第16話ふたり、帰り道

夕方。

教室にはまだ何人か残っていたけれど、私はひとりで鞄を持ち廊下に出た。


なんとなく、今日も湊とは帰るタイミングが合わないだろうな、と思っていた。

昨日のように、美羽と一緒なのかもしれない。


でも、靴箱の前まで来たとき、意外な声が背中から届いた。


「詩」


振り返ると、そこに湊がいた。

制服のまま、鞄を肩にかけて、少し眠そうな顔で。


「帰るの?」


「……うん」


「じゃあ、いっしょに帰るか」


私は一瞬、言葉が出なかった。

昨日は、いなかったのに。今日はなんで?


「……いいの? 美羽さんと、図書室じゃ……」


「今日はキャンセルになった。用事できたんだってさ」


「そっか……」


少し、胸の奥が緩んだ気がした。

私自身が、それを望んでいたことに気づいて、また苦笑いしたくなる。


外に出ると、日が少し傾きはじめていて、地面に影が長く伸びていた。


ふたり並んで歩く帰り道。

たぶん、他人から見たら何でもない光景。

でも、私にとっては、鼓動が早くなるくらい特別な時間だった。


「なあ、詩」


「ん?」


「……最近、ちょっと変じゃない?」


ドキリとした。


「変って、なにが?」


「なんか、距離? っていうか……前よりちょっと、ぎこちない気がして」


「……そうかな」


「オレ、なんかした?」


「ちがう。そんなことないよ」


それは、ほんとう。

湊がなにかしたわけじゃない。

ただ、私の中で“想い”が育ってしまっただけ。


「なら、いいけど」


湊はそれ以上、何も聞いてこなかった。

そのかわり、すこし歩いてから、ぽつりとつぶやいた。


「……なんか、詩が黙ってると、ちょっとさみしい」


「え……」


「前はもっと、くだらないことで笑ってくれてた気がする」


その言葉に、私は立ち止まりそうになった。


ずるい。

そんなふうに言われたら、また期待してしまう。


「……ごめんね。ちょっと、考えごと、してただけ」


「そっか。……ならいいけどさ」


ふたりの歩調は、自然とそろっていた。

沈黙が続いても、気まずくない。

でも、心の中では、言えなかった言葉がぐるぐると回っていた。


(ほんとはね、話したいこと、たくさんあるよ。

 あなたのことで、頭の中がいっぱいなんだよ)


でも、それを口にした瞬間に、きっと何かが変わってしまう。


私は、今日もまたその言葉を飲み込んだ。


駅前の交差点で、ふたりはいつものように分かれ道に立った。


「じゃ、また明日な」


「うん。……またね」


湊が手を振る。私は小さくうなずいた。


その背中を見送りながら、私はひとりつぶやく。


「……もう少し、このままでいたいのに」


願ってしまう。

この、壊れそうで壊れない距離が、少しだけ続きますようにと。

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