第14話そういう生き方

 沸き立つ怒りを押さえ込むように頭を掻き乱した。

 客人としてあの男が来たとき、確かに違和感があった。ミスティアの話が聞きたいとそう言った。その言葉に不純な何かを感じ取っていた。しかしミスティアが指導医をする、と言ったのでもう何も言えなかった。自分以外の男が恋人の傍にいるという状況に少し妬いていたのもあるが、彼女は時間を見つけては傍に来てくれたし、なんの心配もいらないと思っていた。 

 しかしこんな事態になったことにあの男にもそして何も気付けなかった自分自身にも苛立っていた。


 泣きじゃくって話にならないミスティアをクロッカスとレンが連れていったので男二人医務室で留守番になった。こっ酷く叱られたユリウスが「身重になったんだからお淑やかになるって言ってたんだぞ、お淑やかの意味教えてやった方がいいか?」と言ってきたので止めておいた方がいいと返した。この国の女ってなんでこんなに強気なんだとまだ隣でぼやいているユリウスは大きくため息を吐く。大方同意する。ミスティアはこの国にいる時間がまだ少ないのでその強気が足りないと感じていた。尤も時々こちらが怖じけるほど怒ったりするので、その片鱗はあると感じる。


 そうこうしてるうちにクロッカスとレンが帰ってきた。ミスティアの姿はない。


「まだ泣いてるから落ち着くまで一人にしておいた方がいいわ」


「全くっこの馬鹿! あとでちゃんと謝れ!」


 やっぱりお淑やかの意味は教えた方がいい気がしてきた。女2人して息を吐いて腰掛けたのでユリウスと共に縮こまる。こうなるとこの国の男は弱わりきって言うことをきく以外の選択肢がなくなる。


「大丈夫そうか?」


 恐る恐る尋ねるとレンは睨みつけてきたので思わず固まってしまう。まだ怒ってる顔で「あんまりだな」と答えた。


「全く酷い話だよ。ミスティアも辛かったはずだ。昔も似たようなことがあったらしい。ルスキニアで」


 昔? とユリウスと二人で首を傾げる。


「上級生に呼び出されて告白されたんだ。でも好きでもない男で、ミスティアもやんわり断ったけど通じなくて、仕方なく他に好きな人がいるって嘘を吐いたら、すごい剣幕で罵倒されたらしい」


 レンが一息置いた。そんな話を聞いたことがなかった。


「だからオリバーに契りの祭りで告白された時は応えられないって言うしかなかったって言ってたわ。ジルバのことを言ったら怒って何をされるか分からないし、告白されたのも周りに誰もいなくて二人きりだったからかなり怖かったそうよ」


 だからか――あの日様子がおかしかったのは。なんだか元気がないので心配したが、すぐにいつも通りのミスティアに戻ったし、何より思いがけない贈り物に舞い上がってしまった愚かな自分はそれを見落とした。


「確かにその時にきちんと断れば良かったのかもしれない、でもあぁ言うしかないと思う。あの日は契りの祭りで、もうほとんどの隊員が出払ってて、戦えないミスティアがジルバのことを言っていたらどうなる? お前らはオリバーに組み敷かれたミスティアを見ていないだろ。男が本気を出せば、女はなにもできない」


「だから言えなかった。でもオリバーには通じなくて、もともと馴れ馴れしかったけど次の日から身体に触られたりして怖くてどうしたらいいか分からなくなってたみたい」


 クロッカスの言葉に耳を疑った。


「どういうことだ――」


「怖い顔するなって、頭撫でられたりとかだけだ。それからあの騒動があって、オリバーにジルバのことを知られたと思ったから今日、正直に謝ったみたいなんだ。それであれ」


 渾身の力で押さえつけられたのだろう白い腕には手の形に赤い痕があった。レンは尋常じゃない様子だったと改めて語る。

 大体契りの祭りからミスティアが毒熱で倒れるまでどれほど日があった。それまでずっと恐怖に耐えながら過ごしていたのか。


「くそ……っ」


 俺は馬鹿だ。その間に何度ミスティアと二人きりで会った。なんで気付かない。なんで言わないんだ。


「ジルバには、言えなかったって言ってたわ」


 こちらの飲み込んだ言葉を感じ取ってかクロッカスが溢した。


「心配をかけるし、実習が中止になればオリバーは完全に医者になる道が断たれる。その後、逆恨みされる方が怖かったって。それに、ルスキニアでの一件の時はミスティアを悪く言う噂で溢れ返ったそうよ。勘違いさせたミスティアが悪いって」


