提げ部分だけが、だらんと情けなく残る。
紙袋は宙を舞い、落下するときにカタログが半分飛び出した。
「こんなもの!」
お父さんはカタログを拾う上げると、くるくると巻き、それを雑巾みたいに絞った。
「ソフトボール部なんて明日にでも辞めろ!」
みんなが楽しそうに覗き込んでいたカタログが、お父さんの手によって捻られる。
ギシギシと音も鳴る。
その光景は、私の中にある何かを壊したのだった。
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