第3話「部室」
■2023年7月20日 17:00 天上寺学園高校/アイドル研究部部室
「だが断る」
その日、アイドル研究部の部室に突然やってきた2年7組の羽田エリーと教務主任の宮前真司に対して、藤本美喜雄は強く言い放った。
「断る? 部員三人のアイドル研究部が、こんな広い部室で何するつもり?」
エリーは美喜雄の座るデスクをバンバンと叩きながら捲し立てたが、美喜雄は冷静に答えた。
「アイドル研究部の部室使用は学園側から正式に認可されたものだ。少なくとも来年の3月まで、この部室は我々アイドル研究部で使用する。しかも、夏休み明けにはアイドル研究部に32名以上の新入部員が加入する予定だ。当学園では学期途中に部活動の入退部はできないため、今は入部を待ってもらっている状況だが、2学期からは総勢35名の大所帯になる予定だ。よって、この部室は当然必要になる」
「何がアイドル研究部よ。今のアンタたちは単なる “ニシルファンクラブ” だわ。新しく入部届を出してる連中だって、ニシユルがあんなことになってから入部しようって考えたドニワカばっかでしょ? 熱意のカケラもなく流行りに踊らされてるだけ。それに部室の認可なんて何とでもなるんだから。そうですよね? 宮前先生」
突然、エリーに水を向けられた宮前はおどおどした様子で答えた。
「この前の南野君の件で大きな騒ぎになってしまったからね。学園側でもアイドル研究部をどうするかっていう話になっていて…」
南野陽康はアイドル研究部の部員だった。2週間前、彼は4階建ての三号館校舎の屋上から落下した。しかし、状況を察知した教員たちが校舎の下に運び込んだ高跳び競技用マットの上に落下したこともあり、奇跡的に右の手首を骨折するだけの軽傷で助かっていた。
その場に居合わせた生徒の何人かは、陽康が校舎の屋上でサイリウムを振り回して落下するまでの一連の過程をスマホで録画していた。数日後、それらの動画のいくつかはSNSや YouTubeにアップされていた。
トップアイドルグループ西新宿ゆるふわ組による集団自殺の衝撃が覚めやらぬ中、ファンによる相次ぐ後追い自殺が世間を賑わせていた時期だったこともあり、動画の再生回数は爆発的に伸びた。陽康の落下動画は天上寺学園高校の名と共に、影響力のあるインターネットメディアやテレビのニュースで何度も取り上げられることとなった。
美喜雄は宮前を遮って主張した。
「南野は自殺をしようとしたわけではありません。あれは事故です。南野の行動が問題だらけなことは事実ですが、学園としては動画を拡散した生徒たちを指導するべきではないですか? 我が校にもSNSや動画サイトに関するガイドラインがあるはずです。大手メディアはモザイクをかけていますが、ネットで出回っている動画の中には南野の顔がはっきり分かるものもあるんですよ」
エリーが割って入って言った。
「話をすり替えないで。そもそも彼のせいでこんなことになってるんだし、彼はアイドル研究部の部員でしょ? 今はまだ3人しか部員がいないのに、そのうちの一人が自殺未遂騒ぎまで起こしてる。普通なら今すぐ廃部になってもおかしくないんだから」
「現代音楽部はそんなにこの部室が欲しいのか?」
「ええ、欲しいわ。ウチの部員は41人。アンタたちがどさくさに紛れて掻き集めたドニワカ32人よりも多くの部員を抱えているんだから。それにね、アイドル研究部なんて名乗っておきながらニシユルばかり追っかけてるアンタたちに、この部室は相応しくないわ」
エリーが所属する現代音楽部は、ここ数年で部員数を急激に増やしている新興文化系団体の一つだった。もっとも現代音楽部と名乗ってはいたものの、その実態は男性アイドルの追っかけ集団であり、一般生徒からはアイドル研究部とさして変わらない見方をされていた。
美喜雄はエリーに反論した。
「我々は国内のアイドル全般を研究対象とし、アイドル文化の研究を通して日本人の国民性を解き明かそうとしている。それこそがアイドル研究部の活動目的だ。今まさにアイドル界の頂点を極めようとしていた西新宿ゆるふわ組は、我々にとって避けることのできない重要な研究対象だった」
「なーにが研究対象よ。単なるキモオタの集まりのくせに」
「ところで君たち現代音楽部の方こそデンジャラストリームという男性グループのファンクラブ団体に過ぎないという噂が立っているが、そのことについてはどう考えているんだ?」
