『君に、まだ「好き」と言えない。』

KAORUwithAI

第1話転校の日

小学校二年の春。

あのころの私は、毎日のように湊と遊んでいた。


砂場で団子を作って、虫取り網を取り合って、給食ではプリンを賭けてじゃんけんした。

まるで男友達みたいに、遠慮のない関係だった。


「おーい、詩、はやくー!」


「うるさい、湊が勝手に走るからでしょ!」


呼び捨てで名前を呼び合うのが、あたりまえのような毎日。

私にとって、湊は“特別”じゃなくて、“いつも”の人だった。


その日が来るまでは。


四月の初め。教室の空気がふいに張りつめた。


「今日で、相澤くんは転校します」


先生の声が教室に響くと、クラス中がざわついた。

新しい学年が始まってすぐだった。

ランドセルはまだ硬くて、桜の花びらが校庭のすみに舞っていた頃。


私は、自分の隣の席に目を向けた。

湊は立ち上がり、少しだけ照れたような顔で前を向いた。


「急でごめん。でも、みんなありがとう。楽しかったよ」


湊の声は、普段よりも少し静かだった。

ふざけるでもなく、笑うでもなく、ちゃんと“お別れ”の顔をしていた。


胸がぎゅっとなった。


何も言えなかった。

言葉を飲み込んでしまったのは、私のほうだった。


放課後、私は校門の前で湊を待っていた。

ちゃんと「バイバイ」を言いたかったから。


「……詩」


ランドセルを背負った湊が、少し驚いたように立ち止まった。


「やっぱり来たなって思った。お前、絶対来るって顔してたもん」


その一言に、胸が熱くなった。

言いたいことは、たくさんあったはずなのに。


「湊……」


口を開いたけど、何も出てこなかった。


「じゃあな。またな、詩」


笑った湊は、手をひらひら振って、

そのまま振り返ることなく、駅へと歩いていった。


私はただ、遠ざかる背中を見つめていた。

泣かなかった。けど、ずっと心が痛かった。


それが、私の幼なじみとの最後の記憶。


ずっと一緒にいると思っていた。

特別じゃなかった日々が、どれだけ大切だったかを知ったのは、そのあとだった。


そして、あれから八年。

高校入学の朝、私はその名前を再び耳にする。


「次、相澤くん」


教室の前から聞こえたその声に、

私の胸の奥が、はっきりと震えた。

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