 正しくさっきまでの自分たちである。


「あぁくそ! 変な男もいたもんだ!」


 それでも元はと言えばあの男だ。女に振られたのならさっさと身を引くだろう。それになんだ、ミスティアの身体に触れていたなんて、恋人にでもなったつもりでいたのか。


「別に、珍しいことでもないよ」


 静かにレンがそう言った。


「あんなとんちんかんな勘違いする男見たことないぞ」


「そうだ、大体振られてるのに恋仲になったような振る舞いするなんて」


 ユリウスと二人して反論したが、レンもクロッカスもいるいるああいう男、と言い放った。 


「だから女の子はみんな気を張って過ごしてるの」


「ミスティアが怖かったのは無理ない。――潜入班に所属してた頃、潜入先で仲良くなった子がいて、その子にもあいつみたいな男が付きまとってた」


 レンは少し苦しそうに言う。


「優しくて笑顔が可愛い子で、その子も仕事帰りに待ち伏せされて帰ろうって言われて困ってるとか手を繋いでくるって怖がってた。その子には恋人がいて、その恋人は職人になるために山を越えた先の街に修行に行ってる最中だったから、その男もその子が独り身だと思ったんだろうな。相談を受けた恋人が早々に自分の修行先に呼んだからそいつとの関係は切れた。……何を言っても聞き入れて貰えないって言ってたよ。将来を約束した人がいると言っても、恥じらってるだけ。俺にもっと甘えたらいい。強がるなって馬鹿みたいな勘違い繰り返してさ。周りが本当に恋人がいるんだって伝えてやっと理解できたみたいだった。でも最後にはその男に殺されたよ、その子」


 背中に氷を入れられたようなゾッとした緊張が走った。


「二年経って、恋人の修行が終わって生まれ故郷に二人で帰ってきたあとにな。そいつも俺を弄んだって叫びながら、その子を殺した。――恋人は俺があの男を先に殺してればって泣いてたよ」


「私も高等学校に通ってた時に知り合いの女の子がちょっと話しただけの男の子に付きまとわれてる。その男の子が私と契り合ったなんて嘘を言いふらしてて困ってるって泣いていたわ。結局、その子は気を病んで学校を辞めて帝都から親類のいる地方に引っ越したわ」


 ユリウスと二人で言葉を失くす。全く知らない世界の話だった。レンがふっと笑う。


「男には分からないだろうが、私達はそういうのにも気を付けながら生きてるってことだよ」


 レンは「大体」と腕を組んだ。


「お前ら男ときたらこっちが怒ったりするとこの国の女は怖いとか強気過ぎるとか言うがそうさせてんのは誰だって話だよ」


 2人でゔっ、と怯んだ。これも正しくさっきまでの2人だ。


「女にそういう生き方をさせてんのは男のお前たちだろ」


「それは……すまない」


「悪かった」


 もう縮こまるしかなくて2人して謝罪すると、レンは息を吐き出した。


「それにしても……」


 弱りきったユリウスが恐々と言った様子で声を上げた。


「お前たちが付き合い始めたのはあの一件からだろ」


「――まぁそう、だな」


 今年始めにミスティアが大怪我をしたことがあった。その後、恋仲になったのだ。ただ、誰にもそれは話していない。


「さっさと付き合ってるって周りに伝えとけば良かったんじゃないか?」


「別に俺は隠したいわけじゃないよ。でもミスティアがあんまり良い顔しなくて……」


 心当たりは大いにあった。それは恐らく――


「あぁハーフエルフだからか?」


 同族であるレンがなんてことないといった声で答えを出した。


「ミスティアにジルバのこと聞いた時にも相談されたよ。種族のことを気にしなかったかって。ま、気にしなくはないけど、ユリウスに聞いたら俺もまともな生まれじゃないから気にするな、だったからな。そう言えばこういう奴だったって思ったよ」


 やっぱりと息を吐き出した。もうそれしかなかった。差別が無くなったのは表面上だけ、法律で守られた存在である彼女は市井に出ると事あるごとに感じ取っていただろう。


「ジルバは人間だし貴族だもんな、そっちの方の立場もあるだろうし……。そりゃ昔に比べたらマシだけど無くなってはない。恋仲だとバレてジルバがどう言われるか、それを考えてたんだろ」


「俺は別に気にしないんだけどな、どうせ貴族街でも浮いてるし」


 結局仕事柄貴族相手より市井の民と交流することが多いから気にしたこともない。


「そう伝えても、ミスティアは嫌みたいだ。でも、もうそうも言ってられないなこうなっては」


 レンから聞いたオリバーの様子では、ミスティアの命が危ない。


「まぁそれに関しては心配ないだろ」


「?」


「ここの奴らが色恋の話題を黙ってられるかよ。どうせあいつら触れ回ってるよ。リベルタの隊長に恋人がいるってな」


 それはそうか、と杞憂に終わった。本人はあまり良い顔しないだろうが、それに関してはもうどうしようもないだろう。


「実習はもちろん中止でしょ? どうするの?」


「俺もミスティアも最後まで実習してるし、中止になるなんて稀だからな。医学学校側も納得させる必要がある。聞いたことがあるのは指導医の急死と急病だ。医学学校側もすぐに対応して急遽国立診療所で実習することになった」


 ユリウスが唸って頭を悩ます。どのみちあの男がリベルタの敷居を跨ぐことはもうない。隊長である俺が許せない。


「――手はないことはない。反則だけど。まだミスティアが戻ってこないなら俺は出掛けてくる。多分ミスティアに言ったら反対されるのが目に見えてるからな」


 それだけ言うと足早に医務室を出た。懐中時計を取り出して時間を確認する。この時間ならまだ医学学校は授業中だな、と行き先を変えた。

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