第10話春風、まだ言えないこと

春の風はやわらかくて、少しだけ切ない。


校庭の桜はすっかり葉桜になり、教室の空気にもそれぞれの色が出てきた。

新学期のバタバタが落ち着き、昼休みに笑い声が飛び交うころ。


私と湊は、少しずつ自然に話せるようになっていた。

名前を呼び合うのも、だんだんと戻ってきた。

でも、それでも、「好き」はまだ言えない。


言えば何かが変わってしまいそうで。

壊れてしまうんじゃないかって、それが怖かった。


そんなある日、校外学習の当日がやってきた。

私たちの班は5人。湊、真央、創くん、さくらちゃん、そして私。


行き先は市内の博物館と、その隣にある大きな公園だった。

天気は快晴。バスから降りたとき、春の匂いがふわりとした。


午前中は班で展示を見て回り、昼休憩になるとそれぞれ好きな場所へ移動していく。


「ねえ、あっちのベンチ、空いてるよ。日陰だし」


湊がそう言って、私はうなずいた。

真央たちはコンビニで買ったおやつを広げるために少し離れたテーブルへ。

自然と私と湊のふたりきりになった。


「……こういうの、小学校の遠足っぽいね」


湊が、ふいに言った。


「うん、私もそう思ってた。ピクニックみたい」


「その頃、詩もいたんだよな。記憶ぼんやりだけど」


「いたよ。毎日一緒に遊んでたじゃん」


私がそう返すと、湊は視線を空に向けながら小さく笑った。


「ごめんな。ちゃんと覚えてたら、もっと早く気づけたのかもって」


私は笑って、そっと首を横に振った。


「気づいてくれたじゃん。今、こうして、また隣にいるし」


風が吹いて、新緑が揺れる。

桜の季節が終わっても、私たちはここにいる。


湊が、少しだけ照れたように言った。


「詩って、昔からそういうとこあるよな」


「どういうとこ?」


「なんでもないって顔しながら、ちゃんと強いとこ」


「……それ、褒めてる?」


「褒めてる。たぶん、俺にいちばん足りないやつ」


私は思わず吹き出してしまった。


「それはないでしょ。湊、わりと冷静なとこあるじゃん」


「うーん、そうかな。詩の前だと、わりと素でいられるだけかも」


その言葉に、胸がふっとあたたかくなる。

けれど同時に、どこかくすぐったくて、視線を落とした。


この距離が、怖い。


近づいたぶん、言えなくなる。

ずっと言えずにいるこの気持ちを、隠したまま春が終わろうとしている。


ベンチの隣、風がまたふたりのあいだを吹き抜けた。


私はその風にまぎれて、心の中だけでつぶやいた。


「……湊のこと、ずっと好きだった」


けれどその声は、彼には届かない。

まだ、届かないままでいい。今は、これでいい

そう思った。


春は、まだ終わらない。

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