「デンジャラストリームこそ現代アイドルの頂点なの! 追いかけるに決まってるでしょ? もう終わってしまったニシユルを追っかけてるアンタたちとは違うわ」
「なるほど」
美喜雄はエリーと向き合うのをやめ、窓外の青々と茂った木々に目をやりながら不敵に笑った。
「それでは聞こう。デンジャラストリームが所属するギャリーズ事務所に所属する現役男性アイドルの総数を答えよ」
「何よ、いきなり」
「アイドルを研究するものであれば知っていて当然だろう? しかも男性アイドル、ギャリーズ事務所、君たち現代音楽部のフィールドだと思うが」
「くだらない…でも、いいわ。付き合ってあげる。無限隊の5人、SexyFacesの8人、Worksの12人、ギャリーズ西日本の23人、えっとそれから、ヨッキー&翔の2人、しまきんトリオの田端俊朗は引退してるから2人で、あとは侍ファンンタジーの4人と…」
エリーはスマホを取り出して計算機アプリを立ち上げた。宮前の「暗算できないの?」という指摘にイラっとした様子を見せながらも、彼女は最後まで計算を続けた。
「わかったわ! 56人ね!」
ドヤ顔で答えるエリーに対し、美喜雄は間髪入れずに言い放った。
「不正解だ。ギャリーズ事務所に所属する現役男性アイドルの総数は今日現在で58人だ」
「はっ!? だ、誰よ、あと2人は」
「君はしまきんトリオの田端俊朗は引退していると言っていたが、昨年7月に復帰して、現在は再びギャリーズに所属している。それと最近目立った活躍のない侍ファンタジーだが、先月、ギャリーズのダンスコーチだったラッキー池之端が新メンバーとして加入している。もっともラッキー池之端は40歳を過ぎているし、事実上は事務所のアドバイザーとして…」
美喜雄が話し終える前にエリーは怒りを爆発させた。
「そんなオッサンのことなんてどうでもいい! もうアイドルでも何でもない!」
「ほほう。現代音楽部の代表はご贔屓にしているアイドルの事務所についてもその程度の知識しか持っていないのか」
エリーは顔を真っ赤にして唇を噛み締めた。
「それでは君もアイドルに関する知識問題を出してみろ。男性アイドルでも構わないし、10年代、00年代、90年代、80年代のアイドルでも構わない」
宮前は二人のやりとりを黙って聞いていたが、いきなり始まったクイズ合戦に当惑していた。
一方、エリーは忙しなく頬をさすりながら反撃の決意を固めていた。
「舐めてんじゃないよ…いいわ、アンタたちのフィールドで勝負してあげる。女性アイドルの問題を出すわ」
「殊勝な心掛けだな」
エリーは自信満々の表情で右手を振り上げ、人差し指を天に突き上げた。
「では問題です! 新大久保を中心に活動する西方Beem。そのリーダーであるユミソンの好きな日本食は何でしょう?」
西方Beemは1年ほど前から日本で活動を始めた女性K-POPグループだったが、事務所の力が弱いこともあり、日本の地下アイドル並みの知名度しかなかった。
エリーが西方Beemを知っていたのは、韓流アイドルオタクだった元彼の影響が大きかった。また、リーダーのユミソンが好む日本食を覚えていたのは、明らかに日本人ウケを狙ったあざといチョイスに腹が立ったからだった。
「さぁさぁどうよ! アイドル研究部の部長さんでもK-POPはちょっと難しかったかな? ハハハハハッ」
美喜雄はエリーの露悪的な笑いを苦々しく思った。彼女が綺麗な顔立ちの割に異性から支持されない理由も分かったような気がした。
「K-POPか…悪くない」
「なぁにが “悪くない” よ。天上寺学園のクソロン毛DDと言われた藤本美喜雄もK-POPまではカバー仕切れていないみたいね。カッコつけてないで早く答えてみなさいよ!」
それまでつまらなそうにしていた宮前が口を挟んだ。
「羽田君。その…クソロン毛DDっていうのは、どういう意味なの?」
「DDってのは “誰でも大好き” ってことで、アイドルであれば誰彼構わず興味を持つ節操のないオタクのことです」
「なるほど。で、ロン毛は藤本君の髪型…じゃあ、クソというのは?」
「クソはクソです。わかりませんか? ウンコですよ。誰彼構わず好きになっちゃうウンコなロン毛野郎だから “クソロン毛DD” なんです」
宮前はエリーの回答に呆れてみせたが、女子高生の口から放たれる下品な言葉に対し、多少興奮している自分がいることも自覚していた。
しばらく思案している美喜雄の様子を見て、エリーはますます調子に乗った。
「さぁさぁどうなのよ! わからないなら少しくらいヒントをあげてもいいよ? クソロン毛DDさん」
美喜雄は静かに答えた。
「たこ焼きだ」
流石の美喜雄も知らないだろうと踏んでいた問題をあっさりと答えられ、エリーは当惑した。
「…そ、その通りよ。でもアンタ、ちょっと考えてた。適当に答えたのがたまたま当たっただけなんじゃないの? 知識として知っていたなら即答できたはずよ」
「そうだな。少し考えさせてもらったよ。本来の正答は “たこ焼き” ではないからな」
「はぁ? どういうこと?」
「確かに西方Beemの来日以降、リーダーのユミソンは、好きな日本食に関するアンケートに対し、一貫して “たこ焼き” と答え続けていた。しかし、昨日更新されたK-POPアイドルのニュースサイトによると、ユミソンの好む日本食の情報は更新されている」
美喜雄は西方Beemの記事をスマホで検索し、エリーに示した。
「お…お好み焼き」
「西方Beemは今年来日したばかりのグループだ。毎日のように日本食を食べていれば、その好みも日々アップデートされていくだろう。ましてやユミソンはまだ17歳だ。好みの日本食がコロコロ変わったとて何の不思議もない。クイズにするなら “2023年7月20日時点で、西方Beemのリーダーであるユミソンの好きな日本食は何でしょう?” とすべきだった。そのように出題してくれれば、私もたこ焼きかお好み焼きで迷うことなく即答できた。要は君の問題の出し方が悪かったのだ」
エリーは握った拳をワナワナと震わせながら低い声で呟いた。
「…くだらない。くだらな過ぎる。このクソロン毛DD」
美喜雄とエリーのクイズ合戦に耐えきれなくなった宮前は、わざとらしく大きな咳払いをして本題を切り出した。
「藤本君、君のアイドルに関する造詣の深さについては理解した。ただ、今問題になっているのはそういうことではない」
「わかっています。やはり、南野の件ですか」
「それもある。ただ、学園が一番問題視しているのは、君たちの研究対象である西新宿ゆるふわ組が集団自殺をしたことだ。アイドル研究部の生徒たちが西新宿ゆるふわ組のファンだったことは、聞き取り調査からも明らかになっている。今や西新宿ゆるふわ組の事件は大きな社会問題になっているし、生徒たちへの精神的影響も看過できないものになっている。実際、西新宿ゆるふわ組のファンだとされている生徒たちを中心に不登校が増えていたところで、先日の南野君の騒ぎがあった。学園としても問題を重く受け止め、メンタルカウンセラーの増員を決定した」
「今まさに国民的アイドルへの階段を登り始めたばかりの彼女たちがあんなことになれば…そうなるのも仕方ないですよね」
「つまり学園としては、アイドル研究部の活動自体を問題視しているんだ。集団自殺をするようなアイドルを研究し、学園中の西新宿ゆるふわ組ファンの受け皿になりつつある団体をこのまま存在させ続けていいのか、という話も出てきている」
美喜雄は宮前と目を合わせずに尋ねた。
「アイドル研究部を解散させるつもりですか?」
「夏休み明け早々の職員会議で議題になる。代表者の君には先に伝えておく必要があると思ってな」
クイズ合戦での敗北など無かったかのようにエリーが勝ち誇った。
「アイドル研究部が解散したら、この部室の使用権は私たち現代音楽部がそのまま引き継ぐことになってんの。どうせ夏休み明けにはここを出ていくことになるんだから、今すぐ私たちに譲ったって問題ないでしょ? だから今日、宮前先生と一緒に来たの。下らないクイズとかアンタたちの研究だとか、そんなの関係ないんだから」
美喜雄は小さく息を吐いた。天上寺学園高校アイドル研究部は1970年代の創設以来、日本のアイドル文化の盛衰と歩調を合わせながら50年以上も活動を続けてきた。そんな部活動の歴史が自分たちの代で潰えてしまうかもしれない。陽の当たる運動部の影で細々と生き永らえ、何度も存続の危機を乗り越えてきた歴代のOB・OGたちに対し、どんな顔をして謝罪すればいいのか。美喜雄は暗澹たる気持ちにならざるを得なかった。
そんなアイドル研究部の歴史など知る由もないエリーが、さらに美喜雄を追い詰めようと口を開きかけたとき、部室のドアが勢いよく開いた。
「ちょっと待ってください! ニシユルは…自殺なんてしてません!」
大きな声で叫びながら部室に入ってきたのは、アイドル研究部の一年生部員、安倍冬美だった。